***スーパーナチュラルな私***
麻里は帰って来るなり、黙々と残った仕事をこなしていた。
“あれ? 全然結界が効いていないじゃない??”
驚いてはみたものの、結局“結界”なんてものは映画やドラマの中でしか見たことがない事を思い出す。
お化けにしても悪魔や、それを退治する結界にしても結局はSuper natural(超自然現象)だものね。
あーなんか、まんまと南君に乗せられたわー……。
と、後悔した途端、麻里の異変に気が付いた。
いつもニコニコしている麻里の顔が歪んで怒っているような顔になり、パソコンのモニターを睨み付けながら、なんだか体がピクピクと震えているしパチパチと薪が燃えて弾けているような音が微かに聞こえてくる。
“まっ、まさか本当に憑依が解けるの!?”
私は咄嗟にテーブルに置いたままにしていた聖水を手に取った。
そう、リリーの怨念と闘うために。
◇◇◇◇◇◆
メールのチェックをしながら、新宿のコンビニエンスストアで買った“口の中で弾けるメロンソーダ味のパチパチキャンディー”と言うお菓子を一粒口に入れてみた。
一粒と言っても、その一粒は普通のキャンディーほどの大きさも無くて、砕けて割れた金平糖の欠片くらいの大きさしかない。
“あれっ、なんか普通じゃん”
そう思った次の瞬間、パチンと口の中で何かが弾けて溶けた。
“なにこれ!?”
おもわぬカルチャーショックに一瞬吹き出しそうになったけれど、今は仕事中。
それに編集長と南さんの只ならぬ様子を見ると、とても噴き出して笑うわけにもいかない。
しかもそのうちの一人、編集長はさっきから私の顔をずっと見ているし……。
メールのチェックをしながら、今日の事を思い出していた。
編集長は私がまだチャームと呼ばれていた頃に、捨ててしまったトラウマがあって、私が思うよりもリリーの幸せを祈ってくれている。
だから今日の打ち合わせも、私に任せてくれた。
おそらくは、南さんが無理やり引っ張って来たのだと思うけれど、私と爽太さんの様子を見に来てしまう。
断ることも出来たはずなのに、断り切れなかったのは、言うまでもなく爽太さんのことが好きだからに違いない。
考えながら一粒弾けるキャンディーを口に頬張ると、またパチパチと弾けて体が自然にプルプルと震え、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。
爽太さんも編集長と同じ。
私が一方的に好きだと告白して、私がリリーだと分かったときからズット優しくしてくれてはいるけれど、今日お蕎麦屋さんの前で編集長を見た瞬間の動揺は只事ではない。
さすがに私が見染めただけあって、みっともなく取り乱したり言い訳したりするようなことはなかったけれど、あの急激な心拍数の上がりようは例えるなら浮気がバレた旦那さん。
食事中も平常通りの私と南さんとは違って、爽太さんと編集長の心拍数は上がりっぱなし。
まったく二人とも初心なんだから。 こっちの方がドキドキするじゃない。
しかし、これからどうしたらいいのかしら?
編集長は過去のトラウマから、身を引く気満々だし。
かといって、爽太さんの心もフラフラしているし……。
これじゃあ二人にとって、私と言う存在は、ただのお邪魔虫じゃない?
考えれば考えるほど、ムシャクシャしてきてキャンディーを無造作に摘まんで口の中に入れて“しまった!”と、思った。
ついつい考え事に夢中になって、このキャンディーが弾ける事を忘れて、一掴みも口の中に放り込んでしまった。
キャンディーは唾液によって溶かされて、その溶かされた飴の中に仕込まれた炭酸が唾液と反応して弾ける仕組み。
だから沢山頬張ったことに気が付いたあとで思いっきり唾液が出ないように踏ん張ってみたけれど、パブロフの犬よろしく味のあるものが口の中に入ると条件反射的に唾液が出てしまう。
それもチョット酸っぱいメロンソーダ味なら、なおさら。
口の中に含んだ大量のキャンディーが一斉に溶けだし、次々にパチパチと弾けだす。
それはまさに戦場!
所狭しと、弾ける爆弾は、あっと言う間に口の体積以上に膨れ上がる。
“もう駄目! これ以上我慢できない!”
早く台所の流しに吐き出さないと!
そう思って、慌てて席を立った。
しかし、私の席と台所の間には、何故か編集長が立っていた。
いや、立ちはだかっていた。
◇◇◇◇◇◆
麻里が急に席を立ち、私の方へ突進してきた。
その顔は、いままで見た事も無いほどの物凄い形相。
思わず「南君!」と助けを呼んだ。
南君は大麻を手に取ると、私に向かって「聖水!」と叫ぶ。
そうだ私の手には、これがあったのだ!
目を瞑って、突進してくる麻里――いいえ、リリーの怨念に向けて聖水を振りまいた。
直ぐに南君が隣に並んで、大麻を左右に振りかざす。
リリーの突進は一時的に止められた気がするけれど、このあといったい何が起こるの?
時間が止まった世界で、時計の針だけがカチカチと鳴り響く。
私の前で、聖水を浴びて動きの止まったリリーの喉が「クククッ……」となる。
その声は、苦しんでいるようにも聞こえ、またあざ笑う様にも聞こえた。
“ヤバイ! 反撃される!!”
そう思って逃げようとした瞬間、リリーの様子がおかしいことに気が付いた。
口の端から緑色の液体がツーっと一筋、糸を引くように流れたかと思うと「カハッ!」と声を上げ、その場にうずくまり咽るように苦しそうに咳をする。
思わず背中を摩っていると、麻里の体内から異様なものが流れ出ているのが分かった。
白い大理石調のタイルの床に吐き出されたのは、この世の物とも思えないグロテスクな緑色の物体。
しかもシュワシュワと泡を吹きながら、まるで燃えるようにパチパチと弾けている。
「編集長、とどめを!」
南君に言われて、その緑色の物体に追い打ちを掛けるように聖水を浴びせると、激しく唸り声を上げるように、シュワシュワパチパチと鳴ったあと、静かな緑色の水に戻った。
夢中だった。
夢中で二度も聖水を掛けてしまった後、気が付いた。
リリー……いや、私はこの手でチャームを殺してしまったのだと。
そう思った瞬間、急に体の力が抜けて、その場に座り込んだ。
目から止めどなく涙が溢れ出て、吐き出されたチャームの怨念の上にポタポタと滴を落としていた。
私はチャームを捨てただけでは飽き足らず、怨念として生き返ったチャームを殺してしまったのだ。
私は泣き崩れ、何度もチャームの名前を叫んでいた。




