『凶悪のセオリー』
『凶悪のセオリー』
「ただいまぁ」
ユウジは学校から帰ると、玄関先で、すぐさま郵便受けを確かめた。
「やっぱりないか……」
彼は、空っぽの郵便受けの中身を見て、うな垂れながら残念そうにつぶやく。
すると、ユウジの兄タカノリが、ニコニコしながらユウジを出迎えた。
「おっ! お帰りユウジ。……おい、どうしたんだ? 郵便受けなんか覗いっちゃって」
「うん……。クラスの友達の柚依菜ちゃんから、誕生日プレゼントが届いてないかなぁって確認したんだ」
「そうかぁ、朝からずっと家にいるけど郵便なんて何も届いてなかったぞ。しかし、今どきプレゼントを郵便で送る女の子なんているのか?」
「おかしいなぁ、柚依菜ちゃん、ボクの誕生日にクッキーを焼いて送ってくれるっていってたんだけどなぁ〜」
そうか……と、タカノリは神妙な顔つきで答える。そして熱い眼差しで見つめながら、
「泣くな弟よ。しかし残念だったな。でもお前はまだ中学生だ。まだまだチャンスはいくらでもある。兄ちゃんは陰ながら応援するぞ!」
兄タカノリはそういって、ガックリとうな垂れている弟を元気付けた。
すると、弟ユウジはその言葉に感動し、子犬のように瞳を潤ませながら、
「兄ちゃん!」
「ユウジ!」
二人は玄関で涙ながらに抱き合った。まさに熱い兄弟愛である。
その時、ユウジは思った。兄ちゃんからいい匂いがする――と。
兄タカノリは、より熱い眼差しを向けて言った。
「どうせそんな薄情な女の焼いたクッキーなんてマズイに決まってるよ」
すると、
「……そ、そうだよね。あ、あ、あんな薄情でぺったんこな女の焼いたクッキーなんてマズイに決まってるよね」
ユウジもやけくそになって、兄の暴言に呼応する。
「そうだとも! そんな女の事は忘れろ。さぁ叫べ、あの夕日に向かって!」
「分かったよ、兄ちゃん!」
二人は玄関から覗く赤いものに向かって、腹の底から熱く込みあがってくるものを吐き出すように、
「柚依菜の、バッキャローッ!」
「柚依菜のぺったんこーっ!」
と、やったものだ。その二人の怒声は、家々が建ち並ぶ密集地帯を、ことごとく揺るがすほどのものであった。
そして、熱い眼差しをした兄弟たちは、それを言い切った後も余韻を楽しむかのように、玄関先で立ち尽くしている。
「あースッキリした。兄ちゃんありがとう!」
「いや、礼には及ばん。俺は兄として当然の事をしたまでさ。分かるか弟よ!」
ヒシッ……そう聞こえるほどの勢いで、再び兄弟は抱き合った。まさに、熱い兄弟愛である。
だが、しかし、その時に、ユウジは素朴な疑問を兄に投げかける。
「ねぇ、兄ちゃん?」
「何だ、弟よ」
兄は、怪訝な顔つきで弟を見る。
「さっきから兄ちゃん、とってもいい匂いがするんだけど、一体なんの匂い?」
弟の、まだ幼さの残る表情に、兄はまるで何を感じるでもなく答えた。
「ああこれか。これはな、昼間に『シロクロ猫の宅配便』で届いた“ビスケット”の香りだ。なんだかあんまり旨くなかったな。時期外れにお歳暮とは呆れてものが言えん。差出人はかなりの常識外れなんだろう。あれ? まだ匂ってるか? やだなあ、この服今日おろしたてのおニューなんだぜ」
「…………」
兄タカノリの、あまりの傍若無人振りに、ユウジは言葉なくその場に崩れるように、ヘタリと倒れこんだのである。
それでも彼らは、血を分けた兄弟である。弟ユウジとて、兄の傍若無人振りに多少の免疫はある。
ユウジはめげずに、眼前の魔人兄の顔色を窺いつつ、
「それよりさ、兄ちゃん! 今日ボク誕生日なんだぜ! プレゼントないの?……あっ、ゴメン。兄ちゃん今失業中なんだよね。それ確か『ニート』っていうんだっけ?」
とそういって、まだ幼さの残る少年特有の眼差しで話し掛けるのであった。
それを受けて兄タカノリは、まるで平然とした面持ちで、その質問に答えるのだ。「ハ、ハ、ハ、こいつは手厳しいや……。違うんだよユウジ。兄ちゃんはちょっと腐れ切った今の社会に嫌気が差して、自らお休みを貰っているだけなんだよ」
ユウジは、兄の、あまりに悪びれた風もない素振りに、妙な苛立ちを覚え、
「へぇー、いいなぁ大人って。ボクなんてまだ中学生だから休む時はママに言ってからじゃないとダメだもんなぁ」
と、精一杯の悪意を含んだ嫌味というものを言ったものだ。
すると、兄タカノリは、弟の真意を知ってか知らずか、また、魔人言葉を放つのだ。
「ハ、ハ、ハ、ハッ! ユウジも早く大人になれ。大人はいいぞ!」
兄の表情は真顔だった。
「…………」
当然、弟ユウジは崩れ落ちた。この日、二度目である。
「じゃあ、兄ちゃんにプレゼント期待するのはちょっと罪だよね」
しかし、ユウジはめげなかった。まだ、この魔人兄に立ち向かうのである。今どきの少年にしては、見上げた根性である。
が、しかし、
「何を言ってるんだユウジ! この兄をバカにするなよ」
兄とて、引けを取るものではない。何せ、この男、これが普通なのである。並々ならぬ男、なのである。
とはいえ、弟ユウジとて、負けてばかりはいられない。彼はここぞとばかり、今まさに思いついた激しい攻撃の手をやめるつもりはないのである。
「じゃ、兄ちゃん。プレゼントあるの?」
弟ユウジは、激しい攻撃を放った――
それは、夕暮れのゆったりとした流れを、極寒のツンドラ地帯の猛吹雪に変えてしまうような勢いがあった。稀に見る強烈な一撃である。
相手は無職である。しかも職歴はおろか、何一つ自ら給金を稼いだという記憶がない男なのである。失業中とは名ばかりで、汗水、涙水を一粒たりとも、流した事ない男なのである。
通常の一般人であるならば、頭をもたげ、膝を付き、地獄の亡者のような呻き声を上げて転げまわるほどに、いたたまれなくなるものである。
がしかし……。
兄タカノリは、そうではなかった。どういう思考回路をしているのか定かではないが、まるでエサをもらう寸前の小鹿のように、意気揚々と丸い双眸を潤ませながら、
「ああ、あるとも!……しかしな、先立つものがないのだ。だから行動で示してやったぞ!」
と、を返したものだ。どこからともなく、高原をゆるやかに駆け抜ける爽やかな風がユウジの頬をなでまわす。カッコウが啼いている。
ユウジは驚いた。愕然とした。どこにそんな自信あるというの? どこからそんな考えが湧いてくるの? そんな言葉が、彼の脳裏を過ぎる。
恐ろしいほどの兄の言動に、彼は身震いしたが、さすがに怖い物見たさも相まって、次を問いただすしかない。
「行動?」
そういって、ユウジは切り出した。いや、そう切り出すしかなかったのだ。
すると兄は、これまでと同じように、当然の如く、満面の笑みで言い放つのだ。
「ああ。お前は以前から困っている事があるって言っていただろ。やっておいてやったぞ!」
兄は、ユウジの肩をぽんと叩いた。まるで邪気が感じられない。
ユウジは恐る恐る……、
「う、うれしいな……。ところで何をやってくれたの?」
聞きたくはないが、聞いてみた。
それを受けて、兄タカノリは、まるで天下を取った武将のような勢いで言い放ったものだ。
「ああ、お前がやりあぐねていた『ドラドラ・クエスト9』のドラドラの紋章見つけといた。ああ、ついでに完全クリアしといてあげたぞ! 喜べ!」
「…………」
ユウジは崩れ落ちた。この日、三度目である。そして彼は、二度と立ち上がることが出来なかったのである。
『凶悪のセオリー』〈了〉