第四章:ワニの化け物
リックイ率いる一行は、テセス川に差し掛かったとき、その動きを止めた。疲れたので休みたいというリックイの要望のためだった。
テセス川の上を通ってきた風は、涼しさをもたらしてくれる。その風に吹かれながら、木陰に入ったり、川の水で身体を拭いたりして、人々は火照った身体を休めていた。
リックイとは離れた場所で、一人のツェキータ兵が川岸に近づいていった。膝をつき、川に手を入れて、その冷たさを楽しんでいたが、ふと川の中に、何かの存在を感じて立ちあがった。
突然立ち上がり、後ずさりしたその兵士を見て、仲間の兵士が声をかけた。
「おい。どうしたんだ?」
兵士は顔を青くして、仲間を振り向いた。
「…ワニがいる」
兵士が指差した先には確かに、川の中から僅かに覗く、ワニ独特の凹凸のある背中が見えていた。
兵士達は騒然とした。ツェキータ王国では毎年、ワニに襲われて何十人もの国民が命を落としているのだ。
「岸から離れろ!水辺にいるものしか、ワニは襲わない」
「おい!ワニがいると、エミレイ将軍に伝えてこい。ワニが各国の代表を襲ったりしたら、国際問題になるぞ!」
川岸から離れた兵士達は、ワニに注意を向けるのを怠った。水の傍から離れさえすれば、ワニは襲わないと知っていたからだ。
普通のワニならば、それで通用する筈だったのだ。
だが事態は、全く予想外の方向へと向かった。川からワニが岸へと上がり、兵士達の方へと近づいてきたのだ。それは、野生の動物らしからぬ、企みを持っているような動きだった。
突然、物凄い速さでワニが突進してきた。目にも止まらぬ早業で、ワニは兵士に突進してきた。
「ぎゃっ!」
悲鳴をあげた兵士の身体を、ワニは突き抜けていた。血を吹き上げながら倒れた兵士の胸には、大きな穴が開いている。
兵士の身体を通り抜けて着地したワニは、口に加えた兵士の心臓を、美味そうに食べてみせた。
あまりにもおぞましい光景を見せ付けられたその他の兵士達は、恐怖に駆られ、パニックに陥って逃げ始めた。
「ツ、ツァタカだぁ!」
テセス川からは、次々とワニの姿をした化け物があがってくる。その数は三十近くいるだろうか。兵士達は次々と襲われ、心臓を食われていく。兵士の心臓を食う度、ツァタカと呼ばれたワニの化け物の身体は膨れ上がり、巨大化していった。
木陰で涼んでいたリックイの耳にも、遠くとはいえ、兵士達の悲鳴が聞こえてきていた。各国の代表達も、異様な騒ぎに、不安そうに騒ぎ出している。
リックイは不快げに眉をひそめた。
「…何事だ。エミレイ」
「はっ…。今、調べてまいります」
エミレイが走っていく後ろ姿を、リックイは険しい表情で見送った。
リックイの傍で休んでいたヒノトに、キベイが耳打ちした。
「…ヒノト様。何事でしょうか」
「…俺にも全く見当がつかないが。…キベイ。ジュセノス兵を、皆ここに集めるんだ。皆一緒に固まっていたほうがいいだろう。…ライオンを埋葬すると言って残ったオタジやユノア達は、まだ追いつかないか?」
「…はい。まだ、姿が見えません」
「…あいつらのことだ。何が起きようと、自分達の力で乗り越えるだろうが…」
ヒノトは心配そうに、ユノア達がいる筈の平原へと目を戻した。
悲鳴が聞こえた方へと向かっていたエミレイは、前方から、恐怖に顔を引きつらせた兵士達が走ってくるのを見た。
エミレイの存在にさえ気づかぬ程に怯えきって、がむしゃらに逃げようとしている兵士を捕まえて、エミレイは尋ねた。
「どうしたんだ!一体、何があった?」
兵士は真っ青な顔でエミレイを見た。
「エ、エミレイ将軍…。ツァタカが、出ました。ツェキータ兵の心臓を食って、奴らは、何倍にも巨大化しています。は、早く、お逃げください」
エミレイも表情を険しく変えた。
「何?ツァタカだと!?」
前方からこちらへ向かってくる異様な気配に気付いて、エミレイは視線を向けた。
そこには、もはやワニともいえぬ程、丸々と太った化け物がいた。目をぎらりと光らせながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。のろまだと思われたその化け物が、突然俊敏に動いた。傍にいた兵士が胸を悔い破られ、心臓を奪われた。
エミレイの目の前で、心臓を美味そうに味わいながら、化け物はまた一回り大きさを増した。
化け物を睨みつけると、エミレイはすぐに後ろを振り向き、全速力でリックイの元へと走り始めた。