第一章:村の外へ
十歳になったユノアは、美しい少女へと成長していた。滲み出る気品の中に、少女ながら色気も漂っている。
肩に触れるくらいで切り揃えられた銀色の髪の毛は、もはやミモリに貰った黒の染料では隠せない程に輝いている。染料を塗ると、髪の毛は灰色になった。今は更に帽子を被ったり、布を巻いたりして、髪の毛を他人の目から隠さなければならなかった。
ユノアが成長するにつれ、ファドの村人とダカン一家との間の溝が広がっていくのもまた、事実だった。日を追うごとに、ユノアの容姿は異質になっていく。髪の毛の色も、彫りの深い顔立ちも、滲み出る気品も、全てが村人とは異なっていた。異質な存在を、人は恐れる。
それまで、ファド村は、村全体が家族のような人間関係を作り上げていた。それが村人の自慢でもあった。だが、ダカン一家がその輪から外れた。それは不協和音であり、不安の種となった。
もちろん、人々の不安の要素はそれだけではない。働けど、働けど、楽にならない生活。農業という不安定な仕事に収入の全てを委ねねばならないこと。
その不安が、地面に出来た亀裂に流れ込む水のように、ダカン一家に向かい始めていた。
今日は、二週間に一度、ダカンがディティの街へと野菜を売りに行く日だ。ダカンは初めて、ディティへユノアを連れていくことにした。
だが、たくさんの人が集まる街へユノアを連れていくというのは、ダカンにとって大きな決断であった。
何週間も悩んだすえ、ようやく決意が固まった。出来れば、ユノアを大勢の人目には晒したくないと思う。街に行けば、ダカンが知らない人間も多数いるので、ユノアを守ってやれないという危惧もある。
それでもダカンが決意したのには理由がある。ミモリが言っていた、ユノアが出会うべき人物のことだ。
その人物も、歴史を動かしていく選ばれし者だと、ミモリは言った。そんな人物が、近くに集まっているとは思えない。この広い世界で、ばらばらに散らばっているのだろう。
その人物とユノアを出会わせるためには、ユノアを積極的に大勢の人がいる場所へ連れていかなければならないというのは、ダカンがずっと思い続けていたことだった。
ファド村で、村人の視線から隠れながら、笑うことさえ控えているユノアを見ているのも可哀想だった。
六年前、三人であの高原に行ったときののびのびとしたユノアの様子は、あれ以来見ることが出来ない。
あんなユノアの姿をもう一度見るためには、やはり村から出なければならないだろう。ディティへ行くことが、今の身を縮めた生活からユノアが解き放たれる突破口になればと、ダカンは期待していた。
ユノアの準備は、カヤが入念に行っていた。ユノアは粗末な着物をまとっているが、内側から滲み出る気品は隠せない。内と外とがアンバランスで、奇妙な存在感を持たせていることにカヤは気付かない。
そして、これでもかという程に黒の染料を髪の毛に塗りつけている。見た目の異様さだけでユノアに興味を持つ人間は危険だ。そんな人間の目には止まって欲しくない。そんな願いを何度も心の中で繰り返していた。
灰色に染まった髪の毛を隠すために、いつものように帽子を被せた。目元の半分まで隠れる、大きな帽子だ。
「いい?ユノア…。出来るだけ、人と目を合わせないようにするのよ。あなたは目を合わすだけで、人の心を捉えてしまうから。ディティに行くのは初めてなんだから。今日は目立たないように。それだけを心がけてね。お父さんの側から離れちゃ駄目よ」
そう言うと、カヤはユノアを強く抱きしめた。どうか何事もなく、無事に帰ってきますように。
この村から出してやりたいというダカンの考えに納得したつもりではあったが、今はやはり不安でたまらない。
「ユノア。そろそろ行こうか」
ダカンが戸口から声をかけた。
ユノアは外に出た。今日は、荷物を運んで行くには絶好の天気だ。
カヤの心配をよそに、ユノアはウキウキしていた。今日が来るのが待ちきれなかったくらいだ。村を出ることに不安もあるが、開放感が遥かに勝った。村人の目を気にしないでいい場所にいけるというには、とても嬉しいことだった。
ダカンからディティの話を聞きながら、ユノアは今日の予定を頭の中で練っていた。ダカンは美味しいお菓子を買ってくれると言った。綺麗な洋服もたくさんあるという。面白い芸をする人もいるという。
自然と、ユノアの顔に笑みが浮かぶ。
家の前には、一台の荷車に山と積まれた野菜があった。絶妙なバランスで詰まれた野菜が落ちないように細心の注意を払いながら、二時間かかってディティの街まで運ぶのは重労働だった。
「じゃあ、カヤ。行ってくるから。留守を頼む」
ダカンが声をかけると、カヤは押さえきれない涙を目に浮かべながら頷いた。
「お母さん、行ってきます」
ユノアは無邪気な笑顔で手を振った。カヤも必死に笑顔を装って手を降る。
ただユノアが出掛けるというだけで、こんなに弱くなってしまう自分自身が情けなかった。
ダカンが前で荷車を引っ張り、ユノアが後ろから押して、荷車はゆっくりと進み始めた。
その姿がだんだんと小さくなり、遂には見えなくなる。それでもカヤは、二人が消えた道を見つめ続けていた。
今気付いたが、ユノアが家に来てからというもの、ユノアと離れるのは今日が初めてなのだ。
カヤは信じられない想いで辺りを見渡した。まるで、時間が止まってしまったようだ。何の音もしない。
真っ暗な家に入り、カヤは座って、両手で顔を覆った。頭に浮かぶのは、ユノアの笑顔だけだ。遂に涙が頬を流れた。
今日はきっと、何も仕事が出来ないだろう。ユノアがいなければ、身体が動かなくなってしまうのだと、カヤは気付いた。