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***忘れものをした私***

 会社に休む連絡をしたあと、いつの間にか寝ていた。


 再び目が覚めたときには、もうお昼を過ぎ。

 我ながら呆れてしまうほどよく寝ていたと思ったけれど、久し振りに長く睡眠がとれたおかげで、あれほど重かった頭も大分良くなった。


 体調が戻ると、元気も出てくる。

 元気が出てくると、お腹が減る。

 冷蔵庫からトマトとレタス、それにスライスチーズと生ハムとオリーブを出してマスタードを塗ったパンで挟みサンドイッチを作り、窓を全開に開けてカモミールティーと一緒に遅い朝食を摂った。

 窓から緩やかに吹き込んでくる風が、爽やかな気持ちにさせてくれる。

 風が運んで来る爽やかな香りに、今日一日をこのまま部屋で寝て過ごすことがもったいなく思えて、街に誘われてみることにした。


 シャワーを浴び濡れた髪をドライヤーで乾かし、顔に化粧水を塗る。

 ストッキングを履いて、ブラウスを選ぶ。

 今日のブラウスは、淡いアイボリーのボウタイブラウス。

 スカートはランバンの膝丈ペンシル。

 それにレースのカーディガンを羽織って、お嬢さん風OLの出来上がり!

 遊びである証拠に、バッグはゼブラ柄が魅力の、ハドソン ミニ スクエア クロスボディを肩に掛ける。

 そしてパンプスは、ルブダンの‎ガラティビ‎。

 黒いレースのボディーに10cmのハイヒールと、ルブダンならではの真っ赤な靴底がセクシー。

 この靴を履くだけで、お嬢さん風OLのアバンチュールな旅が始まるのだ。

 軽くお化粧をして、青い空の下を闊歩して大通りに出ると直ぐにバスが来たので乗った。

 街の中を軽快に走るバス。

 車窓から外を眺めていると、学校が終わって家路に急ぐ小学生や自転車に乗って買い物に走るお母さんたちを、凄いスピードでドンドン追い越して行くのが可笑しくて窓の外を見ていた。


 少し開けた窓から入って来る風が心地いい。


 バスは、やがて駅に着いてバスを降りた。目的地は特に決めていなかったけれど、久し振りに川の近くに行きたくて二子玉川に向かった。



 ◇◆◇◆◇◆



 二子玉川の大型ショッピングモールで、このビルの運営会社の人と広告の打ち合わせを終えオフィスから一旦外に出て時計を見るともう5時を過ぎていた。

 このまま帰っても、どうせ九段下の会社に着く頃には6時を過ぎる。

 広告の印刷は受注して、あとはデザインの出来上がりを待つだけだから、急いで会社に戻っても特に何もすることはない。

 趣味ではないが、折角お洒落な街に来たのだから、少しぶらつくことにした。


 特に買いたいものはないし、ショッピングモールをぶらついても何も買うことはないだろう。だいいち俺自身、左程お洒落には興味もない。


 それなのに何故、こんな気持ちになったのだろう?


 目に付くのは婦人用のお洒落な洋服ばかり。

 普段、気にも留めていなかったのに……。

 理由は自分でも直ぐに分かった。

 気になる洋服に目が留まる度に写し出されるのは、それを着たリリーの姿。


 もう居ないと思えば思う程、込み上げてくるのは未練に間違いない事は分かっていた。

 でも、それは好きと言う感情ではない。

 どちらかと言うと、娘を手放してしまった親の感情に似ていると思った。


 “まだ結婚もしていないと言うのに、馬鹿だな、俺は……”


 今日、町子さんたちが会社に来て、リリーの魂を除霊したと言う報告が俺にじわじわと重くのしかかってくる。

 それは俺の居ない間にリリーが遠く手の届かないところに行ってしまったと言う後悔。


 あのあと水沼に言われた。


「もしも、大井編集長がお前にリリーの除霊を頼んだとしたら、お前はそれを受けることができたのか? そしてリリーが苦しまないように、チャンと除霊してやれたのか?」と。

 除霊をするには、それ相応の決意が必要になる。

 怨霊は除霊を妨げようと、あらゆる手を使う。

 中でも除霊者を惑わせるのは、攻撃ではなく哀れみを訴える事。

 哀れに思って除霊を躊躇ったら最後、怨霊は強烈な悪霊に姿を変えて襲って来る。

 もし、俺がその場にいたなら……。


 答えはハッキリしていた。

 屹度、俺には出来っこない。

 もし仮に、それをやったとしても、苦しむリリーの姿を前にしたら、心が竦んでしまい留めを挿す事は出来ないだろう。

 苦しみ続けるリリーをただ茫然と見つめ、立ち尽くすのがオチ。

 結局その間にリリーの怨霊は悪霊へと変わってしまい、俺は町子さんや南君に大きな迷惑を掛けたことだろう。

 いや、迷惑を掛けただけで済むはずもないか……。


 それなら、やらない方がましで、気丈にそれを実行した町子さんを恨むのは筋違いだ。



 俺がまだ学生の頃、家を離れて単身で東京の学校に行っている間に、リリーが死んでしまったあの時を思い出す。


 叶わない夢を追ってリリーと離れ、永遠に会えなくなってしまった時の事。

 どうせ叶わないのなら、あの時東京に出ずにリリーと一緒に居て、その最後の時を暖かく見送ってあげれば良かった。


 俺は昔の忘れ物を取りに行けないまま、ここでもまた忘れ物をしてしまった。

 そう思うと、いたたまれなくなり、足早にショッピングモールの外に出た。



 ◆◇◆◇◆◇



 ショッピングモールでウィンドショッピングを楽しんでいるときに、ふと爽太さんの匂いを感じて、その場に立ち止まり辺りを見渡した。


 でも、自信はなかった。

 だって、爽太さんがこんな婦人服の並ぶ所に居るなんておかしいし、その匂いだって以前ほど強くは感じられなかったから。

 それでも匂いを追いかけずにいられなくて足早にフロアを歩いていると、女性ばかりいるフロアの奥から、出て行こうとしている背が高くて肩幅のある背広姿の男の人の後ろ姿を見つけた。


 背が高くてスラッとした肩幅の広い後ろ姿は、間違いなく爽太さんのもの。

 その後姿は、直ぐにエスカレーターの方に向かい、見えなくなった。


 私は慌てて、その後姿を追った。

 エスカレーターの手前の通路ではバーゲンが行われていて、品物を漁るオバサマたちに前を塞がれて見失ってしまう。

 やっとのことで、混雑したバーゲン会場を通り過ぎ、クンクンと鼻を鳴らして匂いを探す。


 そのままエスカレーターに乗ったのか、それともフロアの先に進んだのか?

 エスカレーター独特のワックスの匂いが強烈で、爽太さんの匂いが薄まっていた。

 匂いが薄いと言う事は、フロアを移動したに違いない。


 ”上か、下か?”


 一瞬立ち止まりそう思ったが、私はエスカレーターに乗って下の階に向かった。

 階段を降りるように下の階へ着くと、薄っすらとした匂いが更に下の階へ続いている事が分かり、そのまま駆け下りると、今度はその匂いが外に向かっているのを感じた。


 匂いを追いかけて、私も外に向かう。

 しかし、だいぶ距離が離れている。

 フロアを駆け抜けて外に出ると、秋の心地よい風の中から微かな爽太さんの匂いが運ばれてきた。

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