第四章:リックイの野望
眩暈に襲われてよろけたユノアの身体を、誰かが支えた。
「ユノア!大丈夫か!?」
ヒノトの声。その声を聞くだけで、怖れに凍え、固まっていたユノアの心は溶けていく。
振り返るとすぐ傍に会ったヒノトの胸の中に、ユノアは思わず身体を預けていた。
自分の胸に飛び込んできたユノアに、ヒノトも面喰ったようだ。
「ユノア…。どうした?」
「ヒノト様…。ヒノト様…!」
ユノアはまるで温かさを求めるように、震える身体をヒノトに擦りつけてくる。ヒノトは戸惑いながらも、ユノアをそっと抱き締めた。
ヒノトの温かさを感じて、ようやくユノアは落ちつきを取り戻していった。
「ヒノト様…。私は、間違いを犯したのですか?あの、ワニの姿をした者達を、きっと殺してはならなかったのです。でも、あの者達がヒノト様を襲おうとしている場面を見た瞬間、頭がかっとしてしまって…」
「ああ、分かっている!…また、ユノアに助けられたな。俺はお前に、助けられてばかりだ。お前がいなければ、とうの昔に俺の命はなくなっているだろう。ありがとう。心から感謝している」
ユノアは、涙で真っ赤になった目でヒノトを見上げた。
「私のしたことは、間違っていなかったのですか?」
ヒノトは優しく笑い、ユノアの頭を撫でた。
「ユノアが、俺が生きていることを喜んでくれるのならば、間違ってはいなかったということだ」
ユノアは笑った。だがそれは、不安を押し殺して無理やりに作った、痛々しい笑顔だった。
ヒノトはユノアの頭に手を伸ばし、自分の胸に押し当てた。
ユノアも大人しく、ヒノトの胸に抱かれたまま、心地よい温かさに身を委ねた。
ユノアとヒノトの親密な様子を、リックイはじっと見つめていた。これまで、自信に満ち、いつでも中心的存在に在って、常に満足そうな笑みを浮かべていたリックイの顔に、初めて苦しげな表情が浮かんだ。ヒノトに対する嫉妬心が、リックイの心に渦巻いていた。
これまでの人生で、リックイは嫉妬などしたことはなかった。その必要がなかったからだ。誰もがリックイを一番大切に考え、いつでもリックイを中心に立てて、物事を進めてきたからだ。
人生で初めて味わう嫉妬心は、リックイにとっては屈辱的でもあった。
大きく息を吸い、呼吸を整えて、本心を心の奥底にしまい込む。平静を装って、リックイはヒノト達に近づいていった。
「ヒノト王」
ヒノトは顔を上げ、リックイを見つめた。その胸の中に顔を埋めていたユノアも、ヒノトの身体から少し離れて、恐ろしそうにリックイの言葉に耳を済ませている。
「ヒノト王。危ない目に合わせてしまい、すまなかった。まさかヒノト王が、この場所に留まるとは思わなかったのだ。どうやら、ツァタカを倒す手助けをしようとしてくれたようだが、無謀すぎるぞ。よく命があったものだ」
ヒノトは恐縮したように頭を下げた。
「手助けをするつもりが、逆に心配をおかけしたようで…。申し訳ありませんでした」
リックイはまっすぐにユノアを見つめた。これまで、直接にはユノアに関わろうとはしなかったリックイが、積極的にユノアに接触しようとしている。
「…今日は、ユノアに助けられたな。ユノアの働きがなければ、ヒノト王も、エミレイも、命がなかったかもしれぬ。礼を言わねばならぬな、ユノアに。…いやもう、『ルシリア』と呼んだほうが自然だろう」
ヒノトは唖然としてリックイを見つめた。そんなヒノトの表情を見たリックイは、一笑した。
「…何をそんなに驚いている?まさか私が、ルシリアのことを知らぬと思っていたわけではないだろう?ルシリアの力を手に入れたいと渇望していることも、分かっている筈だ。何を思って、私にルシリアの能力の隠そうとしているのかは知らぬが…。もうお互い、知らぬ振りは止めにすることにしよう」
ヒノトは何も言うことが出来ずに、押し黙っている。
「…今初めて、ルシリアの力をこの目で見た。ツァタカ達をあれ程簡単に殺してしまうとはな。素晴らしい!あのようなことが出来るのは、世界中探しても、私とルシリアくらいのものだろう。…もう分かっているだろうが、ツァタカとは、神だ。神を殺せるのは、神だけだ。エミレイ達がツァタカを殺せるのは、私が神の力の一部を、彼らが持つ剣に宿したからなのだ」
リックイは一度言葉を切り、ユノアの様子を窺った。ユノアは俯いたまま、リックイと目を合わそうともしない。その手は、ヒノトの服をしっかりと握ったままだ。
リックイはふぅっと息を吐いた。緊張している自分に、驚いていた。
真面目な表情でユノアを見つめ、リックイは言った。
「…これで、ツェキータ王国の現状が分かっただろう?我々は、ツェキータ王国の神々と戦っているのだ。我々がツァタカと呼ぶ神の攻撃者からの侵略は、日々激しさを増していく。ツェキータの民を守るために、我々は神を殺し続けてきた。…だが、神と戦い続ける日々も、限界が近づいている。私自身も、兵士達も、疲れきっているのだ。…ルシリア。私はそなたに、このツェキータ王国の危機を、その力で救って欲しいのだ」
ようやくユノアが顔を上げた。ユノアの瞳が、リックイを見つめる。だがその表情には、強い不安が漂っていた。