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6. 思い込みなのか、覚悟なのか

 あれから1週間ほどが経過した。

 休み時間、机に頬杖をついたアンニュイな様子の晴の目の前では、今も勇と千種の諍いが繰り広げられている。

 武士を自称する少女が晴の日常に土足で上がり込んできてからこれまでの間、晴は観察を続けてきた。その中で、2点ほど確認できたことがあった。

 そのうちの1つは、どうも千種は”女難”という言葉を勘違いしているのではないか、ということだ。

 ”女難”という言葉を辞書等で調べてみると、男性が女性に関する事柄で災難を被ること、とある。その災難の種類は特に限定されているわけではないが、概ね色恋沙汰からのトラブルによるもの、と解釈されるのが一般的である。晴もそうした意味だと理解していたが、千種の行動を見ていると、母親である依子はまだしも、勇以外のクラスの女子達に対しても、特段晴から遠ざけようとすることはなかった。むしろ、今の同世代の感覚からは不釣り合いなほどに丁寧な対応をしていて、クラスメート達の千種への心象はかなり良い方と言えた。

 加えて、千種本人の言である。勇と初めてまみえた際も、勇を刺客だと断じていた。どうやら勇が武道経験者であるということが、千種に何らかの危険要素を感じ取らせているらしかった(このあたりは、晴にはピンと来ない)。

 以上の状況から、千種は”女難”という言葉を、女性から物理的な危害を加えられること、と解釈しているのだろうという推測を、晴は立てたのだった。そしてこの推測が概ね正しいであろうことを、晴はこの1週間の終わりの頃には感じ取っていた。確かに、千種が現代で接してきた女性の中では、勇は最も武闘派の人物だった。客観的に見れば、男女を問わず晴の近辺にいる人物の中で、最も危害を加えてきそうな人物だ、と見ることもできた。


 「だいたいお前が・・・」


 「お主こそ・・・」


 考察に耽る晴をよそに、勇と千種はぎゃあぎゃあとがなり立てている。この2人の言い争いも、たった1週間の内に、すっかりこのクラスの風物詩扱いである。多くの生徒が、すでにこの状況に適応し、”関わりを持たない”という最適解を導き出していた。稀に干渉してくるのは豊や葵ぐらいのものである。

 

 ―みんな、慣れたもんだなぁ


 目の前の見飽きた光景をぼうっとした表情で見つめながら、妙に納得してしまいそうになった晴は、突然我に返ると頭をぶんぶんと振って、


 ―ちがうちがう、そろそろ止めに入らなきゃ・・・


 と、若干他人事のようになりかけていた頭の中を振り切って、今回で数えて56回目の仲裁を試みたのだった。



 「ハルさん、帰りましょう!」


 「・・・うはーい・・・」


 千種が来てからというもの、登下校はすっかり2人だけの時間となってしまっていた。これまでは勇や葵、豊たちと時には2人で、時には4人そろって帰ることもあったが、勇とは言わずもがな、葵と豊は勇に遠慮でもしているのか、下校時に声を掛けられることも無かった。


 ―・・・まあ、ユウとチグサさんとがあの調子じゃな・・・


 晴は軽く溜息をついて、下駄箱から靴を取り出す。

 通用口のガラス戸から差し込む太陽の強い日差しが、外の環境が過酷であることを物語っている。その眩しさにへきえきしながらも、晴は靴を履くと、いつものように千種とともに学校を後にした。


 「まったく、あのうし乳むすめが・・・」


 千種は誰に言うでもなく、ブツブツと勇への不満をぼやきながら、焼けたアスファルトの上を歩く。


 ―・・・うーん、これも問題だよなぁ・・・


 晴が確認できた2点のうちのもう1点とは、千種は胸の大きさには相当なコンプレックスを抱いているということだ。まさに先ほどの言葉の通り、千種は勇の身体付き、特に胸の豊満さを、おおっぴらに目の敵にしている。


 ―それに、あの時の・・・


 こうした日頃の言動もさることながら、先日、晴は自宅で衝撃的な事態を目の当たりにしてしまっていた。


 ――――


 『・・・父さん、こんな遅い時間にドアの前で何やってんの・・・って前にもあったよね・・・』


 『いや、居間から何か変な声が聞こえるんだって』


 『また、そういう・・・』


 『いいから、ほら、ハルも』


 『・・・』


 (うーん・・・うーん・・・)


 『・・・なんかうめき声が・・・』


 『な?そうだろ?・・・まあ気にせず入るか』


 『えっ、入るの』


 ガチャリ


 『あっ』


 『・・・チグサさん・・・?何やってるの?』

 

 『・・・えーっと、バストアップ体操・・・かな?』


 『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!見ないで、見ないでぇぇぇぇぇぇ』


 ――――


 その後、悲鳴を聞いて駆けつけた依子に、それなりの代償を支払わされたのは言うまでもない。概ね晃一郎が9、晴が1の割合で、だ。人の気配を鋭く感じ取る千種が、扉向こうにいる2人に気付かなくなるほど夢中になって励むその姿を見て、晴は千種の心中を垣間見た気がしたのだった。

 余談だが、その翌日、聞いてもいないのに必死になって弁解する千種の言からすると、どうやら例の体操は依子が教えたらしい。依子も若かりし頃には苦労していた、という、息子の立場からするとあまり知りたくない母親の過去を聞かされた晴は、しかし今の依子の様子から、彼の体操はあまり効果がないのかもしれない、と思ったが、もちろん口にはしなかった。


 ―・・・まあ、それは良いとして・・・


 晴は改めて千種が来てからのことを思い返す。

 当初はさっぱりだった現代の常識についても、晴や依子達の指南のおかげで、少しは通じるところも増えてきた。学校でも、クラスメート達だけでなく、他の生徒や教師とも、それなりに応対が出来るようになってきた。


 ―・・・勇だけなんだよね・・・


 だが、勇への対応だけは、晴の度重なる説得、説明を以ってしても、改まることは無かった。他の物事については比較的素直に聞き入れる千種も、勇のこととなると頑として首を縦に振らなかった。それは、本当に勇が晴に対する災難だという確信があるからなのか、単に自身の劣等感がそうさせるのかは分からないが、この頑固さは武士故だろうという事は妙に納得できた。

 

 ―うーん、何かいい手はないかな・・・


 隣を歩く千種は、もう今は勇への悪態も言い飽きたのか、通学路沿いにある中学校のグランドを覗いている。どうやら野球部が練習をしているようだった。監督が声を張り上げると、それに呼応して生徒も負けじと大きな声で応える。千種はその様子を、不思議そうに眺めていた。


 「あれは一体・・・」


 「ああ、あれは野球の練習をしてるんだよ」


 千種が不意に立ち止まる。つられて晴も足を止めた。


 「・・・中々気迫の籠もった鍛錬でござるな」


 「そうだね・・・体力的にも大変だし、上下関係も厳しいし・・・」


 そこまで言い切って、晴は自分の言葉にハッとした。


 ―・・・上下関係・・・?


 「それだ!」

 

 晴の突然の大声に驚いた千種が、何事かと晴の顔を覗き込む。


 「あ・・・ごめん、ごめん・・・アハハ・・・」


 得意の苦笑いでやり過ごそうとする晴を、千種は怪訝な顔でしばらく見つめると、グランドをちらりと見ると、再び歩き出す。慌てて続く晴には、その時の千種の寂しげな表情までは目に入らなかった。



 その日の夜、晴は千種が寝床にしている客間の和室を訪れた。


 「あ、若、どうされたのですか?」


 部屋の中では、依子の寝間着のお下がりを着た千種が、生乾きの長い黒髪を櫛でとかしている。寝間着は薄い麻の生成りの生地で、袖丈、裾丈の短い涼し気な夏用のものだが、その飾り気のなさが千種の純朴さを表しているようで、良く似合っていた。晴も、初めてその格好を見た際には、薄い生地に時折透ける体のラインに緊張を強いられた訳だが、一週間も経てばすっかり耐性が出来上がって、


 「・・・えっ、あ、いや・・・」


 耐性は未だに出来上がってはいなかった晴だが、紅潮する頬を冷ますかのように2、3度首を振ると、オホンとわざとらしく咳き込んで、厳しい表情(だと本人は思っている)で千種の瞳を見据えた。

 

 「あー・・・千種さん・・・いや、千種!」


 突然の晴の奇行(?)に驚いた千種は、思わず居住まいを正して正座で晴の正面に向き直った。


 「熊川家の正当な後継者として命ずる。今すぐ・・・いや、もう時間も遅いから・・・オホン、明日にも元居た時代へと帰るがいい!」


 晴が人差し指を千種に突きつけながら一息に言い放つと、8畳の和室の中はしんと静まり返った。台詞を言い切った達成感に浸っていた晴だったが、我に返ると慌てて指を引っ込めて、口を開かない千種の態度に焦って、先程の言葉を取り繕いだした。


 「あ、いや、その・・・できれば帰ってもらえると・・・ほら、千種さんの知り合いの人たちも心配してるだろうし・・・」


 うろたえる晴の姿が可笑しかったのか、千種はフフと含み笑いをすると、座したまま晴を見つめる。その真っ直ぐに注がれる視線に、晴は思わず目を逸らしてしまった。千種はその様子を見届けると、静かに切り出した。


 「・・・若、我ら熊川家臣には、主上におもねらんとする者は、ただの1人もおりませぬ。ただお家の為、一途にお使えているのみ」


 まだ動揺している様子の晴をよそに、千種は続けた。


 「若のご下知がその義と違うものでないのなら、身命を賭してご下知に従いましょう。さもなければ、たとえご機嫌を損ねて切腹を申し付けられようと、諫言させていただく。それが熊川の武士の生き様でござる」


 千種は軽く唇を引き結び、元より大きな瞳を一層見開いて、晴を見据えた。まるで、確然とした覚悟をもって、右も左も分からない時代に単身乗り込んできた千種の強固な意志が、そのまま形となって姿を現したかのようだった。

 その千種の瞳に当てられた晴は、先程まで浮き足立っていたにも関わらず、不思議と千種の言葉を素直に聞き入っていた。


 ―・・・武士って、もっと盲目的な主従関係かと思っていたけど・・・


 晴には、せいぜい、学校の授業やテレビの時代劇で得た知識程度しかない。封建社会の中では、生まれや身分の上下は現代では想像もできないほど大きく、それ故下克上などといった言葉が生まれ、それを成し遂げた人物は教科書に太字で名前を残したのだろう・・・それほど彼の時代は上意下達が徹底していたのだ、と晴は考えていた。”主君の為に命を投げ打つ”などと、まったく想像もつかない話だが、当時はそういう思想が一般的だったのだと思っていた。

 しかし、千種の言葉から想像する武士像は、晴がこれまで認識していたものとは少し異なるものだった。

 たとえ主君であっても、それが家全体の為にならない命令なら、それを諌める。その姿勢は、ただ盲目的に主人に尽くすということではない。その下に連なる多くの配下や民衆、その領地にまで想いを馳せ、そしてそのあるべき姿を、自分自身が確固たるものとして持ち合わせているということだ。そしてそれを突き通すということは、主君の命令に命がけで応える、という事以上に困難な生き方に違いなかった。

 

 ―・・・


 その思いを完全には理解できなくとも、いま眼の前にいる千種を見れば、その覚悟の程は朴念仁の晴にも分かる。誇りに満ちた顔で話す千種を見ていると、晴は清々しい風が体の中を吹き抜けるのを感じた。


 「・・・しかし、若様がどうしても帰れ、というのであれば、是非もありません」


 「えっ?」


 千種はスッと立ち上がると、客間の窓から見える猫の額程の庭に目を向ける。


 「若様を、熊川の未来を守るという大義を果たすことが出来ぬとなれば、大殿、引いては志を同じくする仲間たちに会わせる顔がありませぬ。・・・庭先を拝借したい。介錯は若様にお願い致す」


 「いやいやいや、帰って欲しいだなんてまったく思ってもないよ!」


 ―ハラキリ!・・・ウチの庭で!!・・・しかも僕が介錯!!!


 眉一つ変えずに物騒なことを頼む千種に、晴は間髪入れずに首を大きく振って必死に否定する。まさか自分の家で流血沙汰を起こさせるわけにはいかず、晴は心にもない説得の言葉を思わず口走っていた。

 その言葉を聞いた千種は、それまでの凛とした表情から一変、相好を崩すと、晴が痛がるのも構わず手を取ってぶんぶんと振った。


 「そうでござるか!いやぁ、それは良かった!・・・では、今後もよしなにお願い致す」


 ―・・・まあ、とりあえず、まだいいか・・・


 無邪気に喜ぶ千種の笑顔を前に、晴は当面この状態が続くことを、渋々ながら受け入れたのだった。


 「あ、そうそう、実は帰り方はわからないのでござる」


 「・・・はいぃ?」


 晴の口から普段聞いたことのないような、上ずった声が聞こえた。晴の中では、綺麗にまとまったと思っていたところへ投げかけられた千種の言葉は、瞬時には理解できない内容だったからだ。


 「いやあ、帰り方を記した書付を無くしてしまって・・・」


 千種は悪びれもせず、照れ笑いしながら後ろ頭を掻く。自分自身の問題にも関わらず、どこか他人事なその表情は、晴を一層不安にさせた。


 「・・・それはそんな軽い話なの・・・?」


 「大丈夫!なんとかなるでござるよ!あっはっは」

 

 ―・・・何が・・・大丈夫なの・・・?


 先程と変わらない笑顔を前に、晴はひょっとしたらこの状態が相当期間続くかもしれない事を、嫌々でも受け入れる事はできそうになかった。



 結局、千種はこれまでどおり、晴の傍らで警護件教育係として居座ることになった。ただ、元居た時代へと帰る条件が、当初の”晴が女難から救われる”だけだったところに、”帰り方を見つける”、という余計なものが増えてしまった。しかも、当人は、危機感がないのか、脳天気だからかなのか分からないが、特段気にした様子もなく、いつ解決するのか見当がつかないハードルの高い条件だった。


 ―・・・


 千種をどうやって帰らせるか考えのまとまらない晴の目の前では、今日もクラスの風物詩が繰り広げられている。たちまち帰らせることができないのなら、風物詩どころか日常になりつつある目の前の状況を何とかしないことには、晴の今後の学校生活や交友関係がどうなるかは想像に難くない。


 ―・・・勇との関係さえうまくいってくれればなぁ・・・


 せめて勇との確執さえなければと嘆く晴の耳に、授業の始まりを告げる鐘の音が聞こえる。さすがの2人も自分の席へと戻り、束の間、穏やかな空気が教室を包むと、晴は深い溜息をついた。最早、学校での晴にとって心の平和を保てるのは、授業時間くらいしかなかった。


 ―何か他にいイイアイデアでも・・・


 授業内容そっちのけで対千種の策を思案する晴だったが、その後方の席から発せられるドス黒い思念に気付くことはなかった。その宿主は、元々吊り目がちの目を一層鋭くして、晴の隣に座る長い黒髪の後頭部を射抜かんばかりに睨みつけている。



 勇の中に堆積しつつあるストレスは、確実に限界に近づきつつあるようだった。

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