①ゼルマギッツとキャスパー
「きっと百年後には誰も覚えていない、私達の物語を話します」
――際限なく透き通る天理の諸力、その奔流よ大河であれ
―――次元を違えし、異世界の諸兄よ
―我は万魔の御業を継ぐ者、我が師の名と天の神の御名を通してここに願う……
◆
ゼルマギッツがいつも通り、唯一の友人であるキャスパーと共に迷宮からの一仕事を終えたある夕暮れの話しだ。
「きょ、今日は疲れました~」
今日の収穫は酷いもので下手をすれば赤字かもしれない。普段、ゼルマギッツとキャスパーが収入源にしているのは《コールドデッド》と呼ばれる霜の張ったゾンビだ。雪の悪霊に魅せられたまるでつい先日死んだばかりのような新鮮な歩く死体。この魔物は稀に心臓で《銀雹》と呼ばれる魔硝石を精製し、純度の高いモノはこれが中々馬鹿にならない金額で売れる。大粒のものが2、3個獲れれば経費込みでも二月は生活に困らない。しかしこのゾンビ、歩くだけならいいのだが無論モンスターなので人を襲う、襲う時は10や20といった大所帯の群れでもって冒険者達を襲う上、中位のサイレントスピリット《精霊魔導》まで扱うのだから始末に負えない。強い弱いは別として、とにかくやり辛い相手。まぁそれ故、だからこそ2人にとってはこの上ない収入源となり得たのだ。決して楽な相手ではなかったが。
だがどういう訳か、今日はその魔物の姿が少なかったのだ。取り分けあの階層は精霊力を定着させる妙な魔術的機構が随所に張り巡らされており、それ故コールドデッド以外にも数こそ少ないが 風の凶獣や狂った《ウンディーナ》などコールドデッドと同じ様に自身の中心核で魔硝石を蓄える魔物がいた。ウィッキスに至ってはその毛皮だけでも良い値になる。
しかしその姿もなかった。仕方なく普段は立ち入らない深部に潜っていったところ、デーモンの集団に出くわし、あらん限りの技と力と機転を振り絞って命からがら迷宮から脱出して来た訳だ。
「クタクタだよ~」
キャスパーは、呪文の連発で消耗したゼルマギッツの分の荷物も背負いながら不吉な顔で暢気に笑った。
「で、でで、でも。きょ、今日も生きて帰れて、良かったネ、ゼーマ」
幼少期の事故の影響でキャスパーはひどいどもりを持っている。それに加えてキャスパーは人から嫌煙される要素を幾つも持っている。まず肌の色が蒼白で不気味だ。適当にザンギリに刈られた黒い前髪から覗く落ち窪んだ眼窩、その奥で怪しげな光を称える紅い瞳とひどい隈。加えて黒い防刃ローブからチラチラと覗く腕や首や顔の至るところには大小種類様々な傷跡があり、特に首は傷が塞がっている今でもぞっとしない凄惨さだ。それだけでも不気味なのにキャスパーはさらに体系が不気味だった。長身痩躯の猫背で、腕が長い。妙に長い。バランスがおかしい。恐らく背筋を伸ばした状態でも膝に触れるほどの長さだ。
そういった内面以前に外見的要因からもまずは人を避けて憚らないキャスパーの話し相手もまた奇妙な容姿だった。
「うん。でも大丈夫キャスパー?あたしあんまり治癒呪文得意じゃないから……」
可愛らしい声だ。若干気落ちしてる風に感じるが、それでもたおやかなその声は人を優しい気持ちにさせるような柔らかい響きをマスクの内側で響かせていた。マスク。
そう、それはこちらの世界で言う所謂ひとつのガスマスクだった。
背面から見ると栗色の髪をした三つ編みの少女だが、正面、或いは横から見ると身の丈1・2m弱の黒いローブを纏ったガスマスクの奇怪な小人だ。
彼女の名はゼルマギッツ。今年で10歳を迎える幼き《ソーサレス》だ。
「う、うん!だだ大丈夫。おオレ、痛いの得意だから!」
「……やっぱり痛いんだ」
マスクの内側からゼルマギッツが複雑な視線を投げかけている。ふと後ろを振り返ればキャスパーの背後には点々と血の跡が続いている。
「ごめんねキャスパー……あたしが鈍臭いから」
ゼルマギッツは思わず足を止めて俯いてしまう。よく見ればローブの裾を掴みながら小さく震えている。見て慌てたのはキャスパーだ。元々蒼白な顔面を白黒させて頭を搔いたり小さく唸ったり荷物を置いたりしている。
「ちちっ!違う!ゼーマはっ!わ、悪くなイ!おお、オレ未熟だからっ!うう……ご、ごめんゼーマ」
キャスパーは、特に景色が気になる訳ではないのだろうが視線をキョロキョロさせながら、震えるゼルマギッツの回りを円を描くようにパントマイムみたいな動きでウロウロした。第三者から見れば 何の儀式かと思った所だろう。
やがて一際長く「う~~」と唸りを上げると、キャスパーはゼルマギッツに背を向けて座り込んでしまった。座り込んで自分の脳天に自分の拳を叩き付けた。ゴン!と少し不穏な音を立ててその長い腕から振り降ろされた手加減皆無の強烈な一撃はキャスパー自身をクラクラさせた。
しかし慌てたのはゼルマギッツだ。
「キャスパー!やめてぇっ!ごめんなさい!」
ゼルマギッツは続けて第二撃を見舞おうとするキャスパーの右腕にしがみ付いた。
「う~、おオレが、きき気持ち悪い奴だから!ゼーマと!いいい一緒に、ダ、ダンジョン潜る仲間が出来ないんダ!」
しがみ付いたもののキャスパーの細い身体の何処にそんな膂力があるのか、ゼルマギッツなどいないかのように腕はヒョイっと持ち上がった。
「違うよぉ!キャスパーは強いもん!良い人だもん!あたしが気味悪いから……うっう」
「ちちち違う!ぜぜぜゼーマは気味悪くナンかないっ!」
不意に自らの腕にぶら下がったままくぐもった声で泣き始めたゼルマギッツを真剣な面持ちで見つめるキャスパー。第三者が見たら首を傾げたままとりあえず踵を返すだろう意味不明な光景だ。
「でもぉ、ヒック!だってぇキャスパーは…ァ、悪くぅヒック!悪くないもん……ひぅ」
「ぜ、ゼーマ……」
我にかえったキャスパーがゼルマギッツを降ろす。だがしゃくりあげる彼女に自分がこういう時、どうしてやったら良いのかがキャスパーは分からなかった。心の内側は不安で不安で仕方がない。しかし誰かの為に自分が不安になった時キャスパーはそれが何なのか分からなくなって混乱してしまう。
普通それは、ただ単純にゼルマギッツを心配しているだけなのだが。自身の不安の原因を殺す事でのみ処理して来た青年にはそれがどうしたらいいのか分からないのだ。
だからキャスパーは待った、ゼルマギッツが落ち着くのを、ゼルマギッツが喋るのを。
しばらくしてマスクの内側にローブの首元を押し入れて顔を拭うという端から見ていると何だかよく分からない動きをしたゼルマギッツが言った。
「スン……キャスパー」
「な、なんだい?ゼーマ」
「自分を、殴ったりしたら駄目だよ?」
「う、うん。ぜ、ゼーマ」
「なぁに?」
「お、オレも、も、もっと強くなるよ」
キャスパーのその言葉を聞いたゼルマギッツは、何かに強く頷いて、元気いっぱい答えた。
「……うん!あたしももっと治癒呪文勉強するね!」
そうして2人はこういう時の常でハイタッチをして仲直りをする。
この奇妙な光景、そう、他人から見ればほとほと奇怪な2人だが。2人には2人の事情がある。そして彼女等自身はひどく真剣に、この荒れ狂う獰猛で理不尽な世界で生きようとしていた。
洛陽が間もなく落ちきって街道に夜がやってくる。下り坂の向こうの町並みに明かりが灯り始めるのが伺える。
「で、でも……ここ今回は、ちょ、ちょっと少なかったね」
「呪文書だけだからね~、でももしかしたら凄い本かもよ!帰ったら解読しなきゃ!」
「ヒヒヒ!だ、だったらイイナ!うん」
「そうじゃくても今日は生還祝いにご馳走にしよっ!」
「う、うん!うん!おオレ頑張る!い市場寄ろう!うん!……ぅん?」
キャスパーの足がもつれ、それを「よいしょ」とゼルマギッツが下から支えた。
「駄目だよ、キャスパーはまず神殿でちゃんと治療してもらわなきゃ」
「うう~、わ、忘れてた」




