***ボロボロに切り裂かれる私!??***
「ゴメンナサイ! 何の相談もしないで」
九段下印刷の打ち合わせ室で、町子と南は柴田爽太に事の次第を説明し終わると、椅子から降りて土下座をした。
「チョッと待ってください。言われている意味が今ひとつ分からない。だって、松岡麻里さんはリリーの生まれ変わりなんだろ?」
「麻里ちゃんが自ら言っていた輪廻転生説ですね」と、南君が顔を上げて言った。
「ああ。そのとおり」
「僕も最初はそれを信じていました。しかしある時、疑問が出て来ました」
「疑問とは?」
「それは犬のリリーが死んで、松岡麻里として生まれ変わった場合の不条理な事実です」
「不条理な事実?」
「そう。前世であるリリーの記憶がほんの少しだけ残っていて、何かの拍子に偶然貴方と合い、その記憶が蘇る。と言う輪廻転生説は、実際に行った事も無い初めての景色を見て懐かしさを感じるという経験から、ある程度立証できるかもしれません。ところが、今回の場合リリーが貴方を見つける切掛けになったのは、貴方の匂い。……でしたよね」
そこまで言うと、南は一旦話を止めて、相手の答えを待った。
「ああ、確かに。彼女は中学の時、家族で東京に遊びに来たときに、偶然そこに居合わせた俺の匂いに気が付いて、それが懐かしい人の匂いだと感じたと言っていた」
「それだけではありませんよね。麻里ちゃんは原宿で偶然貴方の匂いを感じて、自分が柴田さんの飼い犬だったことをハッキリと認識したし、深大寺で会った時も貴方の匂いに気が付いてそれが再開の切掛けになった。……間違いありませんよね」
「確かにその通りだけど、それがなにか?」
「おかしいとは思いませんか? 人間なら普通目で認識するものでしょう。例えば思い出すにしても “貴方を見た” なら分かりますが “貴方の匂いを感じた” と言うのはおかしい」
「それは、何故?」
「それは、貴方が強烈な臭いを放つほどの体臭の持ち主ではないと言う事です。男だから当然、香水も着けていない」
「それが、何故“おかしい”と繋がるのですか? 俺には全然、君の言っている事が分かりませんが……」
「だって、そうでしょう。柴田さん、貴方は街で久し振りに人と会った時、先ずそれを何で確認しますか? 人混みの中で知り合いを見つけ出すのは、その人の匂いを鼻で嗅ぎ分けるのではなく、目ですよね。目で見て初めて友達と分かるはずで、決して匂いじゃない」
「しかし、それは松岡麻里さんがリリーの生まれ変わりだったから、そうだったのではないですか?」
「それは無理です。松岡麻里が人間である以上……」
いままで二人の口論を黙って聞いていた編集長が、スクっと立ち上がり言った。
「実は私、その事が気になって、大学病院の先生に相談したのです。 “もしも前世が犬だったとして、それが人間に生まれ変わったとき元の犬としての能力を引き継ぐことが出来るのか?” と。突飛な私の質問に先生は戸惑っていましたが、真剣に質問している私を見て先生も真剣に考えてくれた結果、答えはNOでした。先生によると “輪廻転生患者を診たことがない” と言う前置き付きですが、物事の判断基準に元の優れた能力の部位を使うことはあるかも知れませんが、こと嗅覚と言う事になれば犬は人間の1000万~1億倍と言われます。一旦人間として生まれてきた以上、元が何であれ、その人間の能力を超える事は有り得ないと言う事です」
「人間の能力を超えられない……」
「そうです。ですから、人間としての松岡麻里には人混みの中から貴方を目で見つけることは出来ても、決して鼻で匂いを嗅いで見つけることはできません」
「……できない」
柴田さんが、その言葉を繰り返した。
「そう。麻里が人混みの中で貴方の匂いをかぎ分けられるというのは、既に人間の能力を超えているのです」
「そして、その能力を超えられるとしたならば……」
「憑依――と、いうことなのか?」
「そう。科学的には何も証明はされていませんが、それを可能にするのは怨霊や地縛霊による “憑依” しかありません」
「そして憑依した怨念や地縛霊は、漫画や小説の中では時が経つにつれ悪霊に変わる恐れがあるそうです。もし、悪霊に変わらなかったとしても、元の――つまり憑依元になった麻里ちゃんの人格を破壊し出す可能性は高いでしょう。それはリリー自身の自己防衛のために」
「人格破壊……」
「そう。リリーが柴田さんを好きであればあるほど、松岡麻里の意識的介入を排除していこうとするのです。その結果、麻里の精神はリリーによってボロボロに切り裂かれるのです」




