第四章:ヒノトの反抗
リックイの勝利を知って、家の中に隠れていた人々が姿を見せ始めた。リーベルクーンの街中にはまだ、テセスの残した水が溢れ、大人の膝まで水に浸っている。テセスの来襲で、リーベルクーンの街が受けた被害は甚大だ。
それでも、テセスを打ち破って宙に浮いているリックイを見た瞬間、人々は喜びに沸きたった。兵士も、大人も子供も、飛び上がって、無邪気に、心からリックイを称えている。
リックイ王は、やはり素晴らしい!神さえも打ち破る、偉大な王だ!リックイ王に従っていれば、我々の生活は安泰だ!リックイ王を信じて、ついていこう!
狂気のように、リックイを称える喜びの声が溢れかえるリーベルクーンの街の様子は、塔の中でうずくまり、揺れに耐えていたユノアの耳にも聞こえてきた。
ユノアが身体を動かすと、ユノアを庇うように抱き締めてくれていた人物が、ユノアから離れた。
「ユノア…。怪我はないか?」
ユノアは驚いて叫んだ。
「ヒ、ヒノト様…?私を、庇ってくださったのですか?」
ユノアの瞳があるものを捉えて、恐怖に歪んだ。ヒノトは、街から飛んできた建物の破片を受けて、腕に怪我をしていたのだ。ユノアの視線に気付いて、ヒノトは困ったように笑ってみせた。
「これくらいの傷、心配しなくていい」
「で、でも…!」
ヒノトが自分のために怪我をしたという事実が、ユノアには耐えられないのだ。
だがヒノトには、傷心のユノアを慰めている時間の余裕はなかった。
テセスとの戦いを終えたリックイが、戻ってきたのだ。窓から入ってきたリックイは、音もなく床に降り立った。
リックイは、誇らしげな笑みを浮かべてヒノトを見た。どうだ、見たかと言わんばかりの、堂々とした態度だ。その視線は、ヒノトの腕の中にいるユノアにも向けられた。だがユノアは、決してリックイを見ようとはせず、無意識にヒノトに身体を押しつけていた。ヒノトは、ユノアの身体の震えを感じていた。
ジュセノス王国の一行は、皆身体を縮め、身体を強張らせている。まるで目の前に、絶対に逆らえない、独裁者がいる気分だった。リックイの機嫌を損ねれば、どうなるのかと思うと、指一本動かす自由さえないように思われた。
そんな中、喜びを称えた笑みでリックイに歩み寄った人物がいた。それはイダオだった。
「リックイ王…。お喜び申し上げます!イェナサ様が今夜のリックイ様の勝利されたお姿を見られたら、どんなに喜ばれたことか…!」
リックイもまた、満面の笑みで答えた。
「ああ…。イダオ。ありがとう。私も、テセスを撃退した自分自身を、誇らしく思う」
その後も、イダオの賛辞の言葉は続いた。イダオは本当に喜んでいるようで、リックイを称えるその目には、涙が浮かんでいる。
だが、イダオの喜びに満ちる室内で、やはりジュセノス王国の面々は、強張った表情のままだ。
不穏な空気に、リックイは再びヒノトを見た。
「…ヒノト王は、私を祝福しないのか?」
顔を強張らせて、ヒノトはリックイを見た。これ以上、リックイのご機嫌とりのため、リックイに合わせることは出来ないと思った。それは、心を死なせるのと同じことだからだ。
「…この異常な状況を、受け入れることが出来ないのです」
ヒノトが言った言葉に、その場は凍りついた。ユノアも、驚愕の表情でヒノトを見つめた。
イダオも、さっきまでの喜びに充ち溢れた穏やかな表情から一転して、冷たい視線をヒノトに浴びせている。今まで純情だったジュセノス王が、突然にリックイを非難するような発言をしたのだ。リックイ王が絶対的権力者として崇められているこの国で、リックイ王を非難することは、自分から進んで死に飛び込んでいくようなものだった。
リックイは不遜な笑みを浮かべて、ヒノトを嘲け笑った。
「何だと?私が勝利し、国民は喜びに沸きたっているというのに…。それを、異常というのか」
「ええ、そうです。…何故リックイ王は、神を虐げるのです。神と敵対して歩むこの国に、幸せな未来があると思うのですか?」
今まで、ジュセノス王国とツェキータ王国の友好のため、リックイの意に従ってきたヒノトと同一人物とは思えない発言が続く。さすがに、リックイの顔からも笑みが消えたのを見て、耐えきれずキベイが口を挟んだ。
「ヒ、ヒノト様。今日はもう、リックイ王もお疲れでしょう。部屋に戻られては…」
だがヒノトは、厳しい目でキベイを睨んだ。口を挟むな、という視線だった。キベイは口を噤むしかなかった。
「…私は、この国を心配して言うのです。リックイ王ほどの方ならば、分かっておられる筈。神とは、自然そのものです。そして我々人間が生きているのは、自然の中なのです。…神を拒否し、力づくで抑え込むことは、自然を拒否するのと同じこと。自然を拒絶して、一体これからあなた方は、…どこで暮らそうというのですか」
リックイは黙ってヒノトの言葉を聞いている。だが、ヒノトを見つめるその視線は、これまでに見たこともない程に険しい。
「リックイ王…。今からでも遅くありません。神と和解するのです。…私は今日、初めてテセスを見ました。そんな私でも、テセスが持つ大きな心を感じることが出来ました。テセスならば、きっと赦してくれます。ツェキータ王国に豊かな恵みをもたらしてくれるテセスを、その他の神々を、崇め、慈しみ…。穏やかで平和な国を造ってください。リックイ王…」
ヒノトの言葉は、ユノアの心も優しくさせた。
楽々と女神を抑え込む国王と、そんな国王を見て、歓喜する国民。確かにこんなにも強い国王がいれば、さぞかし国民は誇らしいのだろう。そんな国の形が一番の理想形なのかと、錯覚してしまいそうだった。
だがそんな錯覚からユノアを引き戻してくれたのが、ヒノトの言葉だった。ヒノトは、幻想に過ぎないツェキータ王国の強さに、惑わされたりはしていなかった。目先の華やかな出来事に惑わされず、遠い未来まで見通して、冷静な判断を下す…。ヒノトこそ、本当に強い王だと思った。