第四章:母なる大河の神の娘
遂に最後の一匹とエミレイが対峙した。最後の一匹は、ツァタカ達の司令官的な存在だったらしく、最も強く、しぶとかった。だがエミレイは的確にそのツァタカの急所をつき、徐々に弱らせていく。
だが、エミレイは何かに気付いたように驚いた表情をして、攻撃の手を緩めた。
エミレイの前で、ワニの姿をしていたツァタカの形が変わっていく。そして、人間の少女の姿になった。
「まさか、お前は…。セシカ、か…?」
身体中から血を流し、もはや立ちあがることも出来ずに、うつ伏せの状態で息を乱しながら、セシカと呼ばれた少女はエミレイを睨みつけた。
「おのれ、よくも…。エミレイ!この私に、よくもこのようなことが出来るな!…お前の心の中に、もはや神への怖れはないのか?」
エミレイは言葉を失くし、立ち尽くした。その顔は青ざめ、手に持つ剣を今にも落としてしまいそうな程、震えている。
突然動きを止めたエミレイと、可憐な少女に変身したツァタカに驚いて、ユノアも動きを止めた。
一体何が起きているのか分からぬまま、ヒノトも、キベイも、ジュセノス兵達も、息を飲んでエミレイとセシカを見守っている。
凍りついたその場の空気を動かしたのは、一人の男の声だった。
「何をしている、エミレイ」
誰もが驚いて、その声のする方を振り向いた。
皆の視線を浴びて、馬に乗ったリックイが、悠々とこちらに近づいてくる。
リックイの姿を見るなり、それまで高慢な態度を保っていたセシカの顔に怯えが走った。セシカはその場から逃げようとしているようだったが、痛めつけられた身体は動かず、その場で震えながら、リックイが近づいてくる姿を見つめるしかなかった。
リックイは馬から降り、まっすぐにセシカの方へと歩いていく。その途中でユノアの傍を通り過ぎたとき、リックイは顔を横に向け、まっすぐにユノアを見つめてきた。リックイがこれ程ユノアを直視したのは、初めてのことだったかもしれない。
その頃には既にユノアの興奮状態は過ぎ、瞳の色も薄茶色に戻っていた。ただ、全身はツァタカの血を浴びて、無残な姿になっている。
だがそんなユノアを見て、リックイは嬉しそうに笑ったのだ。
リックイは、人間離れした動きでツァタカを倒していったユノアの姿を見ていたのだろうか。
リックイの視線に、今なお身体の奥底で蠢く青い珠まで見抜かれそうで、ユノアは目を逸らした。
リックイは満足そうな笑みを浮かべたまま、ユノアの傍を通り過ぎていった。
エミレイは、怖れを含んだ表情で、愕然とリックイを出迎えた。
「リ、リックイ王…。何故、ここに?リーベルクーンへ戻られたのでは?」
リックイはじろりとエミレイを見た。
「…各国の代表をリーベルクーンに送り届けることくらい、誰にでも出来ることだ。イダオに任せ、私は戻ってきた。こちらの状況が、どうしても心配だったからな。だがどうやら、戻ってきて正解だったようだ」
リックイはセシカのすぐ前に立ち、そのボロボロの姿を見下ろした。
隣に立っているエミレイに、静かな声で尋ねる。
「エミレイ。何故こいつを殺さない?」
エミレイははっと顔を上げ、また俯いた。
「で、ですが…。リックイ王。この者は…」
口ごもるエミレイを、リックイは静かに見据えた。
「この者は、セシカだ。テセス女神の娘だ。それが、どうした?我々に危害を加えようと襲ってきたツァタカを率いた、張本人だ。ツェキータ王国に害を為す者達は全て殺す。それが、お前の率いる特別護衛隊の任務ではないのか?」
エミレイは唇を噛みしめた。
「…申し訳ありません」
リックイは呆れた顔でエミレイを見ている。
「お前はいつも詰めが甘いのだ。肝心な所で、己の弱さに振り回される。そんなことで、ツェキータ王国を守れると思うのか?…私を失望させるのは、これきりにせぬと許さぬぞ」
沈黙するエミレイから視線を外し、リックイは再びセシカを見下ろした。
周りで聞いていたヒノトは、困惑の表情でキベイを見た。
(今、リックイ王は何と言った?あの少女が、セシカが、テセス女神の娘だと言ったか?テセス女神とは、この、今目の前を流れている、母なる大河、テセス川の神のことか?)
キベイはまるでヒノトの声が聞こえたかのように、わけがわからないといった様子で首を振った。
ヒノトもまた、ただただ成り行きを見守るしかなかった。