第三話
診療院がある、大通りから一本奥に入った細い道。その通りを早足で歩いているのは、ウェルチとジーナのふたりだ。その道を歩いているのはふたりだけで、周囲に他の人間の姿はない。
寒さのせいで、大通りすらも人通りが少ないのだから、この細い道に人通りがほとんどないのも、無理はないのだが。
カフェで一緒に診療院に行くことを打ち合わせていたティオとは、現在別行動中だ。
ティオと診療院への同行も申し出たレティシアは、都からこの町まで乗っていた馬車で診療院へと向かっている。カフェから診療院へは大通りを行くよりも、この道を通った方が速く着くのだが、馬車が通れるほどの幅がないため、別行動となったのだ。
ティオからは馬車に乗って一緒に行こうと誘われはしたが、都帰りの馬車は荷物が多くて若干窮屈そうに感じたうえ、貴族の感覚としては質素なのだろうけれど一般庶民の感覚からすれば十分豪勢な馬車に気後れを感じ、丁重にお断りさせていただいたのだ。
馬車に乗る、乗らないのやりとりを思い出し、ジーナは小さく眉を寄せた。短い時間でもあの馬車に乗るとなると、ひどく緊張し肩身の狭い思いをするに違いない。多少寒くても、こうして外を歩いてきたのは正解だろう。
そして平然とした顔で乗っていたティオの事を思い出し、ああティオもやっぱり貴族なんだなぁと妙な感心をしたりもした。
ウェルチとジーナのどちらも黙り込んで言葉を発しないため、足早な靴音だけが辺りに響いている。
ジーナはちらりとウェルチに視線を向けた。
黙々と歩き続けるウェルチの顔はとても真剣なもので、どこか凛々しさすら感じる。いつもの穏やかな表情はどこにいってしまったのかと思うほどの表情の変化だ。
ウェルチが己の仕事に対して強い責任感と誇りをもっていることは知っているから、その様子も当然だろうとは思う。
が、しかし。一応仮にもウェルチは恋する乙女のはずだ。だというのに、その凛々しさはどうなのよ、と思ってみてもジーナに罪はないだろう。
レティシアはあのような物言いをしていたが、ティオに対して恋心に近い物は確実に抱いている。貴族で美人な恋敵が想い人の傍らにいる状況なんだから、もっと気にしてもいいんじゃないのと思うし、言いたい。
そんな場合ではないのは百も承知なので口には出さないが、心の中ではさっきからずっと突っ込みっぱなしだし、こんな事態でなければとっくに言葉にしているだろう。
そんなことを考えるジーナの様子に気付いたウェルチは小さく笑った。
「……ジーナ、すごく難しい顔してるよ」
「え? ……あら、そう?」
いつの間にかものすごいしかめ面をしていたらしい。言われてみれば、眉間に力が入っていたのか少々痛い気もする。
「……わたしのこと、心配してくれてるんだよね? ありがとう」
何の迷いもなくさらりとそう言われて、ジーナは思わず視線をそらした。
確かにそうなのだけれど、本人から何の疑いもなくまっすぐにそう言われると何だか気恥ずかしい。
「……何でそう思うのよ。もしかしたら、今日の特売とか夕飯とかで悩んでたのかもしれないじゃないの」
「え~、それはないよ。……だって、ジーナだもの」
恥ずかしさのあまり捻たことを言うジーナに、ウェルチは自信満々の笑顔でそう答える。
あまりにもきっぱりとした物言いにジーナが反論する前に、ウェルチは笑顔を消して、真剣な表情で口を開いた。
「……もちろん、ふたりの事が全く気にならないって言ったら嘘になるよ。……でも、さっきも少し言ったよね。……考えてることがあるって」
ジーナは無言で頷いて、ウェルチに続きを促す。
「……わたしは、ずっとおばあちゃんの働く姿を見てきた。おばあちゃんみたいな薬師になるんだって……小さい頃からずっと、そう思ってた」
そう言ってウェルチは、淡く苦笑した。
「そう思いながら大きくなって、なんとか薬師として生活出来るようになって……。今はもう、薬師じゃないわたしって想像できないな、と思うの」
話をしている間に、ふたりは診療院の目の前に到着していた。周囲は静かで、ティオとレティシアの姿はまだなく、馬車の音も聞こえない。
冬場で人通りも少ないとはいえ大通りを馬車で駆け抜けるのは危険だから、あまりスピードを出さないようにしているのだろう。結果、徒歩の方が速いというのも、何だか変な話のような気もする。この調子だと馬車の到着までもうしばらくかかりそうだ。
「それで、考えたの。……もし、わたしがティオさんに気持ちを伝えて、ティオさんもまだわたしのことを好きでいてくれたとしたら……。わたし、このまま、この仕事を続けていけるのかなって」
ウェルチの言わんとしていることを察したジーナは、表情を曇らせる。
魔法のようによく効く薬を調合するからと『リコの森の魔女』と呼ばれ、貴族からの依頼も受けるというウェルチだが、その二つ名に畏怖や侮蔑の感情が含まれていることを、ジーナもよく知っている。
そんな風に悪く思うのならウェルチを頼るなとジーナは言いたいのだが、そういう感情を持つ者に限って、都合よくウェルチを利用しようとするのだ。
そして、いつも未来にまで思考を巡らせるウェルチは、自分の仕事がティオや、その家族に迷惑や負担をかけてしまう可能性まで考えてしまったのだろう。想いが通じ合う、その前から。
それはとてもウェルチらしくて、ジーナは何だか切なくなった。ひそかに、唇を噛みしめる。
「わたしは、この仕事が好き。ずっと続けていたいと思う。……けれど、嫌な思いをしなかったわけじゃないし、この仕事をよく思わない人がいるのも、よく知ってる」
ティオや領主達はウェルチの仕事をよく知っているし、嫌悪するようなこともない。むしろ、ウェルチの仕事を応援しているし頼っている。けれど、彼らは貴族だ。彼らがよくても、その周囲が反発するということは十分にありえることだ。
「……迷惑をかけるだろうなぁって思ったの」
全部ウェルチの仮定の話だ。そう言ってしまえばそうなのだけれど、それが十分にあり得ることだとジーナも分かっている。だから、気軽にそんなことないとは言えない。そんな無責任な言動を取れるはずがない。
「でも、わたしはやっぱり薬師でいたい。……だから……」
「……分かったわ」
ティオに好きだとは伝えない、もしくはティオのことは諦めると言おうとしたのだろう。ジーナはウェルチの言葉を遮った。
「……さっき、レティシア様と少しだけお話しできたんだけど……何だか、思っていたよりいい人だなって思ったわ。……ねえ、ウェルチはその選択で後悔しない?」
そうとだけ尋ねると、ウェルチは柔らかく笑う。
「……ティオさんが幸せで、笑ってくれるなら、後悔はしないよ」
それは強さと同時に儚さを感じる笑顔だった。
ふと、ウェルチが顔を上げる。その動作に、ジーナも気付いた。
微かに、からからと馬車の車輪の音が聞こえる。音の方向に顔を向けたウェルチは、角を曲がってこちらにやって来る馬車の姿に目を細める。
「あ、着いたみたいだね~。ティオさんとレティシア様」
そんなウェルチの姿を見たジーナがついたため息は、我ながら深くて重いと思うようなものだった。




