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序章 1

 ああ、ヒーローになりたい。

 齋藤春樹は瓦礫に押しつぶされて身体に炎を纏い、ふと思い出したのは、幼稚園の将来の夢だ。

 悪人に襲われた人を見つけたら、空を舞って現れ、正義の拳を一突き、一撃必殺で悪人を倒す。今、こんな風に春樹が瓦礫に押しつぶされて燃えていたら、一瞬で火を消火をし、瓦礫から救い出す、そんなヒーローだ。


 春樹は、都市消防隊の救急隊員として勤務していた。

春樹は元々病弱で運動は得意ではなかったが、小さい頃からの正義感で救急隊員に志願して見事合格をし、勤務を始めたのは5年前だった。

 少しでも瀕死の人を救おうと思っていた初心は徐々に消えていった。春樹の勤務した都市のA区消防隊は繁華街にあるが、その管轄は生活保護者の多いスラム街も含んでいた。

 ほとんどの仕事が、酔っ払いや精神疾患患者の救急搬送だった。酔っ払いのほとんどは、


   生活保護費で買った安い焼酎を道路で飲み始めて動けなくなりタクシー代わりに119番通報したもの


だったし、精神疾患患者については、


   元々のうつ病で生活保護費を受給していたが、パチンコで負けて生活保護費が無くなったからもう生きていけないと精神安定剤を大量服量して酒で飲んで運ばれるもの


というようなゴミのお尻拭きの仕事が多かった。

 次第に、春樹は給料をもらうためだけにやっているんだ、だから気にしてはいけない、と思うようになった。

 給料は民間よりも高かったが、帰れる時間はいつかわからなかった。24時間働いて48時間休めるはず勤務指定であったが、23時間50分くらいで入る通報があれば、交代出来ず勤務を続け、病院にだけ搬送すれば終わりであればいいのだが、病院との交渉がある。

 病院は患者を選んでいるのだ。酒で運ばれる、精神安定剤の大量服量、これらはいい顔をしない。さらに、一度でも病院で暴れた者であれば対応できないと言う。そして、慢性的に空きベットがないため受け入れできないと拒否される。

 今日の当直病院にしらみ潰しに当たって、なんとか見てもらえることが決まればなんとかこれで仕事が終わる。119通報を受けて5分で現場について30分近く交渉して病院に行くのは緊急走行しても1時間かかるのはザラなのだ。さらに緊急走行をしないで1時間30分走ってやっと交代して、サービス残業としてやっている事務処理に2、3時間。正直、春樹は苦しいと感じるとともに腹ただしい気持ちでいた。

 春樹の腹ただしさは仕事の延長ではなく、これらの仕事は全部税金で行われていることにある。生活保護費を自由に使って遊んでいる者が、酒に酔って苦しくなって救急車を呼ばれるのだ。さらに病院の受け入れ交渉に時間がかかっていると「この税金泥棒が!早くしろ!」と喚くのだ。これが今の日本で全く報道にされないゴミどもの実態であることは、ほとんどの国民が知らない。



 いつこの仕事を辞めるべきか、そう春樹は思いながら、サービス残業が終わった午後2時ころ、歩いて帰宅していた。


―――まだ28歳だ、まだ再就職は……いや、スキルはないから転職をしてもこの生活はできないか……いや、生活はできるが貯金はできないし、それに救急隊員をしていた者が急に仕事を辞めて雇ってくれるところなんてあるのか……問題を起こして辞めたと思われて雇われないのが関の山だ。


 春樹は鬱蒼とした気持ちになっていた。左側を見ると、商店街のガラスに自分の猫背気味で、血行の悪い肌が写っていた。髪の毛も後退し始めていたし、まだ20代なのに白髪も増えていた。

 こんなはずじゃなかったと思っても今更遅かった。別の区消防隊に配属されれば大分良い方に違うと聞いていたが、もう少し頑張ろうと思う気持ちにならないのだ。だってそうだろう、春樹が精神衛生的に良い部署に変わったとして、また別の大切な同僚が春樹と同じ苦しみを味わうわけだ。

 春樹は自分の世界に入り込んでいたため、前にできた人だかりに気づくのが遅れて、ぶつかりそうになった。春樹はその人だかりを怪訝そうに思うと同時に、人だかりの視線を見るとやや上方を見ていた。それに合わせて視線を向けると、一軒家から白煙が上がっていた。窓からは炎が見えた。


「助けて、2階に子供がまだ中にいるの!」


 30代半ばの小太りの女性が焦点の合わない目で泣きながら周りに助けを求めていた。

 誰一人動かない。当然である。火災の基本である。火災住宅に装備無しで入れば2次災害になるだけなのだ。誰もが当然に消防隊が来るのを待つしかないのだ。

 しかし、春樹はまだ救出できるのではないかと思った。

 火災はまだ大きくない、専門外だがいけるような気がする、そう思ってしまったのだ。


「2階に子供がいるのか?」


 子供の母親だと言う女性は泣きながら春樹に懇願した。すると、春樹はこの女性をどこかで見た様な、変な感じがした。しかし、こんな大都会でたくさんの人がいて、3日のうち1日は大量の人と顔を合わせて仕事するから気のせいだろうと思ったのだ。


「お願いだから助けてださい!助けてください!」


 春樹は小さく頷いて火の中に入った。



 室内は、全身から吹き出る汗が今にも蒸発しそうな熱であった。それをを無視して春樹は玄関の中に入り、近くにあった階段を登りきり二階に上がった。

 二階の廊下の奥のドアが開いていた。そこだと思い、春樹は駆け込むと、部屋の中は恐らく子供部屋だったのだろう場所は火の海となり、床に落ちていたプラスチック製の玩具達が次々と溶けて行く。火の海の天井は火炎の渦を巻いて、今にも春樹を吸い込みそうであった。

 その火の海の端に3歳くらいの子供が伏せていた。死んでいるかどうかはわからないが、とにかく外へ連れ出さなければ、という思いで春樹は子供を抱きかかえる。

 すると、子供は溶けて落ちた。

 嫌な臭いが漂っていた。


―――違う……これは人形だ……


 プラスチックの溶け出す臭いが乗った熱風が春樹の周りを駆け抜けた。春樹は火炎の熱風の熱さよりも、身体中に寒気を感じた。

 部屋を見渡すと、人形、人形、人形、人形、人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形人形。


―――誰も助けに行かなかったんじゃなくて、このババアが逝かれているから行かなかったんだ……


 春樹は思い出した。先ほどの母親と言っていた女性が自殺未遂を繰り返しては119番通報が入って病院に運んだこと、家は立派だが、人形だらけだったこと、子供が泣いているから病院には連れて行かないで、と叫びながら大型の人形をあやしていたこと、障害者手帳に統合失調症(重度)と記載されていたこと……最悪の結末を予想した。


―――疲れていたとはいえ、酷いミスだ。


 春樹は絶望を感じた瞬間、2階の天井が崩れた。

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