***ドキドキな打合せに心を躍らせる私***
柴田を会議室に送り出しデスクに戻ろうとしたとき、ちょうど小文舎の大井編集長を会議室へ案内してきた鈴木さんが戻って来たので立ち止まって待って様子を聞いた。
「どう。大井編集長、おめかししてきていた?」
「はあ……」
溜息をつく鈴木さん。
どうも様子がおかしい。
「どうした?」
「それが、いらっしゃったのは大井編集長ではなくて……」
「大井編集長ではない。じゃあ倉橋さんか田崎副編?」
「……違います。もっと若くて、綺麗な人」
「綺麗な人? どんな感じ?」
「普通の綺麗な人と言うより、女優かモデルさんみたいな人でした」
「芸能人に例えると、どんな人?」
「例えると……たとえると……チョッとハーフっぽくて」
「ハーフっぽいって、ロー〇みたいなガチで外人系なの? それとも中条あ〇みみたいな日本人っぽいハーフ?」
俺は、気になって仕方がなくて鈴木さんの答えを急かす。
「おそらく、日本人ぽい方だと思います……」
「例えるなら、誰?」
「えーっと……」
「誰、誰?」
「ス・スピッツみたいな」
「スピッツ!? そりゃあ男性の音楽グループじゃないか」
「あー、そのスピッツじゃなくて、犬の……ほら真っ白で鼻がキリッとして目のクリクリの」
「美女の例えがスピッツ……それじゃあ、柴田の“携帯の君”じゃないか」
「あっつ、それ! まさにそのイメージ、柴田さんの待ち受け場面“携帯の君”です!」
鈴木さんが、ハッとして重大なことに気が付いたように、人差し指を立てて言った。
「そんなバカな……」
そう言いながら俺は、打ち合わせ時間を待つ間の柴田の態度が、いつもとは明らかに違ったことを思い出していた。
「これは、なにかある……鈴木さんチョッといい」
「はい?」
俺は、鈴木さんを傍まで呼び寄せると、小さな声で耳打ちした。
◇◇◇◇◇◇
会議室に入ると、そこにはもうリリーが姿勢正しく起立して待っていた。
「やあ、おまたせ! いつごろ到着しました?」
「10分前には付いていましたわ」
スーッと、高い鼻先をツンと上げて、自慢そうな顔をしたリリー。
昔と少しも変わらない仕草に、愛おしさが込み上げてくる。
「早く着いたのは偉いと思うけれど、打ち合わせ時間までに着けば良いわけだから、自慢にはならないよ」
「えー褒めて貰えると思ったのにぃ! リリーは褒めて貰って伸びる子ですよ!」
たしかにリリーは褒められるのが大好きで、褒めることで色々なことを直ぐに覚えた。
だからほっぺを膨らまして抗議するリリーの可愛い顔に負けて、頭をナデナデする爽太は、そのときようやく気が付いた。
「髪、切った?」
「もー。今頃気が付くなんて、鈍感ですよ!」
「どうして切ったの?」
「秘密です」
「なにか、心境の変化とか?」
「言えません」
聞いて行くうちに、リリーの顔がだんだんと楽しそうな顔になると思っていたが、実際はその逆に曇るのが分かったので聞くのをやめた。
そう、女性が髪を急に短くすると言うのは、それなりの理由があると聞いたことがある。
だから、理由は聞かないでただ「よく似合うよ」とだけ褒めると、リリーは少しだけ俯き加減で「ありがとう」と、はにかむように微笑み返してくれた。
その様子が何とも艶っぽくて、いつの間にか引き込まれるように、そのしなやかな体を抱き寄せていた。
ほんのりと伝わってくる温かさ、シャンプーの香り、白い肌……まるで洗い上がりのリリーをドライヤーで乾かしたあとで抱っこした時のよう。
リリーが顔を上げ、その大きな瞳が俺を捉える。
こういう時、いつも次に来るのは顔舐め。
だけど、いまのリリーは犬じゃないから――そう思いながらも、思わず顔が強張るのが自分でも分かった。
リリーはクスッと笑うと、俺の腕の中から抜け出し
「舐めたりしませんよ。もう、わたし犬じゃないですから」
と背を向けると「こっちの椅子でいいですか」と椅子を引いて打ち合わせの準備を始めた。
「さあ、爽太さんも早く、早く」
促されて机に着くが、なんとなく期待が外れたような寂しさを感じてしまった。
そう、ここは社内。
そして今は、仕事中。
◆◇◆◇◆◇
爽太さんに抱き寄せられ、その暖かささに包まれた時、昔そうしてくれた時と同じ懐かしさを感じた。
見上げるとあの時と同じ優しい瞳が私を捉えていて、思わずその唇に自分の唇を合わせたいと言う欲求に苛まれてしまう。
体の芯から熱いマグマのような感情が噴き出しそうになり、感情に身を委ねようとする体と、それを止めようとする意志が交差して私はスルリとその腕の輪から逃れるように体を外し、何事もなかったように打ち合わせの準備を始めた。
社会人が、仕事中にして良い行為ではない! と自分に言い聞かせる。
鞄の中から、企画会議で既に決定した資料などを、取り出す。
もちろん心の中はまださっきの余韻でドキドキが止められずに、まともに爽太さんの顔を見る事は出来ないので、そのぶん作業をテキパキと進めて誤魔化す。
爽太さんも私のペースに合わせるように、直ぐに仕事モードに切り替えてくれ、打ち合わせはスムーズに進むと思われた。
でも、やっぱり無理。
打ち合わせが進むにつれ、身を乗り出すように資料を見てくれる爽太さんの顔が近づき、質問をしてくる日に焼けた逞しい指が私の白い華奢な指に時々触れそうになり、その都度に私は慌ててしまう。
モヤモヤとした気持ちが、やがてムズムズしてきて、そしてムラムラに変わり説明もしどろもどろになり息が熱くなる。
異変に気が付いた爽太さんが「どうしたの、大丈夫?」と声を掛けてくれ、私のおでこに手を当ててくれた。
ヒンヤリとした手が火照った顔に気持ち良くて、おでこに当てられた爽太さんの手を誘うように、頬にずらし自分の手を添える。
上目遣いに見た爽太さんの顔は、焦る事も無く「馬鹿だなぁ」と笑い、手を離して頭をクシャクシャと撫でようとした。
そして、そのとき急に廊下を忍び足で近づいて来る人の気配を感じて身を引っ込めると、直ぐにドアをノックする音がした。




