負い目の鼓動。
何かに支配されて自分の人生を生きられない葛藤、苦しみ。
その悪循環を解き放つには、
自分の何に気づく事が大切なのか。
そこにスポットライトを当てています。
養っているという愛を支配という武器に変えて、一体どれだけの人が大切な誰かを劣等感の闇に突き落としているだろう。
こんなにもしてもらったから。あんなに助けてもらったから。
その理由を一生背中にしょって、そして、あなたは、ありがとうの代わりに申し訳ないと呟き続けながら指示されたレールを歩こうとする。
その誰かが本当に愛の気持ちから、あなたを養ってきてくれたなら、そこに、してあげたのにという見返りを求める鞭は存在しない。
自分が自由に心満たされて生きてこれなかった後悔を、あなたに向ける復讐に変えて、自分の道を歩み出しているあなたに非難の唾を吹きかけるなら、そこに愛は無い。愛情はあっても。
真の愛は、誰かの意思、生き方を、自分の価値観を挟む事なく、そっと応援する事。
あなたが、まだ、してもらった事に負い目すら感じて動けないなら、それは、あなたが自分を見下している証拠。
無力な私は、取り柄のない私は、沢山支えてもらった私は、自分で自分の人生を歩いてはいけない。そうするに値しない人間なんだと自ら、その腕に焼印を施しているのだ。
誰にも助けてもらわずに生きてこれた人なんて、何処にも居ない。世界中探したって。そして自分の人生を歩んではいけない人なんて、やっぱり何処にも居ない。
沢山助けられてきた、あなたは、それと同時に誰かを沢山助けてきた。
それでも養ってやったと鞭打つ人は、自分の心を養う事を何処かに忘れてきただけ。
あなただって、自分で生きていける事を、そして、そうする勇気を思い出させるために天が、あなたに見せた姿。言葉。
負い目って、あなたの心と体を屍にしてしまう。
負い目って、あなたが、あなたを迷惑な存在だと認めているから浮かび上がってくる幻想。
あなたが誰かの人生を生きられない様に、あなたの人生も誰かに奪われてはいけない。
あなたは天に愛されていて価値のある魂なんだと自分で認めた時、
全てが始まる。
自分の旅の舵を取るのは、あなた自身であっていい。