4. 武士にだってコンプレックスはある
「あー…ワタシは熊川千種と申します。えーっと…親の都合で小さい頃から…えっと…アメリカ?で暮らしていました。日本語は話せます…が、向こうでジダイゲキを見て覚えたので、おかしなところがあるかも知れませぬ。これから、よろしくお願い致す…ではなかった、します」
「千種さんは、晴さんの従姉妹ということです。あちらでの生活が長かったということなので、みなさん色々と配慮してあげて下さいね」
教室の壇上で、千種は深々と頭を下げた。
「(なーんだ、従姉妹か…)」
先程まで晴を吊るし上げていたクラスメート達は、内心つまらなさそうにパチパチと拍手を送る。その一方で、心底安堵した表情で胸を撫で下ろしている勇の姿もあった。
そんな悪びれない仲間たちの拍手を、晴は恨めしそうに聞き流していた。
―だから違うって言ってたのに!
混乱を極めた2-1は、あの後担任である真名が取りなして、なんとか収まった。クラスの異なる葵は、真名が後で別に説明すると説得し何とかクールダウンさせると、スゴスゴと自分のクラスへと戻っていったのだった。
ーそれにしても…
改めてクラスメート達の様子を見てみると、気のない拍手を送っているのは女子達だけのようである。千種の姿を見た男子達は、目を輝かせて、じっとりと熱がこもった拍手を送っていた。
「じゃあ、千種さんは、晴さんの隣の席にしましょう。まだこちらに慣れてない様だから…由良さん、すみませんが空いてる席に移ってもらえますか?」
はーい、と晴の隣の女子が荷物をまとめて席を立つと、晴は手を合わせて小声で謝った。女子生徒は、気にしないでとばかりに首を横に振って、空いていた席へと移動する。実はこれも晴の作戦の一つだった。真名に事情を説明した上で、便宜を図って貰ったのだ。
―正直、目を離すと何をするかわからないからね…
千種は席を譲った生徒に軽く会釈をして、皆の注目を浴びながら晴の右隣の席に腰を下ろした。
軽くスカートがひるがえり、細く束ねられた髪がするりと椅子の背もたれに掛かる。出会った当初は椅子に座ることに抵抗があった千種だが、今その所作を見ている限りそんな様子はない。腰掛けても、ピンとした背筋が日本刀の反りを思わせるほど姿勢よく収まっているのは、千種が礼節を重んじる武士だからということが関係しているのだろうか。
腰を下ろした千種は、晴にニコリと微笑みかける。晴は一瞬ドキリとしたが、すぐにこれから先のことが頭をよぎり、不安な気持ちが勝ってしまった。
―ああ、頼むから、もう何も起こらないで…
果たして、それは叶う事の無い儚い願いだった。
その後も学校での晴の苦難は続いた。
晴がまず相手にしなければならなかったのは、千種のところへ殺到した男子達だった。
「チグサさんはアメリカのどこに住んでたの?」
「見た感じ、ハーフとかクオーターじゃないよね。ご両親は両方日本の人?」
「日本語、時代劇で覚えたって言ってたけど、何見てたの?」
次の授業までの休憩時間に入ると、十数名の男子(クラスの男子のほとんど)が千種の席を囲む。その左隣の晴の席は、餌に群がる猛獣の如き男子の群れに押しのけられた。
「それは…」
「チグサさんはボストンに住んでて、ご両親は日本人なんだけど家庭の事情で親交のあるアメリカ人夫婦の家庭で育てられたんだ。その家庭が日本フリークだったから、そこで時代劇を見ながら日本語を覚えたんだよ。好きな時代劇は○戸黄門、鬼○犯科帳、大岡○前だよ!」
矢継ぎ早に質問を浴びせてくる男子達に戸惑う千種に代わって、晴が一息に質問に答える。前もって質問の想定はしていたため、どんな質問にも淀みなく答えることができた。千種ではなく、晴が、だが。そんな状況を怪しみながらも、集団は質問を続ける。
「いまどの辺に住んでるの?」
―キタッ
住んでいる場所の質問は必ず来ると踏んでいた晴は、手元のカンペをちらりと見て即座に答える。
「今はまだ日本で住む家が決まっていないから、親戚であるウチに住んでるんだ…」
その言葉に、猛獣の群れに限らず、近くに居た他の生徒達の間にも、一瞬どよめきが起こった。しかし、そんな状態でも、晴の態度は落ち着き払っていた。
―こんなのは折り込み済みだよ…
「でも、家が決まるまでの間だから、そんなに長い期間じゃないんだ。それに”親戚”、”従姉妹”だからね!”家族”みたいなものだし!」
晴は、ことさら親戚であること、従姉妹であることを強調し、家族の一員である千種を援助することは人道に照らしあわせて当然のことであると、あたかも街頭演説に立つ政治家のように熱弁を振るった。
「ま、まあ…そうか、そうだよな」
「親戚だし、そういうこともあるか」
―勝った!
周囲の同調する声に、完全のこの窮地を脱したと踏んだ晴は、ひとり心の中でガッツポーズを決めた。
住んでいる場所の説明をどうするかについては、晴も頭を悩ませた。実態がどうであれ、”一つ屋根の下で暮らしている”という言葉は、クラスメート達にとっては刺激が強すぎて、あらぬ誤解を招くと思えたからだ。しかし、その事実を隠したところで、もし明るみに出た場合には相当に苦しい釈明をしなければならなくなるだろうし、何よりこのクラスには勇がいるのだ。下手に誤魔化すよりも、その事実を皆に納得させるほうが得策だとの判断に至ったのだった。
そんな練りに練った策が成功した事にすっかり浸っていた晴は、千種への質問を聞き漏らすという失態を犯してしまった。
「じゃあさ、小さい頃は一緒にお風呂に入ってたとか?」
一人の男子が、やや意地悪そうに訊いた。
「風呂?小さい頃は知りませぬが…つい昨日も一緒に入ろうと申し上げたのですが、わ…ハルさんは、頑として首を縦に振ってくれませんでした…」
その千種の発言に、取り囲んだ男子たちは一瞬目が点になる。
「えーと…それは…」
「寝床も同じ部屋にして欲しいとお願いしたのですがなぁ…」
寂しそうに、千種はうつむき加減に応えた。
千種のその悩ましげな表情、仕草は、まわりの男子たちをすっかり虜にしてしまったようだった。なんとも形容し難い、だらしない男子たちの表情は、しかしその千種の言葉の意味を理解するに従って、徐々に晴への羨望、嫉妬、そして憎しみを湛えたものへと変化していった。
「はっ…え、えっと…ど、どうしたのみんな…?」
自分の世界からようやく戻ってきた晴は、その場の凍てついた空気にたじろいだ。
「ハル…お前…」
「こんな美人と同棲の上…さらに風呂に、添い寝に誘われていながら…」
「それを無下に断った…だと…?」
男子達の背後には、怒りの、いや嫉妬の炎が確かに揺らめいていた。その矛先となった晴は必死に弁明する。
「ま、まって…ぼ、僕は何もしてないし、ちゃんと断ってるじゃないか!」
「ええい、だまれだまれ!」
「その余裕ぶっこいてるところが気に食わん!」
「そうだそうだ!」
「裁きを!極刑を!」
「そうだそうだ!」
周囲からの総スカンを受ける晴の耳に、ところどころ親しい友人の合いの手が聞こえた。気のせいであってほしいと願いながらも、その声がした方に目を向けると、はっきりと螢一が立っていた。
「…ケイ…なにやってんの…」
「いや、義憤にかられて、つい」
―何が義憤だよ…見てたんなら助けてよ…
螢一との友達付き合いを、どうしたものか考えた方が良いだろうかと晴が思い始めた頃、千種が声を上げた。
「待たれよ!」
皆の目が千種に注がれる。かまわず、千種は凛とした声で続けた。
「わ…ハルさんはまだ拙者を信用されておらぬのだと思うのです。しかし、そのような時に行う奉公こそがまことの奉公。それを積み重ねていけば、自ずと信頼を得ることができるのでござる。…皆々にご心配をお掛けすることではありません」
―なんかちょっと話の内容がズレてるような…
しかし、晴の考えとは裏腹に、千種の正々堂々とした受け答えの姿を見た男子達は、
「な、なんという健気ぇ…」
「俺達にチャンスは無い、な…」
と、すでに千種の心に入り込む余地無しと勝手に納得し、皆一様に晴の肩を叩いて、それぞれの席へと帰っていった。螢一も同様だ。その姿を見送ると、晴は盛大に溜息をついた。
「はぁぁぁ~……」
―勇がいなかったのが不幸中の幸いだった…
確かに勇は今席にはいなかった。トイレなのか、葵のクラスにでも行っているのか―。いずれにしても、勇がいたら、あの程度の騒ぎでは収まらなかっただろう。一緒に住んでいるという事実はまだしも、そこでの千種の言動は勇には伝わるべきでない、伝われば…
―…命の危険すらあり得る…
ゾクリと身震いした晴は、まだ始まったばかりの今日一日のことを思うと、頭を抱え込んで机に突っ伏した。
「ユウ、ごめん!早とちりしちまった」
次の休み時間には、勇が晴のところへやって来て、先程の騒動の件に頭を下げた。ちょうど千種が手洗いで席を離れたというのも、勇にとっては都合が良かった。
「…いいよ、ちゃんと説明してなかった、僕も悪いと思うし」
「いやぁ、晴にあんな美人の従姉妹がいるなんてなぁ」
勇が正直に頭を下げる横から、先程の件などなかったかのように、螢一は悪びれもせず、鼻の下を伸ばしながら晴に歩み寄る。
「…何か、他にいうことはないですか、ケイさん」
「いやぁ、メンゴメンゴ」
―いつの生まれだよ、まったく…
螢一のウィットに富んだ昭和語録を聞き流していると、不意に真剣な表情で語りだした。
「それにしても…」
「どうしたの?」
普段あまり見ることのない真顔の螢一を見て、晴は何か感付かれることでもあったかと、肝を冷やす。螢一は妙な所で感が鋭い。というよりは晴が分かり易い性格と言うべきか。いずれにしても、こういう時の螢一は油断できない相手だった。
晴は螢一の次の言葉を、固唾を飲んで待つ。
「ブレザーも悪くないが、清純さを取るなら、やっぱりセーラー服だよな!」
―…
あまりに突飛なその言葉の意味を晴が理解するには、数秒を要した。
―突然何を言い出すんだ…
晴が呆れ顔を浮かべていると、
「そうかぁ?俺はブレザーの方が良いけどな。上着さえ引っ掛けてりゃ下に何着てようが構わねーしな」
どうやら勇は、純粋に制服としての良し悪しの話と思ったようだ。
かくいう勇の通学時の格好は、上はパーカーの上にブレザー、下はスカートという、大分着崩した動き易そうな出で立ちだった。
「言っとくけど、その格好、校則的にはグレーだからね…」
「お前までアオイみたいなこと言うなよ」
確かに、葵の性格なら顔を合わせるたびにでも注意してきそうだと、晴は苦笑いした。
「そういやユウ、お前、意外とスカート短いよな。いや、変な意味じゃなくて」
螢一が不思議そうに言う。勇のスカートの丈は極端に短いというわけではないが、一般的な女子高生と比較して、オシャレやファッションに興味があるように見えない勇にしては、確かに短いように見える。
「意外っつーのが気になるけど…やっぱり膝が隠れちまうと動き辛いからな」
あぁそういう理由か、と晴と螢一が納得する。ふわりふわりと揺れ動くスカートの裾を見見ていた晴が、ふとあることに気付いた。
「…でも、そのスカートって、何かあんまりヒラヒラしないというか…」
「あ、それはな、動いてめくれるのもあれなんで、裾の裏側に鎖を縫いこんでるんだ」
ほら、とユウがスカートの裾をめくると、確かに裾の裏側に細い銀色の鎖が縫い止めてあった。勇の動きに合わせてスカートが揺れると、鎖に反射した光がきらりと揺らめいて、単に機能的というだけでなく、ちょっとしたアクセサリーのようでもあった。
「なかなかいいアイデアだろ?でも鎖を尻の下に挟み込むと痛いんで、いつも直座りなんだよな」
ははっと勇が笑う。
だが、晴にも螢一にも、途中から勇の言葉が耳に入っていないようだった。
今、この健全な男子二人の意識は、スカートの裾の部分がめくれてあらわになった、勇の健康的な太ももに注がれていた。
「…―っ」
その湿っぽい視線に気付いた勇が慌ててスカートを元に戻す。
「おまえら…」
「いやー、不可抗力とは言え、良いもん見れた。サンキュー、ハル。あの一言が決めてだったな。なかなかの策士」
ホクホク顔の螢一が満足そうに言う。勇の表情をちらと見た晴はその形相に青ざめた。
「えっ、いや違う、誤解だよ!」
「豆腐の角に頭ぶつけて死ねアホ!」
豆腐の角よりは遥かに強烈な勇の突きが、愚かな男子二人に炸裂した。
「若…ハルさん!これは一体…」
晴と螢一が悶絶しているところに、千種が手洗いから戻ってきた。うずくまる晴と、拳を握りしめていた勇とを見て、にわかに千種が気色ばむ。
「やはり、貴様が若様にとっての災難ということは、間違いないようだな…」
「いや、転校生、これはだな…」
千種は釈明しようとする勇の言葉に耳を貸さず、やおら座席に立て掛けていた竹刀袋に手をかけた。
―ま、まずい!学校でそれは…
その中身を、この場では本人以外に唯一知る晴は、慌てて千種をなだめる。
「ち、チグサさん、これは僕が悪い…」
「みなまで申されますな。この状況…すべて分かっております」
晴の言葉にも耳を貸さない千種は、鋭い眼差しで勇を睨みつけると、
「全てこの”おとこおんな”の仕業でござろう」
と、勇の眼前に指を突き付けて言い放った。勇は一瞬キョトンとした顔をしていたが、その言葉の意味に気付くや否や、赤い顔をしてこぶしを握りしめる。
「…おとこおんなぁ…!?」
「ちょっ…」
―ああっ、まずい、ついに心配した事態に…
晴はこの場から逃げ出したい衝動を押さえながらも、この場に漂う異様な雰囲気に割って入れずにいた。特に、千種の勇に対する敵意は、並々ならぬ物があった。
―どうしてそこまでユウのことを…本当にユウが僕にとっての”女難”ってこと?…
千種本人の言によれば、”晴を女難から守る”という使命を果たすために過去から現代に来たことになる。今こそその時と、血気にはやっているのか―。
「ち、チグサさん…や、やめて」
―だめだ、例えそうだとしても、ユウは僕の大事な…僕の大事な…
「大体何だその胸は!」
『えっ』
突然の千種の発言に、思わず晴と勇がハモる。
千種の鋭い視線は、勇の豊かな胸元に一直線に注がれているようだった。
「大方、そのだらしない胸で若様を籠絡せんとしたのだろう!」
「だれがだらしない胸だ!っつーか、胸のことを言うな!」
勇が顔を真赤にしながら、胸元を腕で隠す。すると、押さえ付けられたことで、かえって豊かな胸を強調することになってしまった。
「ああっ、またそんな…!わざとか、わざとなのかお主は!」
「…チグサさん?」
ムキになって怒る千種を見て、晴の頭には晴の頭にはある考えが浮かんだ。
―…単に胸の大きさがコンプレックスってこと…?
確かに、一般女子に比べて千種の胸元は幾分控えめではあった。それを比較的豊満な勇の胸と比べれば、より小さく感じるのは致し方無いと言えたが、当人にとってはかなり屈辱的だったようだ。
「俺だって、好きでこんな体してるんじゃねー!」
「だまれこの”うし乳むすめ”めが!」
「誰がうし乳だコラァ!」
すでに二人の争いは泥仕合の様相を呈していた。
当初はただならぬ雰囲気に遠巻きに見ていたクラスメート達も、すっかり慣れてしまったのか、今はただ野次馬を楽しんでいるようだった。晴としては、千種が竹刀袋の中身を取り出す前にこの場を鎮めたい思いはあったが、自身のコンプレックスに触れて怒っているその姿を見ていると、現代の人間とそう変わらないのではと、少し親近感を覚えたのだった。
「ふ、二人とも、無駄な争いはやめるんだ…」
突然、さっきまでうずくまって悶えていた螢一が口を開いた。
螢一の言葉に、二人の言い争いが一瞬止まる。
―ケイ…?二人の争いを止めようと…?
晴は祈るような思いで螢一の次の言葉を待った。
「大きいとか、小さいとか…そんな争いは不毛だ…大きいものにも小さいものにもそれぞれの良さがある…」
―…
晴はこの時点で螢一が何を言い出すか、予想がついた。そしてその言葉では、二人の争いは止められないことも。
「俺は、ユウの大きくて揉みごたえのありそうなのも好きだし、千種ちゃんの小さい可愛らしいのも好きだぜ!」
螢一が一瞬見せた溢れんばかりの満面の笑みは、次の瞬間には争いの当事者たちから見舞われた拳によって苦悶の表情に変わり、そして最後には教室の床へ前のめりに倒れこんで、確認できなくなってしまった。
―…ケイ、結局何がしたかったんだ…
と、ここでゴング代わりと言わんばかりにチャイムが鳴り響いた。
「ほら、二人とも…もう先生が来るよ…」
先程のダメージからようやく回復してきた晴が、何とか二人をなだめる。勇と千種は、しばらく睨み合って火花を散らしていたが、渋々晴の言葉に従って、席へと戻った。
「はーい、授業を始めますよー」
ちょうどそこに、次の授業を受け持つ真名がやってきた。
「…螢一くん、何やってるの?教室ダイスキ?」
「うぅ…マナちゃん、そりゃない…ぜ…」