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シャワーを終えた俺はラフな格好に着替える。
これもディーンさんが用意してくれたものだ。
地球産のものには比べるまでもないが、こちらの世界では高品質な部類なのだろう。街中で見た人々の衣服よりは上等な仕立てをしている。
着替えを終えた俺は階下に降り、1階の食堂を目指す。
「お疲れ様でした。食堂はこちらになります」
俺が1階に降りると、ハキハキとした口調でリリカが迎えてくれた。
カウンターに座っていたリリカは、俺を食堂へと先導してくれる。
「こちらのお席にどうぞ。すぐに料理をお持ちしますね。お飲み物はいかがいたしましょうか?」
「とりえあず、エールで」
「分かりました、少々お待ちください」
リリカは俺を席に案内すると、すぐに厨房へ向かった。
食堂には十数卓のテーブルがあり、席は八割がた埋まっている盛況ぶりだ。
客のほとんどは冒険者のようだ。物々しい装備に身を包んでいる者ばかり。俺のようなラフな軽装をしているのは少数派だ。
狭いテーブルの間を縫うようにして、リリカとは別の女の子が給仕をしている。
「ネルちゃん、エールお願い」「ネルちゃん、おかわりー」などと絶え間ないオーダーを手際よくさばいている。
ネルちゃんは冒険者たちから可愛がられているようで、酔っ払って絡んでくる不埒な輩はいないようだ。
厨房の奥から睨みを利かせている筋骨隆々なイカツイおっさんのおかげかもしれない。
俺がおっさんを見ていると、不意に目が合った。
おっさんがニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
えっ、なんなの!?
なに、その目が全然笑っていない笑顔。
怖すぎるんですけど。
俺なにも悪いことしてないっすよ。
俺がビビっていると、両腕にいっぱいの料理とお酒を抱えたリリカが戻ってきた。
片腕に3枚の料理が乗ったお皿。
もう片方で、ジョッキを2つにピッチャーのような酒壺。
危なげない足取りで運んでくる。
「おまたせ〜」
リリカは手際よく並べていく。
サラダとパンとシチューのような煮込み料理。
それらを並べ、2つのジョッキにエールをなみなみと注ぐと、リリカは俺の隣に腰を下ろした。
「えっ!?」
「まずは乾杯いたしましょうか」
驚く俺には構いもせず、リリカは自分のジョッキを高く持ち上げる。
「おっ、おう……」
「かんぱーい」
「乾杯」
リリカにつられてしまった。
その流れでエールを口にする。
昼間も美味しいと思ったけど、一日の仕事を終えた後だからなのか、昼間の何倍も美味しいと感じた。
エールの苦味が今日の疲れを流してくれる気がした。
リリカはといえば、いい呑みっぷりで、すでにジョッキを半分空にしている。
「おお、若いのにいい呑みっぷりだねえ」
「えへへ、今日はなんかそういう気分なんです。でも、ヒロキ様だって若いじゃないですか。おじさんみたいな言い方しないでくださいよ〜」
浮かれた調子のリリカはコロコロとした声で話す。
そうだった、俺は17歳になったんだよな。
中身はおっさんだけど。
おっさん臭さが滲み出ちゃわないように気をつけないと……。
「ヒロキさんは転移者なんですよね?」
「なんでそう思ったの?」
「黒髪黒目は転移者の証。誰でも知ってますよ」
「えっ、そうなんだ」
どうりでみんな親切にしてくれるわけだ。
「俺以外にも転移者の知り合いっているの?」
「いえ。街で見かけたことはありますが、こうやってお話するのはヒロキさんが初めてです」
「へー、そうなんだ」
「はいっ、だからヒロキさんがウチの宿を選んでくれて、本当に嬉しいです」
「ギルドの受付の人に勧められたからね。お礼ならその人に行っておきないよ」
「はいっ。それでよかったら、ヒロキさんの世界のお話を聞かせてもらえませんか」
「うーん…………」
俺が渋ると、リリカはあからさまにショボーンと落ち込んだ様子。
俺が躊躇ったのは、情報を漏らしたくないからとか、リリカを警戒してだとか、そういう理由ではない。
ただ単に、俺自身が元の世界にあまりいい思い出がないから、そんな俺が話をして、つまらない話にならないか不安だったからだ。
だから、そんな捨て猫みたいな顔されたら、断れないじゃないか。
「まあ、いいよ。面白い話かどうかは分かんないけどね」
「あっ、ありがとうございます。こちらは私からの奢りですので、いっぱい呑んで下さいね」
ずぶ濡れの大雨が上がり、大きな虹がかかったような満面の笑みを浮かべ、リリカはエールがなみなみと満たされたピッチャーを指し示す。
最初から俺の話を聞く気満々じゃないか。
俺もつられて、頬がほころぶ。
「えーと、じゃあねえ、俺が育った国は――」
◇◆◇◆◇◆◇
聞き上手なリリカに乗せられて、すっかりと話し込んでしまった。
アルコールも回り、ずいぶんとしゃべり疲れたなと思うが、それは心地よい疲労感だった。
ほろ酔い気分で部屋に戻った俺はベッドに腰を落とす。
「ふー、疲れた疲れた」
酔いざましに水差しから冷たい水をグビグビと呷ると、ベッドに入り、今日一日を振り返った。
いや、まさか、この俺が異世界転移するとはね……。
元の世界にはこれっぽっちも未練はないから、俺としては転移したことは大歓迎だ。
どうやら、この世界は転移者にとって過ごしやすい世界みたいだし。
いきなり、大商人のディーンさんに援助してもらったし、ギルドや宿屋の人たちも親切だ。
この調子なら、なんとか楽しくやっていけそうだな。
ただ、油断は禁物だな。
今日は浮かれてたからか、ふたつもミスしちゃった。
ゴブリンに追い掛け回されて、集落で包囲されて、必死で逃げまわって死にかけた。
それに、ズボンのポケットに入れておいたせいで、スマホを失くしちゃった。
明日からは、油断せずにやっていこう。
そんなこんな回想しているうちに、やはり、疲れていたのだろう、俺はすぐに眠気に襲われ、意識を手放した――。
◇◆◇◆◇◆◇
ドゴォォォォォォン!!!!!
大きな音に俺は目を覚ました。
「なんだっ!?!?」
石造りの建物全体が大きく揺れるような衝撃と爆音。
俺は慌てて飛び起きた。
まだ真夜中のはずなのに、窓の外は明るかった。
太陽の明るさとは別の、なにかが燃え盛るような赤い明るさだ。
何事か、と俺は窓の外を見て、俺は驚きのあまり立ち尽くしてしまった。
窓の外、街から遠く離れた大きな山が火を吹いていた。
火山が噴火してるのだ。
無数の火山弾が飛んでいるのも見える。
俺は初めて目の当たりにする自然の脅威にポカンと口を開け言葉を失ったまま、その光景に見入っていた……。
やがて、宿の中がざわつく音が伝わってくる。
俺と同様に目を覚ました宿泊客たちが騒ぎ出したのだろう。
これからどうすべきか?
避難した方がいいのか、それとも、ここにとどまった方がいいのか。
日本に住んでいて、地震が起きた際にどうするべきかはさんざん訓練されてきたけど、火山が噴火したときにどうしたらいいかは考えたことがなかった。
頼りになるグー○ル先生も使えないし……。
しばらく、考えた末、宿の人の指示に従えばいいか、という他人任せの結論に落ち着いた。
そうと決まれば、行動は迅速に。
俺は荷物を背負い袋にまとめ、忘れ物がないことを確認してから部屋を出ようとして――いきなり全身に激痛が走った。
「うぎゃあああああ」
あまりの痛さに絶叫してしまう。
全身に焼けた鉄の棒を差し込まれたような灼けるような痛み。
骨はねじ切れるように、筋肉はひきちぎられるように。
内蔵をミキサーで撹拌され、脳は万力で締めあげられたような苦痛。
目や口、鼻からは液体が止まることなく流れ、全身から脂汗がダラダラと垂れ落ちる。
持っていた背負い袋を手放し、床を転げまわってのたうち回りながら痛みと格闘する。
昼間のレベルアップ時の苦しみなどの比ではない。
これはまさに拷問だ。
痛みの激しさも比べることもできないほどだし、いくら時間がたっても収まる気配もない。
いっそのこと殺してくれ、と願う。
そんな地獄の責苦の中、俺の意識は薄れていく――。