***リリーと私***
町子さんと南君が帰っても、俺は会議室から出ることが出来なかった。
折角リリーと再会することが出来たと言うのに、それを事も有ろうか俺に何の相談もなしに消し去ったと言うのだ。
“何という事を……全く何という事を……”
急に苛立って、拳を握り締めて、思いっきり机を叩いた。
バンッ と言う音が響いて、口を付けられていない三人のカップから珈琲がこぼれた。
机に八つ当たりしても何にもならないのに、何をやっているんだろう。馬鹿馬鹿しい自分の行動に情けなくて涙が出て、顔を覆ってうずくまる。
“コンコン” とドアをノックする音。
鈴木さんが、珈琲カップを回収に来たのだろうと思い「どうぞ」と応える。
しかし入って来たのは、鈴木さんではなくて水沼。
「聞いていたのか……」
「ああ、隣の部屋で作業をしていたからな……」
「まったく、趣味の悪い奴だ」
「お前の友人として長く付き合っていると、趣味も悪くなるさ」
水沼は、喋りながら机にこぼれた珈琲を雑巾で拭き、カップをトレーの上に片付けていた。
俺は思い切って水沼に意見を求めることにした。
こんな不思議なことなんて、俺には分からない。
「どう思う?」
俺の言葉に、水沼は持っていたカップを空中で止めてしばらく間を置いてから答えた。
「仕方なくはないか?」
「……」
「人にしても動物にしても、一旦死んだら、そこで終わるんだ。それは、死んだ者だけじゃなくて、生きているものも同じだ」
「生きているものも?」
「そう。優しかったお爺ちゃんやお婆ちゃん、頼もしかったお父さん――。俺たちは、その死を悲しみ、そしてその先に進んで行く。お父さんが頼もしかったように自分も確りしなくてはと思い、祖父母が優しかったように自分も孫に優しくする。いなくなった人の代わりの役目を引き継いで行くんだ」
「……」
「俺の母さんは、俺が小学4年生の時に事故で死んだ。まだ33歳の若さでだ。中学や高校、大学で友達の家に遊びに行くたびに、そして街で幸せそうな家族を見るたびに、何度ももう一度会えたらって思った。でも、それは叶わない。もしも今回のリリーちゃんみたいに現れてくれたら、どんなにか嬉しいだろうと正直羨ましかった。だけどな、柴田、こんなのは夢の中で充分なんだよ」
「夢の中で?」
「そうさ。一旦死んだ者が生き返るなんて言うのは、夢で充分。いや夢でないと困る。ズーっと居続けられたら、生きている方がどうにかなっちまう」
「そうなのか?」
「そりゃそうだろ。今の俺には俺の家庭がある。長女は中二で長男は小学6年生、カミさんは今年で40だ。その家庭に33歳の母さんは相応しくないだろ。お前だって、誰かと結婚して一緒に住むようになったときに、人間の姿をしたリリーは飼えないんだぜ!」
“アッ!”
水沼に言われて、ようやく気が付いた。
リリーはスピッツ犬であって、人間ではない。
どんなに松岡麻里さんが美しくても、それはリリーじゃない。
リリーは、あくまでも白いスピッツ犬だ、誰が来ても気兼ねなく膝の上に抱きかかえて可愛がることが出来る……。
でも、松岡麻里さんは人間。
松岡麻里さんをリリーとして膝に抱きかかえながら、俺は町子さんと楽しく話をしているところを想像してみた。
犬ではない人間を膝の上に抱えて……ありえない。
これではまるでハーレムの王様じゃないか。
こんな状況で対等なお付き合いなんて出来っこないことは、誰にだって分かる。
俺はその麻里さんをリリーと同じように可愛がることが出来るのだろうか?
そして、町子さんはそれを許すだろうか?
いや、もしも町子さんが許してくれたとしても、決して社会は許してくれないだろう。




