第四話
「……うーん。流行性感冒、だろうねぇ」
国の医師会からちょうど到着したばかりだという書簡に視線を走らせつつ、ティオやレティシアの話を聞いていた院長先生は、少し考えこむようにしてから、そう言った。
「……流行性感冒……」
「……それは、やっぱり風邪とは違うもの、なんですよね?」
院長先生の言葉に何やら考え込みはじめてしまったウェルチの横で、ジーナが首を傾げる。聞いたことのない病気だ。ウェルチは病名を聞いただけで何かを察したようだが、ジーナやティオ、レティシアは病名を聞いても何がなんだかさっぱり分からない。
「うん、違うものだねぇ。風邪は夏場でもひくでしょ? けど、これはそうじゃないって説明が一番分かりやすいかなぁ。時間もあんまりないし難しくなっちゃうから詳しい説明は省くけど、冬に流行りやすい病気なんだ。……この国では、土地柄かあんまり流行らないから有名じゃないけど……。今年は乾燥しているからなぁ~」
「……乾燥、ですか?」
ティオの疑問に、院長先生の傍らに控え一緒に話を聞いていた若先生が頷く。
「この病気は、乾いた空気を好むんです。つまり、空気が乾いていると感染しやすくなるんですよ。……それにしても、これは少々危ないかもしれません……」
表情を曇らせる院長先生と若先生に、レティシアは不思議そうに瞬いた。
「……どういうことですか? 感染性は強いけれど、早めにきちんとした処置をすれば問題ない病だと、都のお医者様には聞いております」
「ええ。そうですね。私も父も、治療に関しての知識もありますし、そこは問題ないでしょう。……しかし」
黙ったままだったウェルチが、顔を上げる。その表情も、院長先生や若先生と同じように深刻なものだ。
「……この町に、医者は院長先生と若先生だけです。いくら小さな町とはいえ、爆発的に流行したら……」
二人の医師だけでは手が回らない可能性が高い。
そして、無理をして治療して、結果ふたりが倒れるようなことになったとしたら。この町で治療行為が出来る者がいなくなる。そうなれば、病による死者が出るような事態にもなりかねない。
ウェルチの言葉に、ティオとジーナがはっと息を呑んだ。
「ウェルチさんのおっしゃるとおりです。……医師会に応援要請をしようにも日数がかかりますし、そもそもまだこの町では流行していませんからね」
「様子見てヤバそうだったらまた連絡してねって言われるのが目に見えてるよね~。……それじゃ遅いってのにねぇ」
若先生が険しい口調で言うのに対して、院長先生はどこかあっけらかんとしている。けれど、口調とは裏腹に瞳は真剣そのもので、その分事態の深刻さが伝わってくる。
院長先生は、医師会からの書簡を机に放ると、目を細めてウェルチを見た。
「……だから、ね。流行る前に手を打たないといけないんだよ。なるべく病気が流行らないようにしないとね。うがい、手洗いっていう基本の予防法はもちろん徹底してもらうとして~。……で、どうかな? ウェルチちゃん。何か出来そう?」
視線を受けたウェルチは顔を上げ、まっすぐに院長先生を見つめた。
「……はい。つまり、免疫力を高めればいいんですよね?」
「そうですね」
若先生がこくりと頷く。
「そしてその病気が乾いた空気を好むというなら、予防法としてはまずは加湿させることが大事、ということですよね?」
「そのとおりです」
重ねてのウェルチの確認に、若先生が再び大きく頷いた。
「……では、加湿と免疫力向上を一緒にしてしまいましょう。加湿用にラベンサラやティートリーのアロマオイルを配布します。免疫力向上の効果があるハーブです。スプレーして部屋を加湿させてもいいですし、お風呂に入れて香りを楽しみながら入浴しても効果があります」
ウェルチの言葉によどみはない。院長先生に話を振られる前から、考えていたのだろう。
「あとは、エキナセアやエルダーフラワー、タイムそれから……マローブルーなどのハーブティーには殺菌力があります。飲むのはもちろん、濃く淹れてうがいに使うのも効果的です。こちらもみなさんに配布しましょう」
「……マローブルー……。あのお茶ですね」
レティシアがぽつりと呟く。ウェルチとレティシアが会うきっかけになったお茶だ。
若先生が、ウェルチの言葉をメモに書きながら頷いた。
「なるほど。……まだ、流行っていない今のうちに徹底させた方がいいでしょうね。都の方で流行ったというのなら、この町で感染者が出るのもそう先の事ではないでしょう」
そして、誰かが感染した時点で何の予防もしていなければ、患者数は洒落にならない数になるだろう。
「そうだねぇ。もうしばらくしたら風向きが変わって湿った風が吹くはずだから……それまでの半月ぐらいは感染予防を徹底しないとねぇ。……ティオ様。領主様に話を通してもらってもいいかな?」
「もちろんです。その為に僕はここに来たんですよ。院長先生」
力強く頷くティオに、院長先生は目を細めて頷くと、一筆書くね~と言ってその辺の紙を引っ張り出して何やらしたためはじめた。
レティシアが目を丸くしている。手紙と言うよりは、お使いメモでも渡すようなその気軽さに驚いたようだ。
それでも一応、この町唯一の診療院の院長から領主への報告書兼援助要請の手紙だというから、苦笑するしかない。
「……わたしからもお願いがあるんですけど……」
院長先生から手紙を受け取ったティオに、ウェルチが声をかける。
「どうしたの? ウェルチ」
「わたし、しばらくこの診療院の仮眠室に泊まりこもうと思います。それで、森のわたしの家にある作業所から、ハーブや薬のストックを持ってきたいんです。馬車と人手を貸していただけないでしょうか?」
その言葉に、ティオとジーナが驚いた顔をする。
「……泊まり込むの?」
「ええ。……予防に関して、町中に説明しなければなりませんし、人手は多いに越したことはないでしょう? それに、薬も煎じて持ってくるのは骨が折れますし、森と町とを往復する時間も惜しいですから。……もし病気に罹った方がいたら、この場で薬の対応も出来ます」
その言葉に、院長先生と若先生が頷いた。
「すみません。そうしていただくと、助かります」
「うん、そうだね。……急いで部屋を用意させるよ~」
そう言ってから、院長先生は懐かしいなにかを見るかのように、目を細めてウェルチを見た。
「う~ん、君のおばあちゃんを思い出すなぁ。……ウェルチちゃんも、もう立派な薬師だねぇ」
院長先生の言葉に、ウェルチはぱっと頬を赤く染めて視線を落とす。
「そんな……わたしなんて、祖母と比べたらまだまだです」
「そんなことないよ~。……あ~、まあ、そりゃ、知識とかそういうのは、まだまだかもしれないけど。それはあの人も長く薬師を続けて積み重ねたものだからねぇ。そう簡単には追いつけないでしょ。……けど、薬師としての姿勢は一朝一夕じゃ身につかないものだよ」
そう言って、院長先生はどこか遠くを見るような瞳をした。
「……あの人は自分がどう思われようが何と言われようが、薬師としての自分を貫いた。薬師の仕事に誇りを持ってた。……ウェルチちゃんもそうなんだろうなぁって、今の姿を見てると思うよ~」
そうして院長先生はにっこりと笑う。
「自信を持って。君は立派な薬師だよ」
「……はい!」
感激に瞳を潤ませながら、ウェルチは大きく頷く。そんなウェルチを、ティオが目を細めて見つめていた。まるで、眩しい何かを見るかのように。




