第四章:リックイとテセスの激突
水でできたテセスの顔が、怒りに歪んだ。その口から出てきた声には、凛とした張りがあり、離れた場所にいるユノア達の耳にも届いた。
「リックイ、そなたは…。よくもぬけぬけと、この私の前に姿を見せることができたものですね」
リックイは、女神であるテセスに対しても不遜な態度を崩さない。
「テセス。お前こそ、どういうつもりだ。私の治めるこのリーベルクーンに攻めよせ、街を水浸しにするなど…。私が、指を加えて、お前の所業を見逃すとでも思ったか?」
「…女神である私に向かって、何という口の利き方でしょう。リックイ。このツェキータ王国の王であるそなたを、ずっと見守ってきました。恵みを与えてくれる自然の営みをないがしろにし、アテン=トゥス神を像の中へ封じ込めるという悪行を重ねるそなたを…。いつかは心を入れ替え、王としてあるべき姿で国を治めてはくれないかと。ですが、その期待は、最悪の形で裏切られました。私は、最愛の娘を、失ってしまいました」
水で出来ているテセスの表情は、読み取りにくい。だがユノアには、テセスが大粒の涙を流しているように見えた。情に深い、優しい心を持っているテセスが、どれほど娘を大切に思っていたのかが感じられて、ユノアの心もまた、突き刺されるように痛んだ。
「リックイ…。そなたの暴走を、私はもう許してはおけません。私は今日、そなたをこの世から抹消します。そなたが治め、先導してきた、このツェキータ王国の民と共に…」
テセスの宣告は、ユノアやヒノト達の耳にも、テセスの足元で泥まみれになりながら逃げ回っている兵士達の耳にも、家の中で息を潜めている住民達の耳にも届いた。
ツェキータ王国は今、完全に、神の敵となったのだ。毎日水を汲み、魚を取り、生活に欠かせない恵みを与えてくれていたテセスに、見放されたのだ。神を裏切る行為を続けてきたとはいえ、その事実を目の前に突き付けられたツェキータの民の顔は、蒼白となっていた。
だが、たった一人リックイだけは、強気な態度のまま、鼻先でテセスをあざ笑った。
「この国を、抹消するだと?出来るものなら、やってみるがいい。だがお前は…。本当に、私に勝てると思っているのか?」
「な、んと…?」
テセスの顔が強張る。リックイは淡々と言い放った。
「神が本当に万能ならば、私など簡単にねじ伏せ、自分の思うように人間を支配すればいいのだ。だが、お前にはそれが出来ない。お前には、死んでしまった娘を蘇らせることさえ出来ない。何故だ?…それは、お前が万能などではないからだ。私は、神にすがって生き延びようとは思わない。万能でもなく、私に勝つこともできないお前達に、何故へつらわなければならない?…私は決して、神には祈らない!そんな暇があれば、自分自身の力で、この国を守ってみせる!」
黙って聞いていたテセスが、悲しげに顔を歪めた。
「愚かな…。そなた一人で、何が出来るというのか。神々を、自然を敵に回して、力で抑えつけて、無理やりに得た豊かさで、いつまでツェキータの民が平和に暮らせると思うのです?そなたには分かっている筈です。人間の能力だけでは、生きてはいけないのだということが…」
リックイはきっとテセスを睨みつけた。
「これが、ツェキータ王国のやり方だ。この過酷な自然環境の中で、あまりに無慈悲な自然の猛威と戦い、自分達の力で生き延びてきた!…ツェキータ王国が神に頼ったことなど、一度もない。全て、自分達で解決してきたのだ!…それを今さら、どうこう言われる筋合いはない!」
「…哀れな。何と愚かな考えなのでしょう。そんな危険な思想を持つそなた達を、今まで野放しにしてきた我々、神の責任も重い…」
テセスは両手を広げた。その身体が、一気に大きさを増した。
「この命と引き換えてでも…。リックイ。私は今ここでそなたを、殺さなくてはなりません」
リックイは顔を歪め、不敵に笑ってみせた。
「出来るものなら、やってみるがいい!」
テセスが身体全体で、リックイに襲いかかっていった。リックイの足元にあるリーベルクーンの街ごと、リックイを呑みこもうとしているのだ。
リックイは身体の前に、目には見えない壁を造った。その壁に、テセスが激突する。
物凄い衝撃音がした。テセスとリックイの気がぶつかり合った衝撃波が、突風となってリーベルクーンの街に吹き荒れる。家の屋根が剥ぎ取られ、砂漠へと吹き飛ばされていく。
ヒノトやユノア達のいる塔も、風を受けて大きく揺れた。悲鳴をあげて蹲ったユノアを、誰かが抱き締めた。
壁と激突したテセスの身体からは、大量の水が剥がれ落ちて、巨大な水の塊が、ぼたぼたと街へと落ちて行く。その塊が一つ落ちるたび、街の中を洪水のように水が走り抜けていく。
その後も、何度もテセスとリックイはぶつかり合った。どちらが先に力を使い果たすか。凄まじい力と力が、何度もぶつかり合う。
だが段々と、戦いの結果が見え始めた。テセスの身体からは大量の水が零れ落ち、テセスは随分と小さくなってしまった。ぶつかり合う度、テセスの身体は、リーベルクーンの外へ、外へと押し返されていく。
リックイは高慢な笑い声をあげた。
「どうした、テセス!さっきまでの高飛車な態度はどこへ行った?…私を、殺すのではなかったのか?」
テセスは何も答えない。沈黙したまま、リックイが繰り出す衝撃波に必死に耐えている。
小さくなったテセスの身体を、リックイが掴んだ。そのまま大きく振り被り、もともと河が流れていた場所に向かって、テセスを投げ込んだのだ。
パシャン、と、力ない音がした。河底に当たって、テセスの身体は弾け飛んだ。女性だったテセスの姿は消え去り、テセス河に、また水が流れ始めた。だがそれは、水量豊かだった頃の面影はない、河底の石が見える程の、弱弱しい流れだった。
空中に浮かんだまま、荒く息をつきながら、リックイは叫んだ。
「口ほどにもない!お前は大人しく、そこで我々人間のために、水を流しておればいいのだ!…無駄なことをして、愚か者が。一刻も早く、水量を元に戻すことだな」
もはや、テセスの声は聞こえない。テセス河は悲しそうに、乾いた水音を響かせているだけだ。
テセスとの戦いは、こんなにもあっけなく、リックイの圧勝で幕を閉じた。