第一章:真実
重力に従って落ちていたカヤの身体が、宙で止まった。背中に、身体を支える感触がある。カヤは驚いて後ろを振り向いた。
そこには、ミモリがいた。ミモリはにっこりと笑うと、軽々とカヤの身体を支えたまま、草原へと降り立った。
ユノアを抱いたまま、腰を抜かして座り込んでしまったカヤのもとへ、ダカンが駆け寄ってくる。
「カヤ。ユノア!」
カヤを背中から抱き締め、その腕の中にいるユノアを覗き込んだ。
ユノアは震えていた。その瞳は、元の茶色に戻っている。
一体何が起きたのか、理解出来ずにいた。あの、まるで自分の身体の中から噴き出したような風は何だったのか。
身を寄せ合う三人の側に、ミモリが座った。頭をぼりぼりと掻いている。
「すまんかったのぅ…。驚いたじゃろう。まさかここまでユノアの力が開花するとは、わしも予想外じゃった」
カヤは擦れる声で尋ねた。
「さっき、ユノアの瞳が神秘的な緑色に変っていました。あれは、ユノアの力が目覚めたという印だったのですか?」
「そのようじゃな。ユノアの中にある神力が目覚めるとき、瞳の色が緑色になるようじゃ」
カヤは茫然としている。エメラルドグリーンの瞳をしたユノアの姿は、まさに神のものだった。
動揺を隠せずに沈黙するカヤの隣で、ダカンが口を開いた。
「…ここは、この場所は一体、何なんです?ここは不思議な場所だ。何というか、…まるで自然と一つになるような感覚を、俺は感じました。ここに来たせいで、ユノアはこんな風になってしまったのですか?」
ミモリは頷いた。
「そうじゃよ。ここは地上に点在する、パワースポットの一つなんじゃ」
「ぱ、ぱわーすぽっと?それは、一体…?」
「大地の底にあるエネルギーが、地上に噴き出している場所のことじゃよ。そのエネルギーとは、地上の生命の源だ。これがなければ、全ての生命は生きてはいけない。いや、その存在すらなくなるじゃろう」
突拍子もないミモリの話に、ダカンとカヤは目をぱちくりさせた。ミモリは笑った。
「ふふ。分からんか。では、こうして見ればどうじゃ?」
ミモリがさっと手を振った。すると世界が、金色の粒子の混じった青緑色に変わった。
ダカンとカヤは目を見張った。聳え立つ山々の頂上から天に向かって、気流が噴き出しているのだ。金色の粒子が動くので、その様子がよく分かる。
もう一度ミモリが手を振った。すると世界は、見慣れた元の色に戻った。
「お前さん達が今見た色が、大地のエネルギーの色なんじゃよ。エネルギーは、この世界全体に満ちておるのじゃ」
ミモリはユノアに目を向けた。ユノアは相変わらずぼんやりとしている。
「ユノア。お前さんには分かっておったのじゃろう?わしがわざわざ見せてやらんでも、このエネルギーの流れを感じておる筈じゃ。それは、普通の人間には分からないことなんじゃよ」
そこでミモリの言葉を切ったのは、ダカンだった。ミモリの話が、今日ダカンがユノアに伝えたかった話の核心に触れそうだったからだ。
「ミモリ様…。どうかそこまでで…。ここからは、俺に話をさせてください」
ミモリはうーんと唸ると、腕を組んで押し黙った。
「ユノア…」
ダカンが呼びかけると、ユノアはゆっくりと顔をあげた。その目に宿る光は、とても弱く見えた。
「ユノア。ずっとお前に隠してきたことがある。そのことを伝えるために、俺達は今日ここに、お前を連れてきた。他の誰にも見つからない場所で、お前と話がしたかったからだ。…ユノア。お前は、俺達の本当の子供じゃない」
びくりとユノアの身体が震えたのを、カヤは感じていた。
「あれは、四年前の夏の夜のことだった。見たこともないような美しい満天の星空だった。その星空から、大きな光が降ってきたんだ。その光が地上に落ちた後、赤ん坊の泣き声がした。そこにいたのが、お前だった」
ユノアは唇を噛み締めて、ダカンの言葉に耳を傾けていた。
「…最初から、お前が俺達と同じ人間ではないということは分かっていた。それを承知で、俺とカヤはお前を育て始めた。だから俺達は、お前がどのようにに育っていこうとも、それを全て受け入れることができる。例えお前が、宙に浮こうとも、木を操って風を呼んだとしてもだ。だがそれを他の人間が見たらどうなる?人間とは、常識に囚われる生き物だ。常識以外の力を使うお前を恐れ、敵視するかもしれない。その力を利用しようとする奴もいるかもしれない。だが、俺達には、そんな連中からお前を守ってやる力はないんだ」
ダカンはそっと、ユノアの頭に手を置いた。
「俺だって、出来れば、お前に打ち明けたくはなかった。ユノアは俺達の実の娘だと言えれば、どんなに良かったことか…。だが、お前は日に日に大きくなり、その力を増していくようだった。お前に打ち明けたのは、その力を自分で制御し、人前で使うことのないよう、自重して欲しいからだ。お前が自分で自分を守れるようになるまで、もしくは、お前を守ってくれる誰かと巡り合えるまで、お前が普通の人間ではないと、他の人間に知られてはいけないんだ」
興奮ぎみに一気に喋ったダカンは、言葉を切ってユノアの様子を窺った。だがユノアは、ダカンに何も返事をしようとしない。
すると、それまで黙っていたカヤが口を開いた。
「馬鹿、ダカンったら…。そんなに一気に捲くし立てられたら、ユノアが混乱するのは当たり前でしょう?この子はまだ、四歳なのよ…」
カヤはユノアを抱き直すと、あやす様に身体を揺すり始めた。
「ユノア、勘違いしないでね。私達は、あなたと出会えて本当に良かったと思ってる。あなたが家に来てからというもの、どんなに毎日が楽しくなったことか:。あなたが笑う度、私達も幸せになった。仕事をすることも、辛くなくなったわ。一生懸命仕事をして、あなたのための食べ物を買ったわ。それを食べたあなたの笑顔を見るのが、私達の生きがいになったの。:決して、あなたのその力が重荷になっているわけじゃない。その力を世間に知られることで、あなたと一緒に暮らせなくなるかもしれないことが恐ろしいのよ。もう私達は、あなたなしでは生きてはいけないから」
カヤの腕の中で、ユノアが激しく震え始めた。その目から、大粒の涙がこぼれている。
「お母さん、お母さん…!」
カヤにしがみつくと、ユノアは泣きじゃくり始めた。
「…やっぱり私、お父さんとお母さんの子じゃあ、なかったんだね。分かってたんだよ。だって私、全然似てないもの。…髪の毛の色を黒くしてたのも、私が普通じゃないからなんだよね。他の村の人達に隠そうとしてたんだよね。でも、怖くて聞けなかったの…」
ダカンとカヤは顔を見合わせた。何ということだろう。子供だと思っていたユノアは、二人の予想以上に、敏感に違和感を感じ取っていたのだ。
「…私は、お父さんとお母さんの側にいて、いいんだよね?」
これが、ユノアが一番恐れていたことだった。ダカンとカヤの子でないと認めれば、二人の側にいられなくなるかもしれない。
今までユノアが抱えてきた不安の大きさ。それは、ユノアの嗚咽が物語っていた。
「ユノア…。ごめん。ごめんね…」
カヤはユノアに何度も謝った。ユノアの悩みに気付いてやれなかった自分が、情けなくて仕方がなかった。
「絶対に放さないわ。ずっと一緒にいようね。ね?ユノア…」
カヤの問いかけに、ユノアは何度も頷いた。
ユノアが落ち着いてきたのを見計らって、ダカン達は帰ることにした。この場所では、やはりユノアの力が強まってしまうからだ。これ以上ユノアの力が強まるのは、今の三人にとっては辛いことでしかなかった。
再び開いた木のトンネルの入り口の前に立った三人を、ミモリが呼び止めた。
「ユノア…。これだけは忘れんでおいてほしいんじゃ。お前さんは、一人ぼっちじゃないということを。ダカンもカヤもおる。そしてこのわしも、お前さんの味方じゃ。孤独というのは、最大の不幸じゃ。人を弱くし、狂気に駆り立てる。よいか?お前さんは常に誰かに愛されておる。忘れるなよ…」
ユノアは困惑げにミモリを見つめた。その言葉の意味が、今のユノアにはよく理解出来なかった。だがその言葉は、胸の奥深くに刻みこまれた。
ミモリを草原に残したまま、三人はトンネルの奥深くへと姿を消した。