***騒々しいお店の外と私***
よく見るとその男は、落ち着きなくビルに体を隠しながら顔の半分だけ出して様子を窺っていて、その姿は誰がどう見ても怪しいとしか言いようがない。
“ストーカー!?”
麻里はあのように可憐な容姿だから、ストーカーに目を着けられてもおかしくはない。
“麻里を守らなければ!”
「南君! 通りの反対側にまわって!」
「えっ、なんで??」
「見て分からないの? ストーカーよ、あの男!」
「りょっ、了解!」
ストーカーと聞いて、南君は慌てて反対側の通りに行くために、逆方向に走り出した。
私はストーカーに気付かれないように、電柱や止まっている車の影を利用して巧みに接近していった。
◇◇◇◇◇◇
「何にする?」
爽太さんが広げたメニュー表には、冷たいお蕎麦と温かいお蕎麦の二つの項目に分けられて、何種類かのお蕎麦のメニューが書かれてあった。
「お蕎麦しかないですね」
そう言って笑うと「嫌だった?!」と、爽太さんは急に慌てた顔になり可笑しかった。
「いいえ、予想していました。相変わらずお蕎麦が好きでホッとしました」
「ホッとした?」
「だって、変わっていないでしょ。長野に居たときから」
「そ、そうだね。歳だけは取ってしまったけれど」
出されたおしぼりで汗を拭く爽太さんは、さも愉快そうに笑う。
私も釣られて笑い返したけれど、少し寂しい。
だって私のほうは、爽太さんと同じ時間を生き抜くことが出来ずに一度死んでしまって、もうあの頃のスピッツ犬のリリーのまんまじゃないんですもの。
◇◆◇◆◇◆
編集長に言われ、走って裏側にまわると、既にストーカーと編集長が対峙していた。
相手は特に武器になるようなものは持っていないみたい。
背丈は標準位だけど体つきは華奢な部類だから、安全な部類かも知れない。
だけどストーカーは追い詰めると、何をしでかすか分かりはしないから、油断する訳にはいかない!
相手に気付かれないように、後ろからそーっと近づく。
そして両手を伸ばして、その体をホールドしようとした瞬間、僕に気が付いた編集長がニコニコの笑顔を向けて声を掛けてきた。
「南君、こちらは柴田さんと同じ会社の水沼さんよ」
羽交い絞めにしようと持ち上げていた手を止め「えっ? ストーカーじゃなかったんですか??」と、呆気に取られて固まった。
「ス、ストーカ~!? 俺が? 失礼だな、君!」
水沼と呼ばれた男が、怪訝そうに僕の持ち上げていた両手を見たので、バツが悪くて何事もなかったように降ろしてペコリと頭を下げた。
「ホント失礼よ、南君」と編集長も続けて同じことを言う。
“おいおい、自分で言っておきながら、いきなりの手のひら返しかよ!”
心の中ではまるでムンクの絵のように頬に手を当ててそう叫んだものの、小文舎の編集長と言う立場と取引先の社員と言う関係では、まさか編集長自らが“実は私がストーカーだと間違えました”なんて言えるはずもないと思い、その叫びを胸に閉まっておく。
抗議の意味を込めて大井町編集長に目を向けると、まるで僕をお地蔵さんとでも勘違いしているように両手を合わせて拝んでいた。
“貸し、ひとつですよ。へんしゅうちょう”
「ところで大井編集長、こんな所で何しているんですか?」
僕に手を合わせている最中、急に振り返った水沼さんに聞かれた編集長の慌てる様子が可笑しかった。
意外に天然系で、可愛い。
理由を聞かれた編集長だけど、まさか取引先の社員の目の前で“お宅の柴田さんがうちの社員を連れて、昼食に出たのをつけて来ました”なんて言えやしない。
さて返答は如何に?
興味本位で編集長の言葉を待っているところに、近くから蕎麦の好い匂いがしてきた。
クンクンと鼻で臭いを嗅いでいる僕に、水沼さんは「どうかしましたか?」と声を掛けた。
「いえ実は、帰社するために飯田橋で降りたら丁度お昼時だったので、どこかで食べて帰ろうかってことになりましてね、そしたらどこからともなく蕎麦の好い匂いがするじゃないですか。それでその匂いに誘われてここまで来たんですが、どこですかねぇ?」
“南君、ナイス!!”
水沼さんに “こんな所で、何をしているんですか?” って聞かれて、返事に困っていた。
まさか自分で送り出しておきながら“麻里と、おたくの柴田さんの関係が怪しいと思ってつけて来ました”なんて言える訳もないもの。
「ところで水沼さんは、どうしてここに?」
ビルの影に隠れるように、まるで探偵かストーカーみたいな恰好で近づいて来た水沼さんを不審に思い聞いてみた。
“マズイ。地雷を踏んじまった!”
独身貴族の柴田だが、密かに想いを寄せている人があるとしたならば、いま目の前にいる小文舎の大井編集長に間違いない。と、俺は睨んでいる。
その大井編集長を前にして“柴田が、おたくの美人編集者にメロメロで、いま二人で蕎麦屋に入っています”なんて言えるはずもない。
俺は、咄嗟に店が外に出しているイーゼル看板の前に立ちそれを隠して「この辺りに、いい中華料理の店があるって聞いて来たのですが、一本通りを間違えたみたいです。 どうですか? 一緒に」
「そっ、そうね……」
大井編集長がそう答えてくれて我ながら上手く誤魔化せたと思った矢先、南君が鼻をクンクン鳴らしながら近づいて来るものだから、体重が後ろ寄りになって隠していた看板を倒してしまった。




