第四章:ライオンとの死闘
草原に走り出したキベイとオタジに、隣を走るエミレイが声をかけた。
「今、猟師達がライオンをこちらにおびき出してきます。リックイ王の見える場所で狩りをしなければ、意味がありませんので…。ライオンが現れたらすぐに、攻撃を開始してください。こちらが少しでも油断すれば、命を落としかねません。危険な猛獣です」
エミレイの言葉が終わらぬうちに、キベイ達が今まで聞いたことのない、凄まじい獣の雄たけびが聞こえてきた。
キベイ達の目の前に、草むらの中から一匹の草食獣が飛び出してきた。鹿に似ているが、これも初めて見る動物だった。
その動物が現れたすぐ後に、獰猛な顔つきをした猛獣が現れた。大きな牙をむき出しにして、猛烈な勢いで前を行く動物を追いかけている。顔の周りを覆う見事なたてがみに、キベイとオタジの視線は釘付けになった。
追われている動物は、まっすぐにキベイ達の方へと走ってくる。ライオンをおびき寄せるために猟師達に躾けられているのだ。ライオンももちろんその後を追って、キベイ達の方へと一直線に向かってくる。
突然の出来事にキベイとオタジは固まってしまった。その間にも、物凄い勢いでライオンとの距離は縮まっていく。
後方からエミレイの檄が飛ぶ。
「いけない!一旦横へ避けて、ライオンをやりすごしてください!」
その声に従って、二人は急いで馬を横に逸らした。そのすぐ傍を走り抜けたライオンは、宙に飛び上がると、前を走っていた囮役の草食獣に飛びかかっていった。悲しげな悲鳴をあげて、動物はライオンに押し倒されてしまった。その喉元に、鋭い牙が食い込む。ぴくぴくと身体を痙攣させながら、遂に草食獣は動かなくなってしまった。
茫然としているキベイ達の後ろに回り込んだエミレイが言った。
「さあ、攻撃を始めてください」
戸惑いながらも、キベイ達は剣を抜いた。そして馬を走らせようとしたが、目の前でライオンの餌食になった草食獣の姿を見た馬は、すっかり怖気づいてしまったらしい。一歩も動けずにいる。
仕方なく二人は馬を降り、ライオンに近づいていった。
殺気を漂わせて近づいてくる二人に気付いたのか、ライオンは食いついていた獲物の喉元から顔をあげた。楽しみの食事の時間を邪魔するなと、二人に向けて低い唸り声をあげ、威嚇している。
まだ心の中に戸惑いを感じながら、まずオタジがライオンに向かって突進した。オタジが振り下ろした剣から、ライオンはその巨体に似合わぬ軽やかな身のこなしで逃れた。
反対側に回っていたキベイが、勢いよく剣を突き出す。剣先が、ライオンの身体を掠った。身体を傷つけられたライオンは、唸り声を上げながらキベイを睨みつけた。
キベイとオタジは巧みに連携をとりながら、ライオンへの攻撃を続けた。剣はライオンの身体を傷つけはするが、致命傷はなかなか与えることができない。傷つけられたライオンは、更に凶暴さを増していく。
互角の戦いを続けるキベイ達の雄姿に、百メートルほど離れた場所から観戦している者達の興奮も最高潮に達していた。
「いけー!剣を首元に突き刺すんだ!」
「ああ…。そこで怯んだら、ライオンに見くびられるぞ!」
ライオンとの戦いなどしたことのないキベイ達が戸惑いながら戦う姿が、滑稽で仕方ないのだろう。ツェキータ兵の顔には、嘲りの笑みが張り付いている。
リックイも上機嫌で、手を叩いたり、大きな声で笑ったりと、キベイ達の戦いぶりを心から楽しんでいるようだ。もし獰猛なライオンの牙が二人を襲ったら…。という心配など、全くしていないような態度だ。
その隣でヒノトは蒼白な顔をしている。戦いが長引くにつれ、キベイ達の身体には、ライオンの鋭い爪による傷跡が増えていく。二人の動きも鈍くなっていく。
これまで戦場で、二人が戦う姿を見て不安を覚えたことなどなかった。だが今は不安でたまらなかった。ライオンの大きな牙が、今にもキベイやオタジの首元に突き刺さりそうだった。
ミヨはもはや直視することが出来ないらしく、ユノアの肩にすがりつくような格好で震えている。
ユノアも、こんな二人の姿は信じられなかった。戦場でキベイとオタジが現れれば、敵は震えあがって戦意を失くし、逆に味方は勇気づけられ、歓喜の声をあげる。この二人がいれば、勝利は確信のものとなる。だが、今はどうだろう。もしかしたら、負けてしまうのではないか。負けるとはつまり、二人が死んでしまうということだ。二人が戦いに負けて死んでしまうなんて、なんて現実味のないことだろう。だが決して起こらないと思っていたことが、今この現実で起ころうとしている。不安がユノアに襲いかかってきた。
これまで感じたことのない不安を抱えて、ヒノトとユノアが見つめるその先で、恐れていた最悪の事態が起ころうとしていた。
慣れないライオンとの激戦で疲れ果てたキベイが、バランスを崩し、膝をついてしまったのだ。すかさずライオンが動きをみせた。キベイに向かって、凄まじい跳躍を見せたのだ。
オタジがライオンに向かって剣を投げた。だが剣はむなしくライオンの頭上を通り過ぎただけだった。
ヒノトは息をのみ、ユノアは悲鳴をあげた。二人とも、キベイの死を覚悟した。
今にもライオンの巨体が、キベイの身体を抑え込もうとしたその時だった。
突如横から現れた矢に背中横腹を突き刺されて、ライオンは悲鳴を上げながら態勢を崩した。ライオンの巨体は、キベイのすぐ横に倒れ込んだ。
立ちあがったキベイが、すかさず剣をライオンの首元に突き立てる。オタジも加わり、二人は何度もライオンの首を刺した。
凄まじい雄たけびを上げながら、キベイとオタジに向かって足を振りまわしていたライオンも、どんどんと動きが鈍くなっていく。そしてようやく動きがなくなったときには、その身体の下には、大量の血の池が出来ていた。キベイとオタジの身体も、ライオンの返り血で真っ赤に染まっている。
ライオンが死んだことを確認し、キベイとオタジはようやくお互い視線を合せた。
(あの矢は一体、どこから放たれたんだ?)
もしあのとき、あの一本の矢がライオンの動きを止めなければ、キベイは間違いなく死んでいただろう。
矢の飛んできた方向へ目を向けると、そこには弓を持ったエミレイの姿があった。二人の視線に気付いて、エミレイはにこやかに笑みを浮かべ、手を振っている。
見守っていた群衆からも、拍手喝采が起こった。皆口ぐちに、二人の激闘を称えている。
だが、二人の表情は冴えない。愛想笑いさえ出来ずに、その場に立ちつくしている。
心の中にあるのは、不快感だけだった。戦いに勝ったのだとはとても思えない。このライオンを殺したことに、何の意味があったのだろう。人間の道楽のためだけに無駄に殺された、草原の勇敢な獣の無残な姿があるだけだ。