第一章:忍び寄る魔の手
ディティの街の中心部には、二十m程の幅の道をの両脇に、テント張りの商店が隙間なくひしめき合っており、そのどれもに人々が行列を為して群がっている。
人々の隙間を縫ってようやく移動できるような状況の中で、ダカンはユノアの手をしっかり握って歩いていた。
「お父さん。何も見えないよ」
ユノアが不満げに口を尖らしている。綺麗な洋服や、アクセサリーをゆっくり見たかったのに、この人込みでは見えないのだ。
「今日は特別人が多いからな。今度またゆっくり見よう」
今日は、途中でザジに時間を取られたこともあり、あまりのんびり出来そうになかった。
ダカンはとりあえずユノアに、饅頭を食べさせてやりたかった。菓子が大好きなユノアだが、砂糖をただ固めたような菓子しか食べさせたことがなかったからだ。高いので滅多に買うことは出来ないが、今日は買ってやろうと決意していた。
予想通り、初めて饅頭を食べたユノアは、あまりの美味しさに目を輝かせた。言葉を発するのも忘れたらしく、一口、一口、噛み締めながら食べている。それでもあっという間に饅頭はなくなってしまった。ユノアは寂しそうに、饅頭の入っていた袋を握り締めている。
「ユノア。美味かったか?また買ってやるからな」
「うん!」
そのとき、店の隣から歓声が沸いた。何事かとそちらの方に行くと、大勢の人垣が出来ている。人々の輪の中心に、何かがあるようだ。
何とか人の間に潜り込んでみると、そこには大道芸人がいた。猿まわしをしている。ダカンも見るのは初めてだ。目を丸くしているユノアにそっと耳打ちする。
「ユノア。あれは猿だよ」
「さる?」
「見ててごらん。面白い技をするから」
ユノアの見つめる先で、大道芸人の声や太鼓の音に合わせて猿が動く。自分の背丈以上の台を軽々飛び越えたり、玉の上に乗ってバランスを取りながら移動したりしている。猿が見せる可愛らしい技に、人々は大きな拍手を送った。
その様子を、遠くから見ている集団があった。それは、ハドク達だった。家へと帰る途中、盛り上がる人々に、ハドクが目ざとく目をつけたのだった。
「ケベ。そういえば大道芸人からの税はどうなっていたかな」
「ディティの街に芸人は少ないですので、きちんとした税は決められていません」
「それはいかんな。見よ。観客からあれだけの金をもらっている。あ奴らから、どんどん税を取れるぞ」
「そうですね…。すぐに検討いたしましょう」
ハドクは猿回しの演技に何の感動もないらしい。その頭にあるのは、いかに民衆から税を搾り取るか。その方法だけだった。
一通り技を終えて、猿が客に向かってお辞儀をして見せた。ユノアも大きな拍手をした。
するとふと、猿と目があった。驚く間もなく、猿がユノアに飛びついてきたのだ。
突然のことに、身構える暇もなかった。ユノアは尻餅をついて倒れこみ、その弾みで帽子も脱げてしまった。
ユノアの灰色の髪の毛とその顔が顕になる。ユノアの顔に、猿が擦り寄ってきた。
大道芸人が慌てて猿の首に巻かれた紐を引いた。猿は大人しくユノアから離れた。
ダカンはすぐにユノアに帽子を被せた。そっと辺りの様子を窺うが、人々は幼い子供と猿の可愛らしいハプニングに、楽しそうな笑い声を上げているだけだ。ユノアの容姿を気に留めている者はいない。ダカンはほっと胸を撫で下ろした。
だが、ダカンは気付かなかった。ただ一人、ユノアの美貌に気付き、心を奪われてしまった人間がいたことに。
籠に乗ったままで、ハドクはあんぐりと口を開けていた。ユノアの整った顔立ちと漂う気品に、衝撃を受けていた。
「あれだ。あれが、私の探し求めていた女だ」
ハドクが口走った言葉を、ケベは危うく聞き逃すところだった。
「は?何かおっしゃいましたか、ハドク様」
「オタジ。あの娘を連れてこい」
ハドクが指差す先を追ってみたが、どの少女のことを言っているのかケベには分からない。
「どの娘でしょう?」
ハドクは苛々し始めた。
「分からんのか!帽子を被った、あの娘だ」
ようやくハドクが言う少女を理解したケベだったが、そこにいたのは、不似合いな大きな帽子を被った、薄汚い一人の少女だった。
「あの娘を、連れてくればよろしいのですね?」
「そうだ。」
ケベは首を傾げた。今までのハドクの好みの女といえば、豊満な胸を持ち、腰のくびれた、セクシーな女だったからだ。それに比べ、少女はあまりに貧相に見えた。
だがハドクは、食い入るように少女から目を離さずにいる。ケベにしてみれば、どんな女なのかなどには感心がない。ハドクのご機嫌が取れればそれでいいのだ。