第一章:傷ついたダカン
夜になっても帰らないダカンとユノアを、カヤはずっと家の外に立って待ち続けていた。何か良くないことが起こったのだろうか。 頭をよぎるのは、不吉な想像ばかりだ。
だが、その予感は外れてはいなかった。暗闇の中に、荷車を引いて歩いてくる二人の姿が見えた。
「ダカン!ユノア!」
カヤは走り出した。二人との距離があと十メートルまで近付いたところで、ダカンが歩くのを止め、地面に倒れこんでしまった。
「ダカン?どうしたの!」
カヤはダカンに駆け寄り、頭を膝に抱えた。闇の中でよく見えないが、ダカンが苦しそうに、荒い息をしているのが分かる。
「お母さん…」
ユノアが心細げな声で、カヤの側に立った。
「ユノア…」
カヤはユノアを抱き締めた。
「ああ、ユノア。可哀想に。震えているの?」
ユノアの不安を敏感に感じ取って、何度も背中を撫でてやる。
「お母さん…。お父さん、腕に怪我をしてるの」
「ええ?怪我?」
カヤが腕を確認してみると、手に血のようなものがこびりついた。カヤは顔を青くした。
「ダカン。ダカン?」
呼びかけるが、ダカンから返事はない。大量の血を流したまま、ここまで歩いて帰ってきたのだ。血を失ってショック状態に陥りかけていたのが、カヤの顔を見て気が緩み、意識を失ってしまったのだった。
カヤはダカンを荷車に乗せると、家の中へと運んだ。布団の中へと寝かせて、顔色を伺う。顔は蒼白だった。このままでは命が危ないと、直感的に思った。
止血するために腕に布を巻きながら、何も出来ずに小さくなって側に座っているユノアに話しかけた。
「ユノア。お願いがあるの。ストーブに火を入れて、家の中を暖かくして。ダカンの身体が冷え切っている。とにかく暖めてあげなきゃ」
そう言って、カヤは立ち上がり、戸口へと向かった。
「お母さん!どこ行くの?」
ユノアが心細げな声をあげて追いかけてきた。
「ゾラを呼びにいくのよ。怪我をしたとき、いつもゾラに手当てをしてもらうから。薬草も持っている筈よ」
「…お父さん、大丈夫?」
カヤはにっこり微笑んだ。
「大丈夫よ。傷は深いけど、ちゃんと治療すれば大丈夫。さあ、ユノア。あなたの仕事は?」
ユノアは表情を引き締めた。
「ストーブに火を入れて、家の中を暖かくする!」
「そうよ。お願いね」
カヤは家を出ると、二百メートル程離れたゾラの家へと向かって、全速力で走り始めた。
ゾラの家では、夕食の真っ最中だった。ゾラ夫婦と三人の子供、そしてゾラの両親という大家族で、賑やかに会話を楽しみながら食事をしていたとき、血相を変えたカヤが、戸を勢いよく開け、飛び込んできた。
「ゾラ!」
一瞬、家の中が静まり返った。最近、めっきり疎遠になってしまったカヤの異様な訪問に、ゾラの妻は顔を強張らせた。何かやっかい事を持ち込んできたのか。そんな表情だった。
最初に動いたのはゾラだった。肩を大きく動かして喘いでいるカヤの元へと近付いてきた。
「カヤ?…どうしたんだ」
「ゾ、ゾラ。お願い。今すぐ一緒に私の家へ来て。ダカンが…」
ただならぬその様子に、ゾラも顔色を変えた。
「ダカンが、どうした?」
「腕を怪我しているの。出血が酷くて、今は気を失ってる。応急処置はしたけど、もう私にはこれ以上出来ることはないの。お願い、ゾラ…」
ゾラは何も言わず立ち上がると、家の奥へと引っ込んだ。出てきたとき、手には処置道具と薬草の入った箱を抱えていた。
「あなた…」
妻が困惑気味にゾラを見ている。まともな近所付き合いもせず、村中から疎まれているダカン達を、なぜ助けなければならないのか。しかもこんな夜更けに。そう言いたそうな表情だった。
だが、ゾラは無視した。
「カヤ。行こう」
カヤはほっとして、涙を滲ませた。
「ありがとう、ゾラ…」
静まり返ったままの家族を残して、ゾラはカヤと共に家を出て行った。