第四章:たった一つ、願うこと
その夜、ヒノト達ジュセノス王国の一行は、リーベルクーン王宮に泊ることになった。
王宮内の一室を借りうけて、ようやくヒノト達は一息つくことが出来た。
思い返せば、長い一日だった。色々な出来事があった。疲れが身体にのしかかってくる。一同は口数も少なく、椅子に座りこんでいる。
キベイが不安そうに口を開いた。
「ヒノト様…。何故我々は、王宮に留め置かれたのでしょう。郊外の邸宅に戻ったほうが、くつろげて、疲れも取れるのでしょうに…」
ヒノトは厳しい表情のまま、言った。
「我々は、ツェキータ王国の内情を知り過ぎたんだ。これからはずっと、リックイ王の監視下に置かれると覚悟したほうがいい」
「そ、そんな!秘密を明かしたのは、リックイ王からではありませんか!」
「…諦めろ、キベイ。我々が秘密を知らされ、その結果、制約を受けるのは、逃れようのないことだったんだ。リックイ王があれほどまでに、ユノアに執着しているのだからな」
ヒノトの視線を受けてユノアは、しょんぼりとしていた顔を更に強張らせて、身体を小さく縮めた。リックイが、重大な国家機密を、こうも簡単に見せびらかせたのは、ユノアをツェキータ王国の内情に巻き込むためだ。自分勝手なリックイのやり方に腹は立つが、自分のせいで皆が困った状況に置かれてしまっていると思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
「ユノア。お前がそんな顔をする必要はない。今の状況は、決してお前のせいではないのだから」
ヒノトの励ましにも、ユノアは視線を合わせることも出来なかった。
ユノアの隣で、ミヨが心配そうな声を上げる。ミヨは誰よりも疲れきっていて、顔は青白く、声にも力がない。
「あ、あの、ヒノト様…。私達はまだ、マティピには戻れないのですか?」
「それは、難しいだろう。リックイ王が我々を解放するとは思えない」
「そ、そんな…」
ミヨはぐったりと頭を垂れた。
実は、ユノアが今一番心配しているのは、ミヨのことだった。ツェキータ王国に来てからというもの、ミヨはずっと気を張り詰めて頑張り続けていた。だがあまりにも、非常識的な出来事が続くので、ミヨの精神状態は限界にまで追い詰められていたのだ。
ユノアはヒノトに懇願した。
「ヒノト様。私は、ここに留まります。ですから、ミヨだけでも、マティピに帰してあげることは出来ないのですか?」
ユノアの言葉に、ミヨは驚いてユノアにすがりついた。
「何を言うの!…私はずっと、あなたの傍にいるわ!」
「ミヨ…。もちろん私だって、ミヨに傍にいてもらいたい。でも、その状態じゃあ…」
お互いを労わり合う二人の様子を見守っていたヒノトだったが、深く息を吐いた。
「すまないが、例えミヨを一人ででも、マティピに帰すことは不可能だ」
ユノアは悲しそうにヒノトを見つめた。
「何故…」
「ミヨもまた、ツェキータ王国の秘密を深く知りすぎてしまったんだ。それだけではなく、ユノアを手の内に納めておくために、ユノアの親友であるミヨも、リックイ王は手放さないだろう」
ユノアはがっくりと項垂れて、顔を両手で覆った。その指の間から、涙で擦れた声が漏れだしてくる。
「ごめんなさい…。私のために、こんな…。ごめん、ごめんなさい…」
そんなユノアの姿を見て、ミヨも涙を溢れさせた。
「ユノア…!嫌よ、そんなこと言わないで。私にまで、気を使うことなんてない。私は、ユノアを疎ましく思ったことなんて、絶対にないからね!」
それでもユノアは、ミヨに会わせる顔がないとでも言うように、手で顔を覆ったまま、泣き続けている。
「私は、怖いの。ミヨ…。これからもっと恐ろしいことが起きて、みんなの身に何かあったら、どうすればいいの…?リックイ王は私を過大評価しているようだけど、私には、そんな力はないわ。私には、みんなを守り切る自信がないの…」
ユノアの言葉に、ヒノトは表情を険しくした。
「どういう意味だ?ユノア!」
ユノアは震えていた。怯える瞳で、ヒノトを見つめてきた。
「ヒノト様、私は…。テセスの怒りを感じています。最愛の娘を殺されて、テセスは深い悲しみに包まれています。私まで辛くなってしまうくらい、とても強い悲しみです。その怒りのままに、人間達に復讐するため、攻めよせてくるような気がするんです。リックイ王もきっと、気付いている筈です。だから今日、急遽、二度の命を持つ兵士の数を増やしたのではないでしょうか」
「な、何だと!テセスが、攻めてくる!?…いや、だが確かに、あり得ないことではない。テセスの心情を思えば、当たり前の結果だろう。それよりも…。ユノア、お前…。テセスの心を感じることが出来るのか?」
ユノアは辛そうに頷いた。
「今日、ツァタカと戦ってから、私の中の力はどんどん大きくなっているようです。もう自分では、どうすることも出来ません…。何かのきっかけでこの力が爆発したら、私は一体どうなってしまうのか、自分でも見当がつきません…」
「ユノア…」
涙を流しながら、ミヨがユノアに寄り添ってきた。
「大丈夫よ。今、この時さえ乗り越えれば、きっとマティピに帰れる。マティピに帰れば、ユノアも元に戻るわ。そうしたらまた、今まで通りの生活が出来る。そうですよね?」
ミヨは救いをもとめるように、キベイやオタジを見た。だが、いつもふざけて茶々をいれるオタジでさえ、深刻な顔をして押し黙っているのを見て、ミヨもまた何も言えず、黙り込むしかなかった。
「…リックイ王は、常に俺の先手を打った。ドゥゼクが警告してくれたとき、俺はすぐにここから逃げようとしたが、それさえリックイ王は見逃さなかった。…もう、腹をくくるしか、俺達に出来ることはないのかもしれない。この激動のツェキータ王国の渦の中に、身を任せるしか…」
これから先、一体どうなるのか。全く見通しがつかない不安に押しつぶされるように、ヒノトが黙り込んだ。他の者も黙り込んでしまい、その場に沈黙が流れた。
ようやくヒノトが口を開いたが、その言葉からは、ヒノト自身の強い迷いが感じられた。
「俺は、決めることが出来ずにいるんだ。もしこれから、ユノアの言うように、女神テセスとリックイ王の間で戦いが起きた場合、一体どちらを支持すればいいのか…。もちろん俺達に選択支はない。リックイ王の手下のように使われることになるだろう。だが…。俺はどうしても、リックイ王の、このツェキータ王国の考え方に、違和感を覚えてしまうんだ。人間が豊かな暮らしを求めて進歩を続けるため、神々にまで戦いを挑むと言えば、勇敢なように聞こえるが…。そうじゃないだろう?この国では自然をまるで、自分達の下僕のように扱っている。例えツァタカやテセス女神の娘を殺さずとも、神々は、ツェキータ王国の人々の横暴な振る舞いに、ずっと怒りを感じてきたのだろう」
ユノアはヒノトの言葉に聞き入った。ヒノトの言うことは、まさにユノアが感じている不信感と同じものだった。不安の中にいるとき、自分と同じ悩みを感じている人がいるという事実は、ユノアの心を和らげてくれた。
「…人間は、自然の恵みなしでは生きていけない。それを、リックイ王は忘れてしまっているのか?母なる大河であるテセスの娘であるというセシカを殺したとき、俺は激しい違和感を感じた。リックイ王は、テセス川と敵対するつもりか?母なる大河を敵に回して、どうやってこの先、人々は暮らしていくというんだ。俺には、分からない…」
ヒノトは首を振りながら、困惑の眼差しで皆を見渡した。
「答えは出ないまま、それでも俺達は戦わなくてはならなくなるのだろう。だがみんな、どうか、死なないでくれ。俺達の死に場所は、ここじゃない。こんなにも考え方の違う国で、無理やりに巻き込まれた戦いで、死ぬことは許さない!必ずみんなで、ジュセノス王国に帰るんだ。…ユノア。もちろんお前も一緒に、だぞ」
ヒノトの言葉に、ユノアは素直に頷くことが出来た。自分の心さえ見失うようなこの異常な状況の中で、たった一つ明らかなもの。それは、みんなでマティピに帰りたい。その願いだけだった。