***ついに出合えた爽太さんと私***
神代植物公園を過ぎて交差点を左に曲がってから直ぐに蕎麦屋が並んでいるのが見え、居ても経っても居られなくなり、バスを降りて直ぐ一軒目の蕎麦屋に飛び込んだ。
“旨い‼”
そしてその道伝いに二軒三軒と食べ歩き、次は参道沿いにある店に向かおうとしたとき、深大寺の山門から出てくる若い女性と目が合った。
いや、正確にはその女性がジッと俺を見ていた。
栗色に染めたショートボブの髪にクリッとした大きな黒い瞳と白い肌が印象的で、女性にしては背が高い。
そしてその背の高さには不釣合いな幼さの残る顔の中心に、ツンと伸びた細くて高い鼻。
“ハーフ??”
ハーフか純粋な国産かどうかは分からないが、どこからどう見てもこのお寺の御利益でもある“縁結び”には縁も所縁もなさそうな美人である事は確か。
まさか俺に用があるわけではないだろうと思い、後ろを振り返ったが、そこには誰も居ない。
“屹度彼女は目が悪いのか、何か考え事でもしているのだろう”と思いその視線を無視したまま山門を目指す。
なにせ、ここまで来て蕎麦だけ喰って、お参りをしていないことが水沼に知れるとまたなにか余計なことを言われそうだから。
山門を潜ろうとしたとき、不意にあの彼女が徐に俺に近付いて来て話し掛けてきた。
「あの……わたし、松岡と申し……」
立ち止まると、松岡さんと名乗りかけたその人は、一旦話すのを止め大きな瞳を瞑り深呼吸をしたあとハッキリと元気な声で言った。
「わ、わたし、リリーです!」
ふたつの名前を聞いて、この人は松岡リリーさんと言うのだと単純にそう思った。
しかし、その松岡リリーさんに声を掛けられる覚えがなかったので、人違いではないかと返すと彼女は「爽太さんですよね」と、俺の苗字ではなく名前を当てられて正直驚いた。
名前を知っていると言うことは、会った事があるに違いない。
しかしこの松岡リリーと名乗る若い女性と俺とでは、20歳近くも年が離れているはず。
そんなに年の離れた知り合いは居ない。
取引先の事務員かなにかだとしても、苗字で呼ばれることは有っても名前で呼ばれるほど親しい女性は居ない。
しかも取引先の人間なら自身の名前を名乗る時も、俺の名前を呼ぶときも必ず各々の会社名を名前の前に付けて話すはず。
ひょっとしたら親戚筋かとも思ったが、俺の親戚に松岡と言う姓はない。
よくよく考えても松岡リリーで思い浮かべる人物と言えば映画『男はつらいよ』の登場人物『リリー松岡』だけだったので、もう一度さっきと同じように人違いだと言うと彼女は困った顔をしながら、今の名前は松岡麻里だと名乗った。
すると“リリー”と言うのはハンドルネームか源氏名なのか?
TwitterやYoutubeなどをたまに見ることはあるが、アカウント登録している訳でもないので、SNS上の知り合いも居ない。
だからリリーと言われても思い当たる事もない。
飲み屋の姉ちゃんにしたって、こんなに美人で清潔感が漂う女性なんて見たこともない。
色々と考えられることは一通り考えてみたが思い当たる事も無さそうだと分かると、無性に面倒くさくなり話を一方的に打ち切って立ち去ろうとしたとき、携帯が鳴った。
リーリー松岡と名乗る女性に背を向けて、携帯電話に出ると水沼からだった。
要件は特になく“お参りは済ませたのか?” とか “いま蕎麦は何杯目だ?” とか “帰社時間は心配しないでサボって来い!” とか一方的に好き放題喋り通話が終わり呆れていたが、その後に出た画面を見て思わずにやけてしまう。
そう。
その画面は、同僚達から『携帯の君』と揶揄されている昔飼っていたスピッツ犬のリリー……。
“リリー!?まさか……”
一瞬そんなことを思い彼女の顔を窺った。
その顔は意外にも俺の直ぐ横にいて、あのリリーと同じ好奇心に満ちた純粋な目で俺の顔を見上げていた。
色白の顔にクリッとした黒い瞳、そしてツンと伸びた筋の通った高い鼻。
顔の特徴だけ言葉に表すと、リリーと同じ。
そして、そのリリーさんが、テンションも高らかに俺の携帯を覗き込んで言った。
「写真、着信表示に使ってくれているんですね。嬉しい!」と。
いきなり人の携帯を覗いて、しかも訳の分からないことを言い出した女性に慌てて「これは俺の大事な犬で貴女には関係ないでしょう。人の携帯を覗くなんて失礼じゃないですか!」と強い口調で言ってしまうと、真っ直ぐに俺を見つめていた大きな瞳から急に大粒の涙が零れ落ちてきた。
バツの悪さを感じ、言い過ぎた事を謝ろうと思った瞬間、彼女は俺の胸の中に飛び込み蹲り声をあげて泣き出した。
それを見て、周囲にいた人たちが一斉に俺に注目する。
俺は戸惑うばかりで、なんとか彼女を落ち着かせようと埋もれた頭を撫でる。
すると、何故かその撫でる感触に懐かしさを感じてしまい暫くそうしていた。
そのうち少し落ち着いたのか、彼女が潤んだ瞳を上げて言った。
「懐かしい。ここに来て、逢えてよかった」と。
その言葉が純粋に心に入って来て、俺の手も不思議に彼女の頭を撫でる感触に浸っているように、いつまでも撫で続けていた。
大分彼女が落ち着いてきたようなので、歩けるか聞くとコクリと肯いたので静かなところへ移動した。
世間から見ると歳の離れた美人を連れたプレイボーイにも見えるかもしれないが、俺は断じてプレイボーイでもなく実際問題こういった女性関係には断然疎いほうだ。だから水沼が心配して、こんなところに来させられる羽目になったのだ。
池の傍の空いているベンチに腰掛けて彼女の、この奇奇怪怪な言動の理由を聞く。
彼女の名前は松岡麻里。
十年前に俺とすれ違ったときを切っ掛けに、ハッキリと自分の前世が昔俺の飼っていたスピッツ犬のリリーだと気付いたそうだ。
にわかには信じられなかったが、彼女の年齢と、リリーの死んだときから数えた年数はピッタリと合う。
犬の記憶があるということだったので、その話を聞いてみると公園に捨てられていたのを俺に拾われたこと。
母さんに駄目と言われたあと父さんに飼うことを許してもらったこと。
一緒にお風呂にはいったことや、夜は俺のベッドで一緒に寝たこと。
ボール遊びが好きだったこと。
散歩中に野犬に襲われたときに抱き上げて逃げたことなど、彼女の話しに間違ったところはなくて俺にとって、どれも楽しい思い出ばかり。
話を聞いているうちに、いつの間にかこの女性が本当にリリーの生まれ変わりだと思うようになっていた。
そして、リリーが亡くなったとき、いちばん気になっていたことも聞いてみたくなり、少し姿勢を正して麻里さんに向き直り、嫌なことってなかったのか聞いてみた。
◆◇◆◇◆◇
楽しい思い出話の途中で爽太さんが急に真剣な顔になり、嫌なことがなかったかと聞かれた。
リリーとして過ごした間に嫌なことなんて思い出すほうが大変だったけれど、ペットが死んだときに飼い主がいちばん気になること。つまり、ここで育てられたのが幸せだったのかと言うことだろうと思い、倖せだったことを伝えた。
でも何故か爽太さんは、ありきたりな私の回答には納得してくれなくて、生きていたなら必ず嫌な事もあったはずだと言い出して堪忍してくれない。
一生懸命考えた挙句、思い出した記憶は、今の私にとって凄く恥ずかしい内容で思わず顔が真っ赤になってしまった。
「何々?」と、爽太さんは私の顔をを覗き込んでくるけど、やっぱり嫌……でもここは麻里としてではなくリリーとして確り伝えるべきだと思い、決心して言葉に出した。




