第四章:イェナサの奮闘
リーベルクーンに戻ってきたヒノト達は、そのままリックイに付き従い、アテン=トゥス神が祭られている神殿へと来ていた。
ツァタカとの戦いが終わった後で合流したミヨは、わけがわからないまま、とにかくユノアの傍から離れまいと、しっかりとその手を握っている。
神殿へと入っていくと、傷つき、埃まみれになったエミレイ達特別護衛隊の姿を見て、神殿を守る兵士も、神官達も、ぎょっとした表情になっている。
一人の神官がリックイの元に走り寄ってきて、頭を下げた。
リックイは神官の方は見ず、真っすぐに前を見て歩きながら、尋ねた。
「イェナサは?今、何をしている?」
「はい…。イェナサ様は、二神に祈りを捧げておられます。それが、もう三時間以上休みなくされておられますので、私共はイェナサ様が体調を崩されないかと、心配しておりました」
リックイは眉を潜めた。
「そうか…。たった一人で、戦っていたんだな。私はもっと早く戻るべきだった…。イェナサがすぐに休めるように準備を整えさせよ。そして、私が二神を鎮めたら、地下室に入るぞ。奴隷達を連れてきておけ」
リックイの指令を聞き洩らさないように耳を済ませていた神官は、驚愕の表情になった。
「えっ…!地下室を、使われるのですか?今日中に、ですか?で、ですが、地下室を使うには、充分な準備が必要で…」
リックイはじろりと神官を睨むと、怒鳴りつけた。
「緊急事態だというのが分からないのか!?何故イェナサが、三時間も祈り続けているのか、お前にはその意味が全く分かっていないらしいな。…すぐに準備にかかれ。私が地下室に入ったとき、準備不足だと感じたら、この手でその首を刎ねてやる!」
神官は真っ青になり、逃げるようにその場から走り出していった。
リックイ達は、神殿の中で一番広い空間に入った。そこには、アテン=トゥス神、フィファ神、二体の巨大な神像が、そこにいる人間を威圧するように、堂々と鎮座している。
神殿に入ってからずっと感じていた不穏な空気が、ここで一気に濃くなった。ミヨは震えながら、ユノアにしがみついてきた。
「ユノア…。何だか、呼吸が上手くできない。まるで身体が、周りから圧迫されているみたい。それに…。この音は何?さっきからずっと、頭の中にまで響いてきて…。私もう、頭が痛くなってきたわ…」
確かにミヨの言う通り、神殿の中では、轟音ともいえるような音が響き渡っていた。それは、何者かの呻き声のようでもあった。
ミヨは、もう一つ、不可思議な事実に気付いた。
「ね、ねえ…。あの神像、動いてない?」
「え?」
ミヨの視線を追って、ユノアも二神の像を見た。すると確かに、神像が細かく揺れ動いているのだ。
何故、ただの造り物である筈の神像が動くのか。その理由が、ユノアには容易に知ることができた。
「あの像の中に、アテン=トゥス神とフィファ神がいるのよ。像の中で、二神が暴れているんだわ」
ミヨは、「えっ」という顔でユノアを見たが、ユノアはそれ以上のことを言葉にしなかった。
像の中にある青い珠の存在を、ユノアははっきりと感じることが出来た。ユノアの力はどんどん強く、鋭敏になっていく。それを止めることは、もうユノアには出来なかった。
何故、ツェキータ王国の最高神である筈のアテン=トゥス神とフィファ神が、狭い像の中に閉じ込められているのか。今日体験した、ツァタカとの戦い。そして、以前のドゥゼクの言葉。それらを総合して考えると、ユノアには理由が想像できた。
だがそれは、想像するのもおぞましい、恐ろしい理由だった。それ以上想像するのが怖くなって、ユノアは無理やりに思考を停止した。
二神の像の前では、イェナサが舞いながら祈りを捧げていた。それは、今まで見たことのない激しい舞いだった。かと思えば、突然動きを止め、地に身体を這わせて、何かを抑え込もうとするような仕草をみせたりする。
リックイはイェナサに走り寄った。そして、イェナサの身体を抱き締めて、無理やりにその動きを止めようとした。
「イェナサ!」
だがそれでも、イェナサは祈りの舞いを続けようと、リックイの腕の中でもがいている。自分を抱き締めているのがリックイだと気付いてもいないようだ。
「イェナサ!」
リックイは何度もイェナサの名を呼び、身体を揺さぶって、イェナサの目を覗き込んでいる。
イェナサは酷い姿をしている。艶やかだった黒髪は、ぼさぼさで絡まり合っている。虚ろな目に光はなく、どこを見ているのか、焦点が全く定まっていない。完全な陶酔状態にあるようだった。
「イェナサ!」
リックイの根気強い呼びかけが、ようやくイェナサに届いた。イェナサの目に光が戻ってくる。その目が、リックイの顔を捕えた。
「ああ…!リックイ!」
イェナサの目から、大量の涙が溢れてくる。リックイは強くイェナサを抱き寄せた。
「すまない、遅くなって…。一人で、さぞ辛かったことだろう」
「リックイ…、リックイ!」
イェナサは子供のように泣きじゃくっている。
「ごめんなさい!私では、アテン=トゥス神とフィファ神を鎮めることは出来なかったわ。…恐ろしかったわ。もしも封印が解けて、二神が解き放たれてしまったらと思うと…。アテン=トゥス神が、ツェキータ王国にどんな災いをもたらすのかと想像すると、恐ろしくてたまらなかった。…ごめんなさい。私に二神を抑え込める力があれば、そんな危惧などする必要もないのに…」
「…イェナサの力不足ではない。たった今、ツァタカと戦ってきたところだ。そのこともきっと関係しているのだろう」
イェナサは目を見張った。
「なんですって…。ツァタカと!?」
詳しく聞き出そうとするイェナサの言葉を遮り、リックイは額に優しくキスをした。
「今は何も考えず、ゆっくり休むんだ…。目が覚めたら、詳しい事情を話そう。もしかしたら、今よりももっと深刻な事態に見舞われるかもしれない。その時には、イェナサにも力を尽くして欲しい。そのためにも、今はしっかり休むんだ」
リックイの言葉の中に、緊迫した事態を感じ取って、イェナサは素直に頷いた。
「分かったわ…。でも、リックイ。今、アテン=トゥス神を鎮めることが出来る?封印はもうすぐ解けてしまうくらい、弱まっているはずよ」
リックイは、揺れ動く巨大な像を見上げ、不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫だ。何も心配せず、王宮に戻りなさい」
リックイの笑みを見て、ようやくイェナサも安心したようだ。神官に付き添われ、その場から退出していく。