7. 避けられない戦い
だいぶ間が空いてしまいました…
「…逃げずによく来たな」
「お主如きに呼び出されたからといって、何を怖気づくことがあるか」
対峙する2人の間を一陣の風が吹き抜けると、互いのスカートが揺らめく。
一方は、短い丈でチェックが入ったものだが、裾裏にキラリと光る装飾が見える。もう一方は、深い紺色一色で最近の女子高生にしては丈が長目だ。
鋭い目つきで睨み合う2人の間には、目には見えないが確かに赤い火花が飛び散っていた。
勇と千種―。
相容れない2人は、ついに、しかしそうなるべくして、今まさに衝突しようとしていた。
千種が現れてからというもの、勇の周りの環境は一変した。
そもそも、勇はその性格ゆえに、周囲からの評価が割れる存在ではあったが、勇自身はそのことをあまり気にしてはいなかった。男子からの評価は概ね好意的なものだったし、一部の女子からの悪評はほとんど表立って勇の前に姿を表すことはなかったから、普段の生活の中で立ちはだかる障害らしい障害は、勇にとっては存在しなかった。
しかし、突然現れた晴の従姉妹なる転校生は、事あるごとに勇の眼前に立ちふさがった。何が気に入らないのか、自分と晴の間に割入っては、まるで藪蚊の如き扱いをする。その際の屹然とした表情からは、本気で晴から自分を遠ざけようとしていることがありありと感じられて、そのこれみよがしな程の嫌悪の念に、この頃の勇はすっかり黒髪・長髪・セーラー服アレルギーになってしまった。
「…ふーん、なんか私が知ってるあの娘と随分様子が違うね」
「そうなのか?」
「だって、あの娘結構礼儀正しいし、周りからもそんな悪い話は聞かないよ」
「えー…」
ある下校時、勇は思わず葵に切り出していた。
晴との下校時間を奪われたうえに、新たな脅威に見舞われたた勇にとって、葵と2人きりの時間は、心を落ち着かせる事のできる数少ない機会だった。
「あんた、何かしたんじゃないの?」
「何もしてねーよ!…ついこないだ転校してきたばかりだっつーのに、何をするってんだよ…」
勇自身、何か落ち度があったかも知れないと、色々と自分の行動を振り返ってはみたものの、やはり千種に対して何か問題ある対応を取ったとは思えない。そんな隙間がある程の接点が無いうちから、すでに勇は嫌われている様に感じられた。
「…じゃあ、直接あの娘に対して、じゃなくて、あの娘にとって大事な人に…とか」
「…」
葵はハッキリとは言わなかったが、それが晴を指していることは、勇にも分かっていた。
そもそも、勇がひとりの時や、他の同級生たちと居るときには、千種もやたらに突っかかってくる事はなかった。が、晴に接触するや、とたんに形相を変えて追い払いにやってくる。まるで、勇が晴に何かしでかすのでは、と言わんばかりに。
「…俺は”悪い虫”ってことか?」
「…分かんないけどね。確かに、あんたと晴は、年頃の男女としては馴れ馴れしすぎるかもね。小さい頃からの幼馴染だとしても。」
「…」
「まあ、親戚のお姉ちゃんとしては、少し心配になる気持ちもあるんじゃない?」
葵の言葉からは、勇と千種、両名への気遣いが感じ取れた。いつもと変わらない、淡々とした、それでいて几帳面な親友の応対に、葵は少し心が軽くなるのを感じた。
「……そうかもな…」
とは言え、到底納得することはできない。
何か、自分の中で腑に落ちるような決着を付けなければ、この悶々とした気持ちを抱えたまま、残りの高校生活を送ることになる。それは勇にとって耐え難いことだった。
(……考えても埒が明かねーんなら…)
勇は自分の中でふつふつと何かが湧き上がってくるのを感じた。
(…俺の思うようにやるだけだ)
次の日の昼休み。
晴が席を外している隙に、勇は千種の机に2つ折りにしたメモ書きを叩きつけると、スタスタと教室を後にした。
突然のことに少し呆気にとられた千種だったが、それに目を通すと、すぐにその意味を理解した。そして普段の千種からは想像も出来ないような、不適な笑みを見せた。
「ふっ…」
そう、それは勇からの果たし状であった。
これ以上この状況に耐えられないと判断した勇は、自らの実力をもってこれを解決しよう、すなわち戦って勝った方に従うという、現代日本に生まれた一介の女子が導き出すとは到底思えないような結論を出したのだった。
「てっきり無視されるのかと思ってたぜ」
目の前の千種を睨みつける。一方の千種は、いつもの様に涼やかな表情で、しかし視線は千種の目を真っ直ぐに見ていた。
対峙する2人の間を、9月の熱を帯びた風が通り抜ける。バタバタと服を揺らす音だけがあたりを包んだ。
勇は決戦の場所として、ここ、新校舎裏の焼却炉前を選んだ。
新校舎と呼ばれてはいるが、昭和の終わり頃に建てられた鉄筋コンクリート造3階建てのその裏手に、今では使われていない、校内のゴミを処分する焼却炉があった。
そこは丁度学校の敷地の隅にあたり、炉に面した部屋は、通常の教室としてではなくそれぞれの階の備品置き場として使われていた為、日中でも立ち入る者は殆どいない、人目を避けるには都合の良い場所だった。
「お前も、いつも竹刀袋を背負ってるとこみると、剣道でもやってるんだろ?」
勇は手足をブラブラと揺らしながら、口を開かない千種を前に構わず続けた。
「あっちでやってたのがどの程度のモンか知らねーけど、軽く揉んでやるよ。」
その言葉に、千種の口角が少し上がった。
「ふ、確かにお主のただならぬ気配は、この時代で拙者が相対してきた人間の中では随一であろう。」
いつにも増して静かな口調だった。
「だが、まだ温い。」
千種は瞼を閉じてすぅっと息を吐いた。そしてゆっくりと目を開いていく。現れたのは、これまでの千種のそれとは全く異なる、暗く冷たい瞳だった。
「こ、コイツ…」
真っ直ぐに勇を見つめるその視線は変わらない。しかし、その瞳に宿る鈍い光に、勇の先程までの威勢はすっかり消え失せていた。
勇の額を冷や汗が伝う。
(…ナニモンなんだこいつ?…)
女子高生とは言え、全国的にも名が知れるほどの武道経験者でもある勇である。これまでも、試合の対戦相手などから、鬼気迫るものを感じることはあった。だが、今回の千種の瞳から感じるのは、試合のそれとは違う。
そこから感じるのは、ただただ静かな殺意だった。
蛇に睨まれた蛙の如く、体の固まった勇をよそに、千種は肩に掛けていた竹刀袋の口を開ける。そこから覗いたのは、竹刀…ではなく、刀の柄だった。
「な…」
竹刀袋の予想外の中身に、思わず勇は声を漏らした。千種は、刀を袋に入れたまま、鞘から刀身を抜き放つ。
(…レプリカだよ…な?…)
「哀れとは思うが…熊川家の弥栄の為、お主には…」
千種の殺気がより鋭くなっていくのを感じる。勇にとって、最早、相手が持つ
得物が、偽物だろうと本物だろうと関係なかった。
(…構えなきゃ…やられる!!)
勇は、ほとんど本能的に構えを取った。
「死んでもらう!」
その言葉を言うが早いか、千種は猛然と勇に斬りかかった。
―ヒュン!
上段の構えから振り下ろされた刃を、勇はすんでのところで避ける。
僅かに切っ先に触れた髪の毛が、ふっと空中に散った。
(くそっ、マジモン(真剣)かよ!)
距離を取ろうと飛び退く勇に、千種は返す刀で猛然と切りつける。勇は上体を逸らして、何とか身をかわす。
「ほう、中々の体捌きだ。」
初撃、二撃目と続けて回避されたことに、千種はやや意外な表情をしつつも、余裕の口ぶりだった。
「なら、これはどうかな。」
間髪入れずに次々と繰り出される千種の斬撃を、勇はただ避けるだけで精一杯だった。
「くそっ…」
ついさっきまでは、煩わしいほどに聞こえていたツクツクボウシの鳴き声も、もう勇の耳には入らない。今代わりに聞こえるのは、切っ先が空を切る音だけだ。
「どうした、軽く揉んでくれるのでは無かったのか!」
(こいつ…遊んでやがる)
軽く笑みを浮かべるほど余裕の千種だったが、その目から殺気は消えていない。少しでも隙を見せれば、その刃は容赦なく勇に襲いかかるだろう。
「これもお家の為よ。悪く思うな」
コイツ、さっきもそんなことを…
「オレが…何をしたってんだ!」
「お主は若様に害為す災いよ!災いは取り除かねばならん。拙者はその為にここに参ったのだ!」
「そんなの、オレは関係ねーよ!」
勇の言葉に、千種は不意に攻撃を止めた。
「ふっ…お主…」
不適に笑いながら、勇に言い放つ。
「若様に懸想しておるのだろう。」
「ケソウ?…って何だ?」
「……惚れているのだろう?」
その言葉を聞いた勇の顔が、みるみる赤く染まっていく。
「バ、ババ、バカ言ってんじゃねー!!」
突然の勇の大声に、千種は少したじろいだ。
「…拙者のような朴念仁でも分かるわ!…しかしお主のような下賤の輩が、若様と懇ろになろうとはおこがましい。」
「ち、違う、あいつはただの幼なじみ…」
その言葉に、千種はピクリと眉をひそめて、ゆっくりと勇に切っ先を突き付けた。
「ほう、ならば金輪際、若様…晴様に近づかないというのなら、命は助けてやろう。」
「そ、それは…」
勇は、千種から感じる殺気に嘘は無いと感じていた。しかも、相当の熟練者である。このまま続けば、いずれ斬撃を受けるであろうことは想像に難くない。
「そんなの、オレの勝手だ…」
「ならば、幼なじみとは言え、惚れてもいないただの友人の為に、命を投げ打つか?」
勇は言葉を飲んだ。
晴は確かに幼なじみで友人の一人だ。小さい頃から一緒にいる、そのことで、自分の傍らにいるのが当然のように感じていた。
そんな晴と離れろと、目の前に居る刀を持った女は言う。
(理不尽だ。)
(オレが誰と一緒にいようが、文句を言われる筋合いは無い。)
(……ちがう…)
(…晴は本当にただの幼なじみで…友人の一人というだけなんだろうか…)
懊悩する勇の様子を見て、千種はフンと鼻を鳴らす。
「…そんな様子では武道の方にも身が入るまい。」
「そんな!…ことは、無い…」
勇は意を決して千種に言い放った。言い放ったつもりだったが、言葉の最後の方はすっかり尻すぼみになってしまって、千種に微かに届く程度になってしまっていた。
「ハルのことも…オレは…」
「…」
もう殆ど声にもならない声を絞り出しながら、勇は続ける。その顔は耳まで真っ赤になっていた。
「でも今更…なんか気恥ずかしいっていうか…」
「…」
「ごにょごにょ…」
「…(イラッ)」
勇のしどろもどろな言葉に耐えかねた千種は、再び切りかかった。
「その煮え切らぬ態度、虫唾が走る!」
「うわっ、ちょっ」
突然の千種の変貌に戸惑った勇は、すんでのところで刃をやり過ごす。しかし、猛然と仕掛けてくる千種に、またもかわす体で精一杯となった。
「恥ずかしいと言ったな。」
斬り掛かりながらも、千種は続ける。
「”恥”という字は…」
ヒュンッ
「くそっ」
勇の鼻頭の先を、切っ先がかすめる。
「”耳”に”心”と書く。なにゆえ”耳”が付くか、知っているか。」
「…知るわけねーだろ!」
(突然、何言ってる?!)
勇への攻撃の手を休めること無く、千種は続けた。
「”耳”は”やわらかい”という意味よ。つまり…」
一瞬、千種は攻撃の手を緩め、半歩ほど後退すると、腰を落として切っ先を勇の方へ向けた。
「柔らかい、定まらない心こそが、”恥”なのだ!」
千種は言い放つと同時に、低い姿勢のまま素早く一歩前へ踏み出して、勇の喉元へと突きこむ。
「!」
千種の言葉に戸惑った勇は、反応が数瞬遅れた。
(やられる!)
そう思った勇は、顔を逸らし目をつぶって、自身の最期を覚悟した。
(……ん?…)
しかし、その切っ先は、勇の喉元に突き刺さることは無かった。
(な、…なんだ?)
勇がおそるおそる目を開けると、そこには、自分の喉元に突きつけられた刀が、まだ高い太陽の光を受けて眩しく輝いていた。
そしてその先には、持ち主である千種の顔があった。キッと勇を睨みつけてはいるが、その瞳は戦いの最中のそれとは違い、普段学校で見るような、いつもの眼差しに戻っている。
「今のお主は、まさにそれよ。」
千種は、どこか諭すような柔らかな口調でそう言うと、刀を引き、素早く傍らに置いていた鞘へと戻す。
呆然と立ち尽くす勇を一瞥した千種は、もう若様に近づくな、とだけ告げると、その場から立ち去った。
(……)
千種の姿がその場から消えると、勇はガクリと力なく膝を落とした。2人の戦いが終わった校舎裏には、ツクツクボウシの合唱が、相変わらず響き渡っていた。