三人称の為の習作
痩身の男が一人、病床に伏せていた。
禍々しくも逞しい角を対に揃え、眼窩には一瞥をくれただけで人一人殺せそうな三白眼。
その姿はまさに、古より伝承に語られし魔王そのもの。
魔を統べ、魔を愛し、魔界をその身に宿し統べる死の象徴。
だが今となっては、痩せ衰えた体を起こすこともままならぬ程に、衰弱している。
魔族の長として隆盛を極めた、嘗ての魔王の姿はどこにもない。
山河を埋め尽くさん程の魔族を率い、エルフやドワーフを滅ぼした。嘗ての魔王の姿はもう、どこにもない。
「それと、言うのも……」
しわがれた声で、魔王が言葉を紡ぐ。その声はどこか恨みがましくもあり、しかし愉しげでもあった。
「ククク……あの子憎たらしい勇者め……。お前を待って、私はこんなにも歳をとって弱り果ててしもうたわ」
過ぎ去った遠き日に思いを馳せ、忍び笑う魔王。すでにその目に色彩はなく、一見して死の近きを悟らせる。
だがその表情には、一片の悔いも嘆きもない。
彼の脳裏には、魔族の王として勇者と対立した日々が色鮮やかに蘇っていた。
様々な策略を巡らせ勇者の旅を妨害し、逆に自らの野望を妨害され……。
思い返せば直接拳を交わす対立は少なかった。
だが、互いの「知」をぶつけ合うのは面白かった。
古くの童話で聞き及んだ、どの魔王とも違う。
力ではなく、己が知識で戦った。定められた運命を生きる者として、他のどの魔王とも違うことは、誇りでもあった。
故に、勇者が只『タイマン面倒臭い』と言う理由で知識戦を展開していたと聞いた時、激しい憤りを覚えた。
だが反面、喜ばしくもあった。
それが何故なのかはわからなかった。
だが幾重にも歳を重ね、相手を失い、己もまた死に近付いて知った。
あれが『親友』である、と。
「嗚呼、良い一生であった……」
遠く遠く、夜星の如く遠く。されど、夜星の如く輝く。懐かしき日々の思い出。
これが俗に言う「走馬灯」だと悟った時、魔王はフッと微笑んだ。
もはや、後悔はない。死の淵に立って尚も笑うことができた。
それだけで、十分だ。もう何も、思い残すことはない。
勇者も――友も、笑って逝ったのだろうか。
「友よ、私も、今逝こう……」
先に逝った友の面影を探し、魔王はその目を静かに閉じた。
かくて魔王は、その生涯に終止符を打った。
かくて魔王は、友の下へと旅立ったのだ。
厳寒に産み出された吐息が空を目指すように。
魔王の魂もまた、天へと昇っていく。
その末期の顔は──笑っていた。