***南さんとロマンスカーと私***
その日私は、小田急新宿駅から南さんとロマンスカーに乗り平塚市にある神奈川県動物愛護センターへ取材に行くことになった。
最寄り駅の秦野までは、鮮やかな青色に塗られた10時40分新宿始発の“ふじさん三号”に揺られて約一時間。チョッとした旅行気分なのです。
撮り鉄していた南さんが、お弁当を二つ持って帰って来た。
「いい写真、撮れました?」
「もちろんです!」
そう言いながら、持っていたお弁当の片方を私の膝の上にポンと置いて「どうぞ」と言ってくれた。
「いいんですか?」
「もちろんです。ところで麻里ちゃん、この電車を見て何か感じたことはありませんか?」
「特急!?」
「正解です! ですが、それ以外は?」
「他の、ロマンスカーと色が違いますよね」
「正解です! では、どう違いますか?」
「他のロマンスカーは赤色ですけれど、これは綺麗な青色ですよね」
「麻里ちゃん、大正解です!」
「ホントですかぁ!!」
「そう! 綺麗な青色と言うところまで大正解です。そしてこの色の名前はフェルメール・ブルー」
「フェルメール・ブルーって、ひょっとして『真珠の耳飾りの少女』を描いた、画家のフェルメールですか?!」
「麻里ちゃん、大正解です!」
南さんは余程楽しいらしく、楽しい時に良く言う ”正解です” のオンパレード。
電車が発車してからも、しばらくは楽しくお喋りをしながら、頂いたお弁当を一緒に食べた。
お弁当を食べ終わると、急に眠たくなってきたけれど、今は仕事中だから気合を入れないといけない。
そこで、写真を撮るうえで南さんが一番気を付けているのは、どういうところなのか後学のために聞いてみた。
南さんは急に、かしこまって写真は機材や技術も大切だけどと前置きして、僕は自分の撮影する写真の中にどう自分を係わらせていくかということの説明を初めて、私には難しかったが興味深く聞いていた。
そして我社が南さんに撮ってもらっているペットの写真について、どういうことに気を付けて撮るのかも聞いてみると。
「犬はね、単純だから飼い主を見ればその犬の素性が直ぐ分かるんです。だから飼い主に信頼してもらえれば犬のほうは安心して好い表情を見せてくれる」
なるほど。さすがプロだと思ったけど“単純だから”なんて失礼しちゃうわ。と思っていると
「前まではそう思っていたんですが、ある人と出会ってから考え方が変わりました」と言った。
ある人って誰なのかと思い南さんの顔を覗き込んだとき、南さんの真剣な目とぶつかり、ひょっとして私なの? と、少し恥ずかしかったけれど自分の顔に指を向けたとき南さんが優しく微笑み「大正解です」と言って笑う。
「麻里ちゃんと出会ってから変わった」
「えっ!?」
言われる意味も分からなくて、更にそんな真剣な目で見つめられるとドキドキが早くなる。
南さんは、そんな私のドキドキなんて気にも掛けていない風に
「僕は最初“飼い主”を見て、犬の良さを引き出そうとしていた。だけど麻里ちゃんは犬本人を見て、良さを引き出す。……そう、まるで人間と犬という垣根を越えるみたいに」
私の正体を見抜かれているような怖さと嬉しさに、俯きながら聞いていた。
「カメラという人間の目とは違った目で見ていたはずなのに、いつの間にか人間の目線でしか見ていない自分に気がついたんです」
その言葉に俯いていていた顔を上げたとき、優しく包み込むような笑顔で見つめられている事に気が付き、目が潤むような暖かい感情がこみ上げてくる。
そして優しく頭を撫でて貰いたい……いや、抱いて貰いたい気持ちになり、そっと南さんの肩に身を寄せた。
私の、人間としては大胆な行動に驚いたのか南さんは「取材で疲れているんだね」と勘違いなことを言って話を止めて暫く肩を貸してくれた。
もーバカ。弱虫!!!!
私は少し機嫌を損ねたが、南さんの言う通り疲れていたのか仕事中なのに、いつの間にか寝てしまった。
秦野駅に着くとNPOの人たちが迎えに来ていて、その車に乗せてもらい動物愛護センターへ向かった。今日は愛護センターで引き取られた犬や猫についての取材。
今日のメニュー……いや、今日のスケジュールは以下の通り。
①新しい家族になる家の取材(秦野市横野)
②譲渡会取材(平塚市神奈川県動物愛護センター)
③動物愛護センターの現状(平塚市神奈川県動物愛護センター)
◇◆◇◆◇◆
「大丈夫ですかねぇ麻里ちゃん」
ホワイトボードに記載された三つの項目を見ながら倉橋里美は心配顔で言った。
原稿を睨むように机にしがみ付いている編集長は、その目を離さないまま「彼女なら、大丈夫よ」と短く返事をした。
「でも……」
編集長の返事になお心配を払拭しきれない里美は呟いて、ボードを見ていた目をデスクに移す。編集長は観念したように顔をあげ「ペット雑誌を扱う上で重要なことよ!」と少し苛立った表情を見せる。
「それは分かりますけど他所ではナカナカ扱われていないし、麻里ちゃんは人一倍感受性が強い子だから、いくら神奈川の施設だとはいえショックを受けるんじゃ……」
里美はそう言うと再びボードに目をやった。
「引越しとか家庭の事情で犬や猫達は簡単に捨てられてしまう。この日本では法律上もペットはまだ物扱い。ただ可愛さをアピールし、ブームを煽るだけでは飼われる命の不幸を増やすだけ。大衆向けの雑誌がどこまでそれを読者に伝えられるかが、これからのペット雑誌には欠かせない課題になるはず。要は、その課題をどの様に分かりやすく読者に伝えられるかが問題なの」
編集長は、苛立ったように言った。
「それは分かりますが」
里美は目を窓の外へ移す。
編集長もデスクを離れ隣に肩を並べ窓の外を見つめながら「麻里は一番ペットの気持ちが分かる子だから傷つくかもしれないけど、それだけに屹度どこの雑誌社が扱うより良いものを書いてくれるはずよ」
「そうですね」
里美は振り返って編集長の顔を見る。編集長は窓の外を睨んだまま「麻里は大丈夫。強い子だから」
その言葉は編集長が自分自身に言い聞かせている、ある種の決心の様に聞えた。




