第一章:それぞれの思惑
ファド村で一番豊かな農家であり、村の代表も務めるザジの父親、ロザの元に、一通の手紙が届いた。
それは、ディティ市長、ハドクからの手紙だった。辺ぴな村の一農民であるロザに、ハドクからの手紙が届くなど、異例のことだった。
何事かと手紙を開いたロザは、思いがけないその内容に、再び愕然とした。
それは、ユノアを渡せという要請文だった。その理由は、ユノアがディティに来た際、ユノアを見かけ、その利発そうな行動が気に入った。ぜひ自分の元へ向かえいれて教育させたい、というものだった。
村人から信頼されているだけのことはあって、なかなかに賢いロザはぴんと閃いた。この理由はただの建前だ。女狂いと評判のハドクだ。少女とはいえ、類を見ぬ美貌を持つユノアに目をつけ、自分の女とするためにこう言って来たのだろう。
ロザはハドクに好意は持っていなかった。不当に税金を搾り取り、ファド村民の生活を苦しくしている張本人だからだ。ロザ自身、収入が最盛期の半分近くに落ち込むなど、以前からハドクの行為を苦々しく思っていた。
このまま大人しくハドクの思い通りにさせてやるのは気に入らない。とはいえ、ハドクは国王から任命された市長なのだ。ファド村がディティ市の管轄に置かれている以上、逆らうわけにはいかない。
ユノアか…。その名を思うだけで、ロザは嫌悪を感じた。全く厄介な存在だと思う。ユノアが来てからというもの、村全体にぎくしゃくとした雰囲気が漂っている。
何より気がかりなことは、息子のザジのことだった。ユノアに近付くなと叱りつけたことで、ザジは父であるロザに反発していた。
そんな時に、ユノアをハドに献上したなどと分かれば、ザジはどんな反応をするのだろうか。ザジがユノアを諦めていないことなど、明らかなことだった。
ユノアさえいなければ、村はまとまり、平穏を手に入れることができるのだと、ロザは信じきっていた。
(もしかしたらこれは、絶好のチャンスなのかもしれない)
ロザの頭に、そんな考えがよぎった。以前から、ユノアがこの村からいなくなってくれないだろうかという考えは何度も頭をよぎった。だが、ダカン達のあの溺愛ぶりからして、ユノアを手放すことなど考えられなかった。
しかし、ディティ市長の命令だといえば、ダカンも承知せざるを得ないのではないか。ユノアさえいなくなれば、あとは時が解決してくれる。ダカン夫婦も、ザジも、やがてユノアの記憶を薄れさせえていくだろう。
そうだ、これしかないと、ロザは膝を打った。
ロザは意気揚々と家を出た。そして向かった先は、ゾラの家だった。
ロザからの提案を聞いたゾラは、すぐには答えを返せなかった。カヤに頬を打たれたあの夜から一ヶ月以上が経つが、今日までダカン達とは顔も合わせていない。今はあまり考えたくない話題だった。
「ロザさん。何故俺のところに来たんです。俺に何をしろっていうんですか」
「何故って…。お前、ダカンとは幼なじみだったろう。どうだ。お前からダカンに話をつけてくれんか」
すぐに快い返事がもらえると思っていたロザは、思いがけず黙り込んだゾラの態度に戸惑った。
「どうした。ゾラ。もしハドク様の怒りを買えば、どんな仕打ちを受けるか分からんのだぞ。今やこの辺りで、ハドク様に対抗できる者などおらん。素直に言うことを聞くのが一番なんだ。…それともお前、ユノアに同情でもしているというのか」
ゾラはじろりとロザを睨んだ。
「…そうじゃないですよ。俺は、ユノアが赤ん坊の頃から気にくわなかった。ユノアを手放したほうがいいと、ダカンにも何度も忠告したつもりです。だけど、ダカンもカヤも、俺の言うことには全く聞く耳持たなかった。:ハドク様からの命令があろうとなかろうと、ダカンが俺の言うことを聞く筈はないですよ。あいつらの心は、ユノアにすっかり奪われてしまったんだ」
「…お前はそれでいいのか。無二の親友だろう?間違った道にいるダカンを救い出してやろうとは、思わないのか?」
ゾラは黙り込んだ。自分の意見を無視し続けたゾラと、カヤから受けた屈辱。それでもまだ、あの二人と昔のように親しく付き合いたいと願う自分が心の底にいることに気付いてはいた。それが腹立たしくもあった。いっそ見捨ててしまえばいいのにと何度も思った。だが…。
「…ユノアさえいなくなればいいんだ。そしたら、何もかも上手くいく。ダカン達だって、その方が幸せに決まってる」
「…そうだ。その通りだ」
ゾラはロザを見た。
「俺の言うことだけじゃあ、弱いかもしれない。村の皆が一丸となってダカンを説得すれば、何とかなるかもしれません。あいつだって昔は、周りとの付き合いを大切にする、いい奴だったんだ。村を取るか。ユノアを取るか。そこまで追い詰めれば、あいつの目だってようやく覚めるかもしれません」
ロザは頷いた。
「そうだな…。村の皆に話してみよう。」