第五話
「……よい、しょっと!」
馬車の荷台に、今回の件で必要と思われる薬草や作り置きの薬、アロマオイルや道具などをすべて積み込んだウェルチは、荷物の積み込みを手伝ってくれた御者役の男に頭を下げる。
「手伝ってくださってありがとうございました。……おかげで早く終わりました」
いいえ、と御者役の男は首を横に振る。
「ティオ様から、手伝うようにと言われておりましたから」
「ティオさんが……」
はい、と御者が朗らかに笑う。自分の父も生きていれば、この御者くらいの年齢だろうか。こんな状況なのに、ウェルチはふとそんなことを思った。
「では、町に戻りましょう。……ところで、ウェルチさん、診療院に泊まると伺いましたが……着替えの荷物はいいんですか?」
「……あ!」
自分のことはすっかり抜け落ちていた。ウェルチは慌てて家に戻ると、タンスから適当に着替えを引っ張り出して鞄の中に詰め込んだ。
数日分さえあればいい。あとは向こうで洗濯して着回そう。
そう思いつつ、ウェルチは家を出て戸に鍵をかける。
「す、すみません! お待たせして! 行きましょう!」
ウェルチの様子に御者は小さく笑い、御者台にあがるとウェルチに右手を差し出した。この馬車は荷物運搬用の馬車なので人が座れるスペースは少ないのだが、荷台の唯一人が座れるスペースにも荷物が置かれているため、必然的にウェルチは御者の隣に座ることになる。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
ウェルチが自分の隣にしっかりと腰を下ろしたのを確認してから、御者は手綱を取る。
「では、行きますよ」
その言葉とともに、馬車が動き出す。町からこの森の奥の家まで徒歩では三十分ほどかかる距離も、馬車ならあっという間だ。そのあまりの速さに、思わずウェルチは馬車欲しいなぁと思ってしまった。手に入れたところで、動かすことが出来ないから完全に宝の持ち腐れなのだが。
そうして町に入ると、馬車はぐんと速度を緩めた。町中でスピードを出すわけにはいかないから、当然のことだ。そして噴水広場に差し掛かったあたりで、御者が何かに気付いて手綱を引いた。
「……あれは」
ウェルチも気付く。広場に、大きく手を振るティオの姿がある。
「ウェルチ!」
馬車が、ティオの前でゆっくりと止まった。
「今から、うちに来れる? 各区長への説明をこれから屋敷ですることになったんだ」
ティオの言葉に、ウェルチは目を丸くした。
「え? 今から? 本当ですか? ……随分と早いですね」
多少手間取ったとはいえ、自宅でそんなにのんびりとしていたつもりはない。思っていた以上の展開の速さに、ウェルチは数度瞬いた。
「うん、院長先生の手紙もあったしね。父が、緊急性が高いと判断したんだ」
「そうですか。なら、その説明会にわたしも同席した方がよさそうですね。……でも、荷物、どうしよう……」
困ったように眉をしかめるウェルチに、御者が微笑んだ。
「診療院に運んでおけばいいんでしょう? 私一人で運んでおきます。……とはいっても、下手に触るわけにもいかないので、空いている部屋に荷物を置いておくしか出来ないですけれど」
「それで大丈夫です! すみません、よろしくお願いします」
普段なら自分でやりますから大丈夫ですというところだけれど、事態が事態だ。遠慮なく御者の優しい言葉に甘えることにして、ウェルチは御者台から飛び降りた。
「頼んだよ」
ティオの言葉に、御者は深く頷く。
「お任せ下さい」
そして、ウェルチとティオは並んで領主の屋敷へと早足で向かう。
「……ジーナとレティシア様は?」
「レティシア嬢は屋敷にいるよ。ジーナは、診療院との連絡役をしてくれたんだけど、今はひと段落ついたからね。一度、家に戻るって言って帰っていったよ」
「そうなんですか。……ティオさんは、何故あそこに?」
領主の三男坊ともあろう人が、ウェルチの迎えだけのためだけに広場にいたとは思えない。それだけならば、誰か使用人に頼めばいいはずだ。
「僕は商隊とかに協力依頼をしに行ってたんだ。ウェルチの家にあるハーブや薬だけじゃ、足りないでしょ? 確実に仕入れられる状態にしとかないとって思って」
確かにそのとおりだ。いくら小さな町とはいえ、ウェルチの家にある薬やハーブの在庫だけでは、明らかに量が足りない。
その辺りの仕入れもどうにかしなければと考えていたが、ティオが先んじて動いてくれたらしい。
「そうですね。そうしていただけると、助かります」
「うん。さっき、ウェルチが言っていたハーブやアロマオイルはひととおり発注しておいたよ。念のために、あとで確認してくれる? あと、足りないものがあったら指摘してくれると助かるな」
「はい。分かりました」
そんな会話をしながら、ウェルチはちらりとティオを見た。
いつもは穏やかな銅褐色の瞳も、今は真剣そのものだ。
今のティオを見て、彼を情けないと言う人は誰もいないだろう。そう思うほど凛々しい顔つきをしている。
実際、彼の動きは領主の息子としてふさわしいものだと思う。
こんな事態ではあるけれど、それは喜ばしいことだと思う。けれど、何故だろう。今まで過ごしてきた時間が遠ざかってしまったような、寂しい気持ちになるのは。
ティオが領主の息子として素晴らしい働きをすれば、それは貴族間での評価に繋がる。そうすれば、レティシアとの見合い話もなお一層現実味を帯びるだろう。
この恋心を諦めると決めた。そのはずなのに、彼らを目の前にすると、こんなにも気持ちが揺らぐ。
なんて自分勝手なのだろう。
思わずため息をつきそうになったが、隣にいるティオに聞こえてしまってはまずい。7今ため息をついたら、きっとティオに心配をかけてしまうだろう。心の中で、何度も今はそれどころじゃないと言い聞かせて、何とかため息を呑みこんだ。
そして、ウェルチは視線をまっすぐ前に向ける。屋敷はもうすぐそこだ。




