第一章:星姫の名前
赤ん坊がダカン達とともに暮らすようになってから、一週間が経った。だがダカンは未だ、赤ん坊に名前さえつけることが出来ずにいた。
赤ん坊はカヤに抱かれて、カヤの乳を吸っている。
驚いたことに、赤ん坊がやってきたその夜から、カヤの乳は産後のように張り、豊富な母乳を出し始めたのだ。カヤは、これで赤ん坊が飢えなくて済むと神に感謝したが、ダカンにとっては気味が悪いことでしかなかった。
カヤから乳をもらって、満足したらしく、赤ん坊はすやすやと寝息をたてて寝始めた。カヤはすっかり母親の目で、優しく赤ん坊を見つめている。その表情は、いかにも幸せそうだ。
カヤの目がそっと、ダカンに向けられた。遠慮深く、ダカンに言う。
「ねえ、あなた。私、この子のおむつを洗ってくるから、様子を見ていてくれる?」
「あ、ああ…」
気のない返事だけして、ダカンはそっぽを向いてしまった。赤ん坊を一度も抱いてさえいない夫が気がかりではあったが、ダカンの優しい気性は誰よりも知っているカヤだ。赤ん坊のおむつを抱え、二人を残して外へ出ていった。
残されたダカンは、赤ん坊からは離れた場所に座り込んでいた。
自分の気持ちの整理が出来ないことが、腹立たしかった。カヤの気持ちを思えば、赤ん坊をわが子として育てるべきだとは分かっているのだが。
そのとき、眠っていたはずの赤ん坊がぱっちりと目を開けた。大きく伸びをし、ぐずり始めた。
驚いたのはダカンだ。カヤが気付いて戻ってこないかと、戸を見たり、赤ん坊を見たりときょろきょろしている。だが、カヤが戻ってくる気配は一向にない。
赤ん坊は顔を真っ赤にして泣きじゃくり始めた。
ダカンはいたたまれなくなって、遂に赤ん坊を腕に抱いた。カヤの抱き方を必死に思い出しながら、首を支え、身体を揺すってあやした。
すると、赤ん坊の目が再びとろんとしてきた。安心しきったように大きなあくびをすると、目を閉じた。
ほっとしてダカンが身体の動きを止めると、赤ん坊の目が薄く開く。ダカンがそこにいることを、確かめているかのようだ。
この子には、自分が必要なのだ。そう思ったとき、ダカンの心に、赤ん坊への愛情が湧き上がってきた。温かな思いとともに、ダカンの目に涙が込み上げる。
戸が開いて、カヤが息を切らして入ってきた。
「ダカン?赤ちゃん、起きちゃった?」
ダカンはカヤとは目を合わさず、赤ん坊を渡すと、そのまま外へと出て行ってしまった。
ダカンの涙に気付いたカヤは、追いかけることも出来ず、その場に立ち尽くした。赤ん坊は幸せそうな顔で、眠り続けていた。
夜になり、ようやく帰ってきたダカンは、晴々とした顔をしていた。
「カヤ。この子の名前を決めてきた。ユノアだ」
「ユノア…」
その名前の意味に気付いたカヤは、思わず顔を覆って泣いた。
「ありがとう、ダカン。なんて素敵な名前…!」
ダカンはカヤを抱き締めた。
「俺こそ、今まで不安な想いをさせて悪かった。ようやく分かったよ。この子は、ユノアは、もう、この家に居なくてはならない存在だ。ユノアがいない生活なんて、考えられない」
カヤは言葉を返すことが出来ず、何度も頷いた。
「ユノアは、特別な子だ。何しろ、空から来た子なんだから。だけど、きっと俺達が守っていこう」
確かに、カヤにも不安はあった。一体、ユノアは何者なのか。果たして、この手で守りきれるのだろうか。だが、幸福感がそれに勝った。ダカンと一緒ならば、何事も乗り越えていける気がした。