顔を上げて
少し長い話を書いてみようと思い書いてみました。2万文字くらいあります。起伏の少ない、淡々とすすむストーリーです。ヒマつぶしになれば幸いです。
少女は怯えていた。混乱し声をあげることもできずにいた。
後ろから声をかけられ、その男の異常な雰囲気にのまれたまま人気のない夕方の公園へと誘導されていった。
少女は逃げなければ身の危険にさらされることを確信していたが、身動きひとつとれずにいた。
そして男が、怯える少女に手をかけようとしたその時、男がま横に吹き飛んだ。
少女の目には、吹き飛んだ男の後ろに一人の影が見えた。
いつのまにか陽が沈み、顔ははっきりと見えない。
その影は男にとどめをさそうかとするように、男の顔面に何度も拳を打ち込んだ。
男は声をあげることなく、動かなくなった。
「もうすぐ迎えがくるから。」
その影は男性の声で、今さっき、人を殺そうかと言わんばかりの行動をとったばかりであるにもかかわらず、少女に向けられたのは、静かな抑揚のない声だった。
その後すぐに、少女の知る強面の顔をした男性が迎えにきた。
それからその影は男性と一言交わし、自分が殴りつけた男を難なく抱えあげて去っていった。
少女の名前は「三島 茜」
性格はおとなしく争いを好まない。目は大きめでクリッとしていて、少し幼さが残った顔をしており、髪の長さはセミロング、色は少し茶色っぽく、さらにゆるいウェーブがかかっているが、染めたりパーマをあてているわけではなく地毛。
身長は低くも高くもない。脚は細いが健康的な細さを保っている。華奢な身体で、バストはとくに大きいわけではないが存在感を主張し、ウエストが細く、ヒップとの絶妙なバランスでキレイなくびれをつくりだし、とても女性らしいスタイルをしている。
全体としてみると、可愛い系の美人。
しかし、幼いときから本来の可愛いさを見せていたわけではない。
彼女は三島事務所の一人娘。
茜が小学生になるころには、父の会社は世間一般では恐れられるような仕事をしているらしいことを感じとっていた。
中学校を卒業するまでには、家の会社を知られたせいで、クラスメートからも教師からも怖がられ、友人と呼べるような存在はいなかった。
このころの茜は、前髪は長く、顔もうつむいており、背中を丸め、人と目を合わせないようにしていた。
環境を少しでも良くするため、地元から少し離れた私立の高校に入学し、中学校までの人間関係がリセットされ、おだやかな高校生活をおくれるのではないかと期待していた。
しかし、茜の期待はどこからか流れてきた噂により裏切られた。
茜の家の噂はあっというまに校内に知れ渡たり、人が寄ってきてくれることはなかった。
それでも、学校の教師は茜のことを特別視せず、授業中にうつらうつらとしようものならカミナリを落とされた。
さらに、陸上部に入らないかと、茜に声をかけてきたクラスメートの少女がいた。
名前は「秋山 忍」
性格は何かと興味を示すタイプだが慎重に決定する。目が少しつり上がっており、年齢よりも少し大人っぽい顔をしていて、髪は黒いロングで背中までありキレイにツヤがでている。バストは同年代の平均より大きく、ヒップも大きめだがウエストは健康的な細さをしておりグラマーなスタイル。背も高めで脚も長いので、モデルのような外見をしている。
部活は茜にとって初めての環境で、慣れないうちは練習もキツかったが、忍が一緒にいてくれたことが励みになり、さらに忍を通して部員とも仲良くなることができた。
一年生の夏休み、茜が忍の家に泊まりにいくことになった。
秋山家で茜は歓迎され、茜にとって初めての友達の家でのお泊まりは、とても良い思い出となった。
そのお泊まりの夜、茜は悩みながらも忍に質問した。
「わたしのこと、怖くないの?」
忍の答えは、
「茜のお父さんは怖い人かもしれないけど、授業中に居眠りしてて、先生におもいっきり怒られてるの見たら、全然普通の子と変わらないんだなって笑えちゃって。
いつも一人でいるし、一人でいるのが好きなのかなって最初は思ったけど、声かけてみたら本当に普通の女の子だったもん。
初めて噂を聞いたときには実感もなにもなかったし、怖いと思ったことはなかったよ。」
その言葉は茜が自分で思っていたよりも深く心に響き、忍の前で少し泣いてしまった。
このお泊まりのあと、二人はさらに仲良くなり、一緒に部活に行ったり、買い物やカラオケ、宿題やテスト勉強も一緒にするようになり、それがあたりまえになっていった。
茜が顔を上げ、背筋をピンと伸ばしはじめたのはこのころである。
髪型を変えたり、忍とオシャレの話をしたりして、本来もっていた可愛いらしさが見られるようになった。
二年生のとき、茜は忍とケンカをした。
ささいなことからはじまったケンカだったが、ヒートアップしてお互いに言いたいことを言い尽くし、ケンカが最高潮をむかえたあと、ちゃんと仲直りができた。
このときから茜と忍は、互いを親友だと思うようになった。
そして、二年生の冬には、二人で同じ大学に進もうと話し合っていた。
そんな楽しく充実した日常を過ごせていた茜の周辺で異変が起き始めたのは、二年生の三学期だった。
茜と忍はルックスもスタイルも良く、二人でいることが多いのでよく目立つ存在だった。
街に出かければ、同年代もしくは大学生あたりからナンパされることもあり、何度か雑誌のカメラマンに二人そろって声をかけられたが、そういったことには一切かかわらなかった。
しかし、いつ頃からか外出すると、茜は自分に向けられている嫌な視線を感じることが増えた。
そのことを忍に相談すると、
「ストーカーじゃないのそれ?!気をつけなきゃ危ないよ!
おじさんには相談したの?早めに対策立てないと!」
「うん。自意識過剰かなとも思うんだけど、気をつけるね。
お父さんにも相談するよ。」
それから茜の父はすぐに動き、事務所の社員による車の送り迎えを、学校から少し離れた場所からするようになった。
しかし、茜と忍が二人で少し気晴らしに遊びにいった帰り、茜が忍とわかれ、迎えまでの場所からほんの少し遠くなってしまった日、異常な雰囲気の男に突然声をかけられ、茜は怯え、人気のない公園へと誘導されてしまった。
そして、見たことのない影の男に、茜は助けられた。
その日の夜、茜は父から、もう安全だということ、しばらくは安全のためにボディーガードをつけると告げられた。
茜に迫ってきた男のことを質問すると、悪質なストーカーだということだけ伝えられた。
忍にも、その日何があったか、加えて父から聞いたことを電話で伝えた。
忍は電話で、
「本当に大丈夫なの!?ケガはない!?今から行こうか!?」
何回も繰り返して言うので、茜と、茜の両親と一緒に車で忍を迎えに行き、その日から一週間、忍が茜の家に泊まることになった。
忍の家では、茜のストーカーに関して話がしてあったらしく、忍が茜の家に泊まりにいくことはすんなりと決まった。
待ちかまえていた忍は、茜の姿を見つけると駆けつけるようにして茜を強く抱きしめた。
「本当に良かった!」
忍の声はふるえていた。つられるように茜も忍を強く抱きしめて泣きそうになるのを我慢した。
茜の家に着き、茜の部屋で二人だけにになったところで、
「おじさんの言うボディーガードってどんな人かな?
男の人より女の人がいいよね。」
忍の言葉に、
「うん。女の人のほうがいいけど、女のボディーガードなんているのかな?」
茜も忍も、どんなボディーガードがつくのか気になっていた。
次の日、茜の父は、ボディーガードの手配がすんであることを二人に伝えた。
どんな人か紹介はされなかったが、忍が茜の家に泊まった一週間があり、さらに春休みもほとんど茜と忍は一緒に過ごし、茜は再び穏やかな日常を取り戻していくことができた。
そして、茜と忍は高校三年生になった。
茜と忍は同じクラスになり、この春から同じ予備校に通うことになった。
部活は、二年生の夏に、二人が部長と副部長にと推薦されていたが、三年生になったら受験に集中したいということから断わっていた。
部活は二年生の三学期で辞めることにした。
例の事件もあり、茜は部活どころではなくなっていたし、忍もそんな茜を放っておけるはずもなく、二人そろって辞めることになった。
三年生になって、ゴールデンウィークをむかえた。
休みのあいだ、予備校には二人一緒に通っていたが、ある日茜の父が、二人に紹介したい人がいるからと、茜の家に忍が夕飯に誘われることになった。
茜と忍、茜の両親と一緒に食卓を囲み、お茶を飲みはじめたあたりで、茜の父が電話をかけた。
しばらくして玄関のチャイムが鳴り、茜の母が玄関にむかい、そして一人の青年を連れてきた。
二人に紹介したかったのは彼のことだ、と茜の父が彼を二人の前に立たせた。
茜から見た彼の印象は、普通、の一言だった。
特別目立った外見をしているわけではない。髪は短髪、身長は忍より頭ひとつぶん高そうで、体格は良さそう、というくらい。
「はじめまして。「冴木 桂」です。この春お二人と同じ高校に入学しました。
クラスメートには伝えていませんが18歳です。
一年生の後輩としてお付き合いください。」
歳のことは二人ともすぐに納得がいった。
一年生の男の子より明らかに歳上の雰囲気をしていた。
「18歳で一年生っていうことは、何か訳ありなんだよね?
もしかして、君が茜のボディーガード?」
忍の言葉に、茜の父はうなずいた。
「 お嬢様の周囲を警戒しながら、主に登下校や放課後、帰宅するまでのあいだ、距離をおいて護衛させていただきます。
ちなみに、お嬢様が襲われたとき、あの男を捕らえたのは自分です。」
そこで茜は、あのときのことを思い出していた。
たしかにあの時、男の後ろから出てきた影は、男性の声をしていた。
しかし、男を殴りつけていたあの影の雰囲気と彼の雰囲気は、全く異なっているように感じた。
「お嬢様があれから男性恐怖症になっておられるかもしれないと思い、今日までご挨拶は控えさていただいていました。
あの日から、お嬢様の護衛を務めさせていただいていたんですが、気づいておられましたか?
お嬢様を緊張させることがないようにと、離れたところから護衛につかせていただいておりました。
仕事とはいえ、ストーカーのような行為をしていたことをお許しください。」
茜はあの日から、自分が護衛されていたことに全く気がついていなかった。
「春休みは出かけることも少なかったし、忍も気づいた風になかったけど。
知らないあいだに、知らない人に見られていたとなると、ちょっと怖いかも。
でもあの時期に、冴木さんを紹介されても怖いだけで、不安になってただけかもしれない。」
「そうだね。わたしも全然気がつかなかった。
でも、これからは違うの?
わたしたちの見えるところで護衛してくれるっていうこと?」
「はい。もしお嬢様、いえ、お二人に許可をいただけるようでしたら、登下校からご一緒させていただきたいと思っておりますし、放課後もお二人が気分を害されない程度の距離をおいて、近くで護衛をさせていただきたいと思っております。」
茜は、桂が茜だけでなく忍の意向にも気をかけていることに、好印象をもった。しかし、
「わたしは守ってもらえるっていうことはありがたいんだけど、つけられてると思うとまだちょっと怖いかな。
クラスの男の子も、なにもしてこないってわかってても、ちょっと怖いし…」
「んーと、それじゃあ、距離をとるんじゃなくて、むしろ近づいてもらうっていうのはどうかな?
冴木さんが茜の親戚で、家も近いから一緒に登下校してるとか。
そんな理由があれば周りにも説明しやすいし、あとは冴木さん…えーと冴木くんが、わたしたちとどれだけ仲良くなれるか次第なんだけど。
普段から何気なくそばにいたら問題ないんじゃない?
茜のなかにある男子への怖さとかも薄まっていくかもしれないし。」
忍の提案は、茜にとっても悪いことではないと思えた。
とりあえず桂のポジションは、茜の近所に住む、茜の親戚で、茜を通して忍と知り合った、二人の後輩というところで落ち着いた。
茜の両親も、それで問題はないということだった。
「でも、あからさまな敬語や、お嬢様って呼ばれるのは恥ずかしいからやめてくださいね。
守ってもらえるのはいいとして、これからは仲良くなっていけたらいいなと思ってるから。」
「はい、わかりました。
じゃあ、これからよろしくお願いします。
三島先輩、秋山先輩。」
こうして茜に、後輩で同じ歳のボディーガードという存在ができた。
ゴールデンウィークも終わり、学校が始まる。
茜の家には、毎朝桂が迎えに行き、忍との待ち合わせの駅まで行く。
そこから学校へ向かうことになった。
帰りは茜と忍のクラスに桂が迎えに行く。
茜と忍は受験生なので、図書館で勉強をすることもあれば予備校に行くこともある。
予備校に行くときには、桂が車を出していた。
予備校の帰りは夜なので、高校生にもなって過保護と思われるかもしれないが、二人のために車での送迎をしている。
遊びに出かけるときは、二人に桂も同行し、ほとんど三人で行動していた。
桂は、二人が遊ぶときには自分が二人の邪魔になると思っていたが、二人にとって桂は男よけにもなり、一緒にいても苦痛にならなかったので、むしろ便利だったらしい。
桂の顔は特に二枚目というわけではないが、服装は清潔感を重視したもので見た目も悪くなく、二人のトークには聞き役にまわり、たまにジョークを言ったりして、二人との友好な関係を築いていた。
これだけ一年生男子としょっちゅう仲良くしていれば、二人のクラスではどんな関係なのか、どちらかと付き合っているのかなど質問されることがあったが、二人して親戚で可愛い後輩だと言っていたため、五月が終わる頃には三人が一緒にいることは、当たり前のことと思われていた。
ちなみに桂が車を運転しているところはあまり見られないように、桂は帽子を深くかぶりメガネをするという変装をしていた。
六月、梅雨入りした時期、三人は昼休みに食堂でランチをしていた。
基本、茜と忍は弁当なのだが、桂はコンビニで買ったものばかり食べていたので、たまに三人は食堂を利用している。
「桂くん、最近は茜の周りはどうなの?変な奴とかいない?」
この頃には茜も忍も、桂のことを下の名前で呼び、桂にも下の名前で呼ばせていた。
ちょっと小声で忍が質問すると、
「そうですね、問題ない思いますよ。
茜さんと一緒にいる時、周りを常に見てますけど、いまのところ不審者はいません。
それより、二人とも気づいてるかもしれませんが、学校で男子の視線を集めてるのは間違いなく二人です。
あまりスカート短くしすぎたり、露出が多くなるのはよろしくないことかと。
これから暑くなっていきますし、薄着になるのは仕方ないですが、服装には気をつけたほうがいいかと思います。」
「男はスケベばかりなのね。桂くんにも気をつけないと。」
笑いながら茜が言った。
茜も男性への恐怖心がだいぶ薄れたようで、いまでは桂以外にもクラスの男子と普通に会話をしており、これといった問題はなかった。
二年生のときには、何度か茜も忍も学校の男子から告白されたりしていたが、三年生になってからは一度も告白されるというイベントは起きていない。
「桂くんの効果だろうね。学校で男子が馴れ馴れしく近づいてこなくなったの。
おかげでわたしも茜も楽なんだけどね。
でも、スケベな視線て、割り切るとか開き直るとかするしかないと思うんだけど。」
「そうだね。ある程度は開き直るしかないよね。
こっちが意識してないのに、どうやっても向こうからは意識されるんだもん。」
「まぁ、二人がそう思うなら、それでいいです。
怪しいのはこっちで調べますし。」
桂は入学してからすぐに行動を起こしており、見学などの理由で、昼休みなどの休み時間にあらゆる部活に顔をだしており、校内での人脈をもっていた。
そのため二人のように目立つわけではないが、大人っぽいこともあり、桂のことを知っているという生徒は多かった。
一学期の期末試験が近づいてきたころ、桂が二人を迎えにきたとき、二人が見たことのない、おとなしそうな男子生徒が、桂のやや後ろに緊張した様子で立っていた。
身長は低くめで細身。髪は黒く、眉毛と耳にかからない程度に切りそろえられていて、二重まぶた。
「忍さんに話があるっていうから連れてきました。
一応言うと、会わせてほしいってヤツは今まで何人かいて、そのたびに断わってきたんですが、こいつは最近になってもしつこいから連れてきました。
ほら、挨拶。」
茜も忍も口をはさむ間もなく、桂が男子生徒に声をかけた。
男子生徒は顔を真っ赤にして、声を震わせながら、
「丹羽 孝といいます!ずっと秋山先輩に憧れてました!これ読んでください!」
教室に響くほどの声をだした。
「ありがとう…」
忍は驚いたというか、あっけにとられたのか、丹羽からの手紙をすんなり受け取った。
すると、「失礼しました!」と言って丹羽は走って行ってしまった。
「それでどんな子なの?」
帰りに寄った喫茶店で忍は桂に質問した。
「えーと、名前は「丹羽 孝」16歳。家はここから二駅はなれたところ。部活には所属してなくて、マンガやライトノベルが好き。
図書館で本を借りることもあるみたいで、入学してすぐに図書館で二人が勉強してるとこをみかけたらしいです。
そこで忍さんに一目惚れしたって言ってました。
ボクとクラスが一緒で、席も近いんですが勉強がよくできます。
趣味は文系っぽいけど理系志望らしい。運動は苦手。
クラスの中でおとなしくしてるけど、男子には気に入られてます。
あいつの悪口は聞いたことがありません。
少し背が低いことがコンプレックスみたいですね。多分、忍さんより低いんじゃないかな。
そんなとこでしょうか。質問は?」
忍は黙って手紙を開いて、茜と桂には見えないようにして読んだ。
「こういう話って桂くんのとこにはよくきたの?
全然そんな話きいてなかったけど。」
茜が桂に質問した。
「はい。ゴールデンウィークを過ぎてクラスも皆んなうちとけてきた頃からかな。
ボクに、茜さんや忍さんを紹介してくれって言ってくるやつは、けっこういましたよ。
でも、ボクの仕事は茜さんを守ることですし、社長から悪いムシがつかないようにしてくれって言われてましたから。
わずらわしいことを考えさせたくありませんでしたし、言いませんでした。」
「じゃあ、なんで今回は忍に会わせたの?」
「だいたいのヤツは一回頼んできたらあきらめてたんです。
ボクがあきらめるように言ってたこともあるんですが。
丹羽は違って、まず一回目頼んできたときは、今日みたいにスゴイ緊張しながらだったんです。
もちろん断わったですが、あいつ何回も頼んできたんですよ。
じゃあ、自分一人で会いに行けよって言ったら、本気にしたみたいで、何回も声をかけようとして失敗してました。
ボクが邪魔したこともあったんですけど。
そんな丹羽を見てたら、こいつだったら忍さんに会わせてみるくらいならいいかなと思いまして。
ボクの仕事は基本的に茜さんを守ることがメインだし、丹羽になら、忍さんに声をかける手伝いをするくらいはしてもいいかもしれない、と。
そしたらアイツ、手紙書いて渡すと言い出しまして。
直接会って告白はムリかもしれないけど、手紙なら気持ちをはっきり伝えられるかもしれないって。
それで今日に至るということです。
ほとんど告白みたいなことをしてましたが。
よけいなことをしてしまいましたかね?」
「うーん…。わたしには判断ができないけど、忍は結構うれしかったみたいだよ。
ね、忍。聴いてる?」
忍はハッとしたように顔をあげて、
「いや、聴いてるよ、聴いてたよ!
でも、あれだけ必死な顔して、告白みたいなことされて、こんな手紙わたされたら…。
なんかびっくりしちゃって。あと、こんなマジメに告白されたのはじめてだから、そのあの…」
「うれしかったと?」
茜が少し微笑みながら言うと、
「うん。うれしかった。」
忍の顔は少し照れたような顔をしていて、いつもより乙女な雰囲気をかもしだしていた。
そこで、それぞれカップをひと口ふくんでから、
「最初はお友だち、でいいんじゃないですか?
アイツならそれでも大喜びしそうだし。
茜さんはどう思います?」
「うん。わたしは忍に好きな人ができたなら幸せになってほしい。
それにゆっくり関係を深めていくのは素敵だと思うな。」
二人に言われ、忍は優しい顔をして、
「桂くん、手紙の返事わたすの手伝ってもらっていいかな?
わたしもマジメに返事を返したいから。」
こうして、桂の橋渡しにより、秋山 忍と丹羽 孝は友だちになった。
下校には丹羽もまじるようになり、丹羽が三人から孝と呼ばれるようになったのは、初めて四人一緒に下校した日から一週間もたたなかった。
それから数日、桂はニヤケきった孝の顔をしょっちゅう見ることになる。
そのことを桂が茜と忍に伝えると、茜は微笑み、忍は顔を赤くしていた。
そして三人は四人で行動することが増え、夏休みをむかえた。
夏休みに入り、四人は図書館、もしくは茜の家で勉強することが日常になっていた。
茜の家が選ばれた理由は、四人の中で家が一番広いから。
孝には桂の仕事のことを隠していた。
茜のプライバシーにかかわることでもあったし、まだ孝と知りあって間もないこともあり、忍の提案でふせておくことになった。
孝は夏休みに入る前から宿題に手をつけており、それにならって、他の三人も夏休み前から宿題をはじめていた。そのおかげで、四人は山のようにあった宿題を夏休みに入ってすぐに終わらせることができた。
終わらせた翌日には四人でパーティーがおこなわれた。
そのパーティーも茜の家でおこなわれ、茜の母の指導のもと、餃子パーティーとなった。
その餃子パーティーで、孝が器用なこと、茜と忍は料理が苦手なこと、桂は餃子を作れることなどがわかった。
ちなみにアルコールは全く飲まれていない。しかし、茜と忍のテンションは、頭のメーターが振り切れたように高かった。
七月のうちに宿題が終わったものの、茜と忍は受験生である。
餃子パーティーのあとは、勉強漬けの毎日となった。
この時期、図書館は混んでおり席を探すのに運が必要になってくる。
そのため二人が予備校のない日には、ほとんど茜の家で勉強することになった。
二人は私立狙いだが、地元の国立にも挑戦してみようということにしたらしく、この夏休みは勉強漬けにすることにした。
桂は茜のもとを離れるわけにはいかないので、たまに外出をしてくることはあったが、茜の家でマンガを読んでいた。
そして、そのマンガは孝から借りたもので、孝も二人が予備校のない日には一緒になって茜の家にいた。
桂はマンガを読んでいたが、孝は数学を進めれるだけ進めておきたいと、数学の参考書をもってきて勉強していた。
「もうイヤ!毎日勉強勉強で頭がおかしくなってくる!」
忍の叫びに、茜も同調して、
「うん、もうイヤ…遊びたい。海行きたい…。」
そんな呟きが返ってきた。
「二人共、頑張りすぎですよ。夏休みに入ってからほとんど勉強してるんでしょ?
ちょっとペースを落とさないとカラダに毒ですよ。
それに時間増やせばいいってもんじゃないですし。」
孝のなぐさめに忍は顔を向けるが、
「でも受験生だから…頑張っておかないと不安だから…」
返ってくる返事には元気がなかった。
「ちょっとトイレにいってきますね。」
桂は三人のもとを離れた。
しばらくして戻ってきた桂はこう言った。
「茜さんのおじさんが海に連れていってくれるらしいですよ。
毎日頑張ってるご褒美だって。」
三人はポカンとしてから、
「「やったー!!」」
と、茜と忍の声が家に響いた。
「おまえもな、孝。
おまえが行かないと、忍さんがつまらないだろ?」
「いいの?」
「忍さんの水着姿を見ることができる権利を、おまえは勝ちとった。」
孝は声には出さなかったが、顔が緩んで嬉しいことがまるわかりだった。
そんな孝を見た忍が、
「へ〜、孝くんエッチなんだ。」
「イ、イヤ、べ、べつにそういうわけじゃなく…」
「じゃあ、見たくないの?」
「見たいです!」
そんな忍に遊ばれている孝をみて、茜と桂は笑っていた。
その日のうちに日程が決まり、茜の母から、忍の家、孝の家に許可をもらう電話がかけられた。
次の日には、男二人を含めた、いつもの四人で水着を買いに出かけた。
男の買い物はあっさり終わり、いざ女の買い物になった時、孝は居心地の悪さを感じることになった。
しかし孝は、いつもと変わらない桂の表情を見て、
「桂は気まずくないの?ここ女の人ばかりだよ。」
「あのな、孝。オレたちは、茜さんと忍さんの付き添いに来てるんだ。
恥ずかしがってるあいだに、褒め言葉をできるだけ多く考えとけ。」
そして、茜と忍による、ちょっとセクシーなファッションショーがはじまった。
およそ一時間、二人は水着をあれやこれやと選んでは着替え、その間に桂と孝はあらゆる褒め言葉を使って感想を言い、そして茜と忍の買い物に決着がついた。
その決着がつく、すこし前に時間はもどる。
茜は水着を選んで買った経験がとぼしかった。試着にも慣れていなかった。そのためチューブトップの水着を試着するか迷っていた。
親友は難なくチューブトップの水着を試着し、後輩に魅せている。自分も、と思うが踏ん切りがつかない。
そこへ横から、
「なに迷ってるんですか?これとか可愛いと思いますけど。」
桂が声をかけてきた。
「うん、可愛いんだけど、ちょっと露出が…でも着てみたいとも思うんだよね。」
茜にとって桂は、異性というイメージとは少し違った、かといって忍ほど近い存在ではないが、どこか無意識に信頼できる相手だった。
「ムリして着る必要はないと思いますが、せっかくですから着てみてもいいと思いますよ。
いざっていうときには、ぼくが守りますから。」
それはボディーガードとしての言葉だったのかもしれないが、茜の中にフワフワとした感情がうまれた。
「じゃあ、試着してみるね。見ててね。」
「まかせてください、お姫様。」
そんなやりとりがあって、茜は無事に納得のいく買い物をすませることができた。
そして八月のはじめ、三島家主催の旅行がはじまった。
移動は電車やタクシーを使うことになった。
なぜなら茜の父が、アルコールを飲みたいから、という理由だったからだ。
このことに茜は恥ずかしくなり、三人にごめん、ごめんと謝っていた。
「べつに謝る必要はないですよ。
おじさんだって、せっかくの旅行なんだからリラックスしたいでしょうし。
それにボクたちは連れていってもらう立場なんですから。」
電車のなかで桂がそういうと、忍も孝も、うんうんとうなずいていた。
「じゃあ、ババ抜きでもしましょうか!
旅行は集合から始まっています!」
桂の声をきっかけにババ抜きがはじまった。
ババ抜きといえば誰でもできるトランプのゲームだが、真剣にやるとこれほど奥深いゲームはない。
あらゆるゲームに手を出したゲームの猛者であったとしても、このシンプルゆえに駆け引きがキモになるゲームに魅せられるだろう。
実際、四人ではじめたババ抜きだが、毎回熾烈を極めた勝負がくりひろげられた。
トータルの結果としては、一位から順に、忍、桂、茜、孝となった。
孝はモロに顔にでるタイプだったので、全員からカモにされた。
目的地の駅につき、そこからタクシーで数分。
ホテルに到着した。
時刻はまだ夕方前、とりあえず荷物を部屋に置いて、四人は散歩することにした。
この時、三島夫妻はホテルの喫茶店でくつろいでいた。
四人はまずホテルの売店へと向かった。
いろいろな土産品が置いてあり、茜も忍もあれやこれやと見ていた。
「そろそろ海にいきませんか。」
桂が二人に提案した。二人はうなずき、食べたいお菓子の買い物をすませた。
そして海に向かい、四人は湿った海風を思い切り吸い込んだ。
「やっとリラックスできてきたかなー。茜はどう?」
「うん、わたしも来れてよかった。明日海で遊ぶのが楽しみ。」
桂と孝はそんな会話をしてる二人の横に立っていた。
その日の夜、四人はトランプをしたり、買ったお菓子を食べたりしたが、移動による疲れもあり、夜ふかしせずに眠ることにした。
部屋割りは、三島夫妻、茜と忍、桂と孝。
しかし桂は孝が眠ったあと、静かに部屋から出て行った。
次の日、朝食のあと、すぐに海にでる準備をはじめた。
茜と忍は紫外線対策を、桂と孝は浮き輪の準備をそれぞれはじめた。
三島夫妻は後から行くと言い、散歩に出かけていった。
茜と忍は支度をすませると、足を水につけて、キャッキャと遊びはじめた。
その頃、桂と孝はパラソルを立てシートを広げて、準備を整えていた。
忍の水着姿を改めて見た孝は、緊張で声がでなくなり、茜の水着姿を見た桂は、茜が恥ずかしくなるくらい、茜をほめた。声がでなくなった孝は忍にたっぷりイジられた。
孝をイジる忍を見た茜と桂は、孝は間違いなく忍のしりにしかれるなと思った。
準備が整ってもまだ人はまばらで、置き引きに警戒する必要もなさそうだった。
桂と孝は、茜と忍に合流して一緒に遊びはじめた。
ある程度、海で遊んでからは砂遊びをはじめた。
砂で山を作りトンネルを掘ったり、桂と孝が、茜と忍を砂に埋めたりした。
そんなことをしてる間に三島夫妻が合流し、昼ご飯になった。
昼ご飯を食べてからも、海にもぐったり魚を探したりと四人は遊んでいた。
遊んでばかりいた四人は小腹がすき、海の家に行くことにした。
交代でトイレをすませ、茜がトイレに入っていったところで、トイレを先に済ませた二人に桂が、
「二人で先に行っといてください。席をとっといてくれると助かります。」
桂のおせっかいに孝は気づいていなかったが、忍は気づいていたようで、
「じゃあ、お先に」と、二人で先に行くことにした。
しばらくしてから茜がでてきて、桂が二人を先に向かわせたことから、茜は桂のおせっかいに気づき、茜と桂はゆっくりと海の家にむかった。
海の家では、それぞれ、カレー、焼きそば、おでん、などを注文し、それぞれシェアしながら食べた。
そして、三島夫妻のもとにもどり、また少し遊んでから、ホテルの部屋にもどった。
それから四人は少しだけ横になることにした。
しかしその時、桂は四人のうち一人横にならず、三島夫妻の部屋を訪れていた。
この旅行を茜の父に提案したのは桂だった。
二人が勉強を頑張りすぎているため、息抜きをするのが理由のひとつだったが、理由はもうひとつあった。
茜への安全の確認である。
夏休みに入ってから、四人が茜の家に集まっている時に、桂がたまに外出していたのは、周囲への警戒のためで、この旅行に電車を利用したのは、三島事務所の従業員による護衛が不自然なものになっていないかのテストでもあった。
この旅行には三島事務所の四人の従業員が密かに護衛についており、茜のいる車両の前後の車両に護衛が二人ずつ配備されていた。
孝が寝たあとに、桂が部屋を出たのは、避難通路の確認と、従業員たちと護衛のための確認のやりとりをするためでもあった。
茜が海で遊んでいるあいだ、三島夫妻は散歩に行っていたのではなく、桂と従業員たちの護衛状況を離れた場所から確認していた。
そして今、桂が三島夫妻の部屋を訪れていたのは、現在までの護衛状況の報告だった。
桂の感想として、今のところ問題はないが、将来的には女性による護衛を可能にする必要性がある、というものだった。
茜は三島事務所の一人娘である。
ただのチンピラくらいなら、茜の家の名前を出せば逃げていくが、これから先、どこかの組織ともめるような可能性がある場合、桂と同じ距離で茜を護衛できる人間の必要性がある。
桂の立場と距離は、トイレの前や水着売り場なら、護衛はほぼ可能な状況と言える。
しかしこの距離を、茜と明らかに年齢差があり、友人というにはムリがある男性がいた場合、目立つことになってしまう。
桂が茜の護衛についたのは、茜がストーカーにつかれたことが原因であり、それまでにも三島事務所の従業員による護衛が一応ついていたが、それでは不十分だったということでもあった。
茜は日に日に美しくなる一方であり、ストーカーの恐れは常につきまとってもおかしくはない。
さらにいえば、茜には忍という親友がいる。
同じ場所に二人がいる場合には、少なくとも二人同時に守れる必要もなくてはならない。
仮に、茜を守るために忍が犠牲になるようなことがあれば、茜は強い自己嫌悪と、家への憎しみがつのることになるだろう。
こういったことから、桂は女性によるボディーガードの必要性を伝えた。
そしてそれは、いつまでも茜のそばに桂がいることはない、ということでもあった。
夕食は夕焼けを見たあとに、ホテルの準備したバーベキューとなった。
茜と忍は髪をくくり、食べる気まんまんというスタイルで食事をはじめた。
孝は最初のうちはバーベキューの炎にうろたえていたが、炎に慣れてくると、忍の隣で忍と同じように食べはじめ、桂はといえば、たまに茜の皿に焼けた肉をのせながら、ゆっくりと食事をすすめていた。
夕食を終えて、四人は砂浜を散歩することにした。
夜の砂浜では家族連れが花火をしたりしていて、おだやかな空気がながれていた。
「ここは星がキレイだね〜。」
「近くにホテルがあるのに結構見えるものですね。」
忍と孝が話していると、桂のシャツのすそを茜がクイっとひっぱった。
二人にしようという合図らしい。
茜と桂は、なるべく自然に二人から離れていった。
そのことに気づいた忍が、照れくさそうに、茜と桂に小さく手をふった。
「前から聞きたかったんだけど、わたしが襲われてたところを助けてくれたとき、どうやってあの人を吹き飛ばしたの?」
「蹴っただけですよ。あいつ全然ふんばってなかったから、よく飛びましたね。」
「蹴っただけで、あんなに人って飛んでいくものなの!?」
「ぼく鍛えてますから。
ちなみにあいつは今頃、どこか山奥か、海の上で、肉体労働にいそしんでいるはずです。」
茜は、桂がやはり父の仕事の世界の人間であることを実感したのと同時に、桂に質問したいことができた。
「桂くんは、いつからボディーガードのお仕事をしてるの?」
「そうですね、いつからだろう…
べつにボクはボディーガードが専門というわけではないんです。
言うなれば何でも屋ですね。
今回の場合だと社長の知り合いに、ぼくの上司がいて、そこから派遣された、というわけです。」
「ボディーガードの他にはどんなお仕事があるの?」
「いろいろありますけど、企業秘密にしておきます。」
笑いながら、桂はそう言った。
父の仕事関係なら、教えてもらえなくてもしかたないなと、茜も質問に区切りをつけた。
しばらく二人で海をながめていると、桂が自然に話しだした。
「ボクには姉がたくさんいるんです。
みんな夜のお仕事をしてるんですけど、みんな優しく良くしてくれました。
たまにタチの悪いお客さんもいて、姉さんたちが困ることがあったんですが、そのときから強くなりたいと思うようになりましたね。
それで姉さんたちの一人に、空手をやってる恋人がいる人がいて、その人に鍛えてもらいました。
勉強は、姉さんたちのお客さんの中に、勉強ができる人がいて、その人に教えてもらいました。
他にもいろんな人に、いろんなことを教えてもらいました。
気づいたら、いまの仕事をしてて、学校にはまともに行ったことがありませんでした。
だから、茜さんのボディーガードをしながら、学校に通えたことは嬉しかったです。」
「桂くんが、私たちと自然に話せてたのは、お姉さんたちがいたからなんだね。
クラスの男の子より、私たちに余裕をもって接してくれてた理由がわかったよ。」
茜は、桂が姉と呼ぶ人たちと、桂とは血が繋がっていないことをなんとなく悟った。
それに、自分が想像をしたことのないような生活を、桂がしてきたのだろうとも。
「わたしも、桂くんと同じ学校に通えてうれしいよ。
高校生になるまで友達はいなかったし、歳の同じ男の子と、こんなに親しくなれるとは思ってなかった。
だから、ありがとうね、桂くん。」
桂は少し苦笑いをして、茜から目をそらせながら、
「仕事ですから。
そんな風に言葉をかけてもらうと、申し訳ないくらいです。」
茜は、そんな桂の横顔を見上げるようにして、頬を染めながら、じっと見つめていた。
そんな二人に、声がかかった。
「いい雰囲気ですね〜、お二人さん。」
茜があわてて声の方に顔を向けると、そこには腕を組んだ忍と孝がいた。
「やっとくっついたんですね。おめでとうございます。」
桂は落ち着いた声で、
「 よかったね忍!おめでとう!」
茜はさっきまでの自分の顔を見られたであろう恥ずかしさも忘れて、忍を祝福した。
「ありがとう、茜。」
忍は照れくさそうに、でも嬉しそうに、笑顔を見せていた。
忍と腕を組んでいる孝は、満面の笑みをうかべながら、
「桂と茜さんのおかげです!ありがとうございます!」
と、お礼の言葉をはっきりと二人に伝えた。
「孝、そんなにくっつかれて大丈夫か?鼻血出して倒れるなよ。
忍さん、愛情表現のスキンシップは加減してやってくださいね。」
「わたしなしにはいられなくしてやるつもりだから。
覚悟しときなさいよ、孝。」
「いきなりアツアツだね。」
忍と孝が正式に交際をはじめることになり、茜も桂も、二人と喜びを共にした。
その日の晩は、男性陣の部屋でトランプをしたり、忍と孝ののろけに、茜と桂が冷やかしをいれながら、大いに盛り上がった。
夜も遅くなり時計の針が二つともかさなるころには、さっきまではしゃいでいたのがウソのように静かになり、茜と忍は眠ってしまっていた。
茜を桂がお姫様だっこのように持ち上げて、忍は孝がおんぶして、女性陣の部屋まで運びベットに寝かせた。
女性陣の部屋の鍵は桂が閉めて、部屋に持ち帰った。
部屋にもどり、桂はまず、孝に避妊具を渡し、女性の心と体が繊細であること教えた。
孝はその話を真剣に聴き、改めて忍に真摯に向き合おうと決意した。
そして、桂と孝も眠りについた。
帰路につく日の朝食の席、忍と孝は照れくさそうに隣同士に座った。
帰りの電車でも、茜と忍ではなく、忍と孝が肩を寄せ合って眠り、茜は自分の中に芽生えつつある気持ちに気づかず、知らぬ間に桂に肩を寄せて眠っていた。
しかし桂は、電車の中で一切眠ることはなく、周囲を常に警戒していた。
ちなみに、目を覚ませた茜は、あわてて桂から離れ、顔を赤くしたところで、一部始終を両親に見られていたことに気づき、さらに顔を真っ赤にして、翌日に桂と会うまでは、桂と目を合わせることができなかった。
旅行に行きリフレッシュできた茜と忍は、再び勉強に励んだ。
忍と孝が交際をはじめたものの、忍が受験生であることに変わりはなく、予備校以外の日も茜の家で勉強をしていた。
そこには旅行前と同じく桂と孝の姿もあり、旅行前とあまり変わらない日常がそこにあった。
変化として、茜の家で勉強をしたあとは、忍の家まで孝が送っていくようになった。
三年生は夏休みが十日ほど短く、学校で午前中だけの授業が始まった。
そのあいだ桂と孝は、学校の図書室で過ごしている。
午前中の授業のあとは、四人で昼食をとり、予備校のない日は、そのまま夕方まで遊びに行くこともあった。
また、忍と孝がふたりだけでデートに行くこともあった。
しかし、夜になれば、茜も忍も自宅で勉強することを忘れていなかった。
忍が孝と過ごしたりして、茜に一人の時間ができた時には、茜は家で過ごしたり、母親と買い物に出かけたりしていた。
そんな場合、桂は離れた場所から従業員たちと護衛についていた。
茜と忍は、別々に過ごす日が少し増えたものの、二人の友情に変化がおきるということはなかった。
桂の一日の過ごし方は、朝早くに起きて、ランニングや筋トレなどのトレーニングをしてから朝食をとり、それから茜たちと合流するか、茜の周辺を従業員たちと目立たないように警戒していた。
茜が帰宅し、一旦安全を確認したあとは、護衛を交代して、三島事務所で現状の報告をし、事務所に変化が起きていないかを社長から直接聞くことになっていた。
そしてその変化は、茜の高校生として最後の八月が終わろうとする頃におとずれた。
夜が近づくにつれて、街では、少ないとはいえアウトローの若者達が姿を見せ始めるのはいつものことだった。
しかし、七月の終わりあたりから、夜の街では違法ドラックが密かに出回るようになっていた。
三島事務所ではこういったものを扱うことはなく、この件には一切関係していなかった。
三島事務所の営業範囲内で、関係のない組織が動いている場合、それを見過ごすことは許されなかった。
まず、夜の街にある独自のルートで情報を集め、その組織がどういったところから現れたのかが調べられた。
その組織の規模、また繋がりなどがわかったところで、三島事務所はその組織に警告を伝えることにした。
八月のなかば、警告に向かった従業員は大怪我をし、入院することになる。
そして三島事務所は、その組織に対して最大限の報復をすることが、社長の判断により決定された。
このことは桂にも知らされた。
桂の派遣元と三島事務所の話し合いにより、桂も三島事務所の決定に従うことが決まった。
八月も終わろうかという頃、四人で映画を見に行くことになった。
建前としては、英語のヒアリングに慣れるためというものだったが、遊びに行くのとなんら変わりはなかった。
映画を見たあとには喫茶店に入り、それぞれケーキセットを頼んでお茶会になった。
「そういえば、SNSなんかで見たんだけど、最近、この辺でぶっそうなものが出回ってるらしいね…
夜に出歩くのは気をつけろっていう書き込みが、いくつもあったの。」
忍がそう言うと、
「怖いですね、忍さんは予備校の帰りなんて危ないんじゃないんですか?」
「わたしもいるんだけど、わたしは危なくないの?」
「いえ!茜さんにも気をつけてほしいんですけど、なんというか、その、二人とも気をつけてほしいということです!」
茜の冗談めいた言葉に、孝はあわてて答えた。
「わたしは茜の家の車で送ってもらってるから。
わたしも茜も大丈夫よ。
ありがとうね、孝。」
忍が孝を安心させるように声をかけた。
「世間はどこも物騒ですし、そんな書き込みがあったなら、陽が沈んだあとの外出には気をつけたほうがよさそうですね。
今日も早めに帰りましょうか。」
桂の言葉に忍は少し不満そうにしたが、自分がこの話題をはじめたこともあり、納得することにした。
「忍さんは今日も孝に送ってもらえば、孝と二人でいる時間はつくれるでしょうし、学校が始まる頃にはきっといつもどうりになりますよ。」
桂のその言葉に、茜はなんとなく不安を感じた。
喫茶店を出る頃には陽が少し傾きはじめ、時間はまだ早かったが、四人は帰宅することにした。
その晩、茜の携帯に忍から電話がかかってきた。
忍は泣きながら、孝が病院に運ばれたことを告げた。
茜は忍から、どこの病院かを聞き出してから、すぐに向かうことを伝え、桂に電話をし、桂の運転する車で病院へと向かった。
茜と桂が病院に到着すると、忍がうつむきながら手を握りしめ、待合室の椅子に座っていた。
茜が駆け寄って忍に声をかけると、
「孝が目を覚まさなかったらどうしよう…わたしのせいだ。
わたしが二人で公園を歩きたいなんて言わなかったら、こんなことにはならなかったのに!」
茜にすがりつくようにして泣く忍に茜は言った。
「わたしのせいかもしれない…
わたしの家がまともじゃなかったから、二人を危ない目にあわせたんだ!
ごめんね、ごめんね…」
茜もまた、忍の肩に顔をうずめながら泣きだした。
桂はその場から離れ、近くにいた看護師から孝の状態を聞いていた。
看護師によると孝は強い殴打をうけ、頭を含めた体全体の外傷に加え、内蔵が傷つき手術を受けているということだった。
それから三十分した頃だろうか、手術室から孝が運ばれて病室へと移された。
手術をした医者に説明をうけた孝の両親から、三人は話を聴き、手術は成功して、あとは目を覚ますのを待つだけだと言われた。
孝の母親は忍を見て、こんな可愛い恋人を守るために怪我したんだから、きっとすぐに目を覚ます、息子も男らしくなってたのねぇ、と忍を慰めるようにして言った。
「わたしが孝と二人になりたいって我儘を言ったの。
孝が、今は危ないかもしれないから今日はやめとこうって言ったのに、わたしが我儘を言ったの。
それで二人で公園を歩いてたら急に後ろから変なやつらが声をかけてきて…
孝がわたしをひっぱって走りだしたんだけど、すぐに追いつかれそうになって、公園のトイレに二人で逃げ込んだの。
わたしは孝がどういうつもりかわからずにトイレに入ったの。
そしたら考は、わたしをトイレの個室に押し込んで出られなくしたの。
すぐにあいつらが来て暴れだして、わたしが孝を呼んでも返事がなくて、あいつらが暴れてる音だけがきこえてきたの。
しばらくしてドアが開いて、あわてて出てみたら、孝が血まみれに…」
忍は顔をうつむかせながら、二人に話をしていた。
「わたしと一緒にいたから、狙われてたのかもしれない。
二人は何も悪いことしてないのに。
ごめんなさい、ごめんなさい…」
茜も顔をうつむかせながら言った。
「茜は何も悪くないよ!わたしが悪かったの!」
茜の言葉に、忍は顔を上げて口にしたが、二人の自分を責めるやりとりは終わりそうになかった。
そんな二人に、桂は落ち着いた声で話しかけた。
「二人は何も悪くありません。
悪いのは襲ってきたやつらです。
だから、二人ともまずは冷静になってください。
ぼくは飲み物を買ってきます。二人はここにいてください。」
そう言って、二人を孝のいる病室のそばにある椅子に座らせて、桂は二人のそばを離れた。
しばらくして、茜の母が二人分の飲み物をもって、二人の前に姿を現した。
「桂くんはどうしたの?一緒じゃないの?」
茜の質問に、茜の母は、桂は茜の父に報告に行ったと答えた。
その答えに茜は嫌な予感がした。
それから茜の母は、二人に一旦帰ったほうがいいと、優しく声をかけた。
忍は動こうとしなかったが、孝の母親からも一旦帰って休むようにと言われ、孝のそばを離れにくそうにしながらも、茜と一緒に家に帰ることにした。
忍が家に帰っても、すぐに一人で病院にもどることは容易に予想できたので、茜の母は、茜と忍に身支度をすまさせ、再び病院にもどることにした。
その翌日の早朝、孝は無事に目を覚ました。
意識も記憶もはっきりしており、医者には数日で退院できると言われた。
それから茜と忍は毎日、孝の見舞いに行き、孝もすぐに退院した。
しかし、桂が三人の前に姿を現すことはなかった。
茜は桂に電話をしてみたもののつながらなかったので、メッセージを送った。
しかし、返信が帰ってくることはなかった。
茜は父にも桂の状況について質問をしてみたが、仕事で出張している、という返事だけだった。
そして、そのまま八月がいよいよ終わろうとしていた。
そんなある日、一件の事件が報道された。
茜たちが住んでいるとなりの県で、覚せい剤や違法ドラックの密売をしていたとして、海外マフィアが拠点にしていたビルを、警察が一斉検挙し、数人の外国人マフィアが逮捕された。
このニュースが報道された日に、茜は父から、もう安全であること、ボディーガードが必要なくなったことを告げられた。
それでは桂はどうなったのか、茜が父に問い詰めても、父からの返事はなかった。
そして桂がいないまま、学校は二学期をむかえた。
茜は桂のことを何も教えてくれない父をずっと無視していた。
そんなことをしても子供っぽいだけで、問題の解決にはならないことがわかってはいるものの、そうすることでしか自分の不安をごまかす方法はなかった。
茜の父はボディーガードは必要なくなったと言っていたが、茜の護衛に数人がついていることを茜は気づいていた。
孝には忍から、茜の家のこと、桂の仕事のことを伝えてもらった。
そのときには茜も同席していたが、自分で話すことは怖くてできなかった。
しかし孝は、全く茜を責めることなく、むしろ中学までの茜の状況に感情移入をしてくれたり、桂の落ち着いた性格や行動に納得がいったという様子だった。
そして茜は、忍や孝に支えられながら、日々を過ごしていった。
文化祭も終わり二学期も終わりが見えてきた頃、茜は相変わらず、忍と孝の三人で過ごしていた。
二学期のはじめのうちは、三人共ろくに会話をせずに下校していたが、文化祭の準備をはじめた頃から、忍と孝が、茜に積極的に話かけるようになった。
そして、自分が暗い表情をしていたせいで、二人に気をつかわせて、話があまりできていなかったことに茜は気がついた。
それからは、茜もなるべく二人が話かけやすいように、笑顔で自分から二人に声をかけるようにした。
そんなことがありながら、文化祭を三人で楽しんだ。
夕暮れの帰り道、忍と孝と駅でわかれたあと、茜はうつむきながら一人で歩いていた。
忍と孝が一緒にいるときは、元気な様子を見せられるが、そうでないときには、うつむいていることが多かった。
茜はずっと考えていた。自分にとって、桂はどんな存在だったのか。
茜は恋を知らない。中学生までは周りから恐れられていたせいで、初恋を経験したことがない。
高校生になってからは、親友と一緒にいることに夢中だった。
忍と孝を見ていて、互いに気持ちがひかれあい求めあう、そんな恋人という関係を見て、それが良いものだと思っている。
自分は、桂に異性としてひかれる気持ちがあったのだろうか。
いくら考えても、その答えは出てこない。
こんな気持ちで今夜も勉強しなくてはいけないと思うと憂鬱になる。
気分転換にコンビニでアイスでも買おうと思い、家への道からそれて信号を渡ろうとした時、
「もう暗くなるのに、寄り道したら危ないですよ。」
茜の前から声がした。
うつむいていた顔をあげると、目の前に桂がいた。
茜はとっさに声がでなかった。
聞きたいことは山ほどあったはずなのに言葉にできない。
「バカ!すごい心配したんだから!
いなくなるなら、いなくなるって言ってからにしてよ!このバカ!」
茜は言葉になっているのかわからない声で、桂に向かって叫んでいた。
「すみません。
仕事の都合で、いきなり海外に行くことになったものですから。」
桂は申し訳なさそうに、相変わらずの落ち着いた声で茜に答えた。
「今日は改めてお別れに来ました。
忍さんや孝に会えないのは残念ですが、こうやって茜さんに会うのも本当は良くないんです。」
桂の言葉に茜はショックをうけたが、落ち込んでやるものかと声を出した。
「ボディーガードのくせに急にいなくなるし、忍と孝くんはイチャつきたいのをガマンしてわたしにかまってくれるし、受験生なのに勉強に集中できなくなるし、高校最後の文化祭は終わっちゃうし、桂くんのことをわたしがどう思ってるのかわからなくなるし、どれもこれも一体どうしてくれんのよ!?」
茜は一気に声に出した。
こんなに言葉をまくしたてたのは忍とケンカしたとき以来だ。
桂は驚いたような顔をしたあと、
「元気そうですね。安心しました。
もっと話を聴きたいんですが、時間切れです。」
そして桂は、涙目になっている茜の頭をそっと撫でた。
「またいつか、一緒に海に行きましょうね。」
「うん、絶対だからね。」
そして桂は、茜の頭からゆっくりと手を離し、茜に背を向けて、青になった信号を渡っていった。
そして信号は赤になり、茜はその後ろ姿が見えなくなるまで、見えなくなっても見つめていた。
茜の初恋は始まったことがわからないまま、終わってしまった。
それでも、とても素敵な恋ができたと思う。
この初恋を生涯忘れることはないだろう。
帰ったら親友に電話をしよう。
初恋が終わってしまったことを伝えよう。
そして、初恋相手の悪口を言ってやろう。
茜はうつむいた顔をまっすぐ上げて、背筋をピンと伸ばし、桂への道には背中を向けて、足を一歩ふみだした。
Fin.