***靖国通りをお散歩する私***
編集部を出て地下鉄半蔵門線に乗ると、直ぐ次の駅が九段下。 距離にして600mくらいしかないから、駅間としてはかなり近い。
九段下の駅に到着して腕時計を見ると10時15分。
さすがに編集長を心配させないようにと早く車を出たけれど、これでは打ち合わせの時間よりも45分も早く着いたことになり、あまりにも早すぎる。
時間を潰すために2番出口から出て、北の丸のお堀沿いに歩いたあと、歩道橋を上がって振り返ると日本武道館の大きな玉ねぎが見え、知らず知らずのうちにその玉ねぎが歌詞に入った歌を頭の中で口ずさみながら靖国神社の参道を歩く。
今日の服装は真っ白なブラウスに、ベージュのミモレ丈のフレアスカート、それに白のパンプスはクリスチャン・ルブダン。
資料を入れたバッグはライトグレーの『傳濱野はんどばっぐ』で、私の持っているビジネスバッグの中では一番お洒落で値段も高い。
チョッとOL路線から外れてプチデートを楽しみにしているのが丸分かりで、自分でも気恥ずかしくなるくらい。
だいいち、いつものパンツルックではないのが、余計に心をウキウキとさせている。
大きなイチョウ並木の参道を歩くと、まるで直ぐ隣に広い6車線道路の靖国通りがあるばかりか、ここが都心の真ん中だとは思えないほどの緑豊かで古からあり神社という風情に満ちている。
散歩を楽しみながら腕時計を見ると、もう打合せの20分前になっていたので、通りを左に逸れて爽太さんの居る九段下印刷へ通じる道に向かった。
◇◆◇◆◇◆
「おい、何ソワソワしているんだよ」
不意に水沼に言われて「ソワソワなんてしていないと」ぶっきらぼうに返事を返したが、さっきから時計ばかり気にして、用も無いのにデスクから離れては少し歩いて直ぐにまたデスクに戻ることを繰り返しているのが自分でも分かっているから、誰がどう見ても俺自身ソワソワしていると思う。
ただ、何故かそのことを水沼に気が付かれるのはマズイと思い、今度こそジッとしていようと決めて腰掛けた。
時計を見ると、打ち合わせの10分前。
リリーは、一人でチャンと来れるのだろうか?
道に迷ってはいないだろうか?
野良犬に絡まれてはいないだろうか?
道路を渡るときはチャンと止まって、車が来ていない事を確かめて横断歩道を渡るようにと、電話で言い忘れたことが一番気になってしょうがない。
人間松岡麻里の中に居ると分かっていても、犬であるリリーがここに来るまでの事が気になって仕方がない。
だけど、あからさまに窓の外を見ていると、また水沼に何を言われるか分からないし……いや、言われても構うものか。これはリリーの命が掛かっている問題だ。
意を決して席を立つと、水沼から「今度は何だ? トイレか?」と言われた。
“そうだ! トイレだ。たしかトイレの窓から、通りが見える! 水沼、おまえ天才だぜ!”
「ああ、用を足してくる」
そう言ってニッコリ笑うと「ついでに、その寝起きの、くせ毛も直しておけ」と言われ、はじめて自分の事に気が付いた。
トイレには鏡も有る!
◆◇◆◇◆◇
「水沼さん、柴田さん、どうかしたんですか?」
柴田が席を立ってトイレに行くと、直ぐに事務の鈴木さんが飛んで来た。
「今日は小文舎との打ち合わせだ」
「ああ、あの大井編集長。あの人って確か、たしかアラフォーなのに綺麗ですよね」
「そう。奴の独身主義にとどめを刺す唯一のラスボスだと俺は睨んでいるのだけど、柴田のあの様子だと、案外思っているより早く片付きそうだな」
「そうですね」
そのとき、来客を伝える電話が鳴り、鈴木さんはクスッと笑って席に戻り電話を取った。
「小文舎のかたが、お見えになりました」
「俺はトイレに行った柴田を呼んで来るから、鈴木さん悪いが君は小文舎の編集長を第三会議室へお通しして」
「了解しました」
鈴木さんは楽しそうに微笑み、部屋を出て階段の方に向かう。
同じように部屋を出た俺は、逆方向のトイレに向かい柴田を呼んだ。
「おい、柴田。お目当ての人が来たぞ!」
水沼がトイレの窓から外を見ていた俺に、来客が来たことを告げる。
“あれ? リリーは、どこから来たんだろう?”
用を足したあと、この窓からズット外を見ていたのに、それらしい姿を見かけなかった俺は不思議に思ったが、言われるまま外に出て一階の第三会議室へ向かった。




