第一話
秋も終わりが近づいてくると、町を吹き抜ける風はどんどんと冷たさを増していく。
そうなると気温は一気に下がり、あっという間に季節は冬へと移り変わる。
ここ最近は、どんよりとした曇り空が続いており、時折ちらほらと雪も混じるようになっていた。
湖の向こうにそびえ立つ山々は既に見事な雪化粧で覆われており、もう少し経てば、町にも本格的に雪が降り始めることだろう。
そんな季節になると、ウェルチとジーナもお気に入りのカフェでのお茶は、テラス席ではなく、店内でということになる。
今日も外はひどく冷え込んでいるため、ウェルチとジーナは店内の窓際の席でお茶をしていた。
ジーナはホットココアを飲みながら、ちらりと窓の外に視線を向ける。
窓の外にはテラス席と広場が見える。今日の気温でテラス席に出るような物好きはおらず、その向こうの広場もまた、人影はまばらだ。今日は一段と冷え込んでいるのだから、なおさらだろう。
秋の行楽シーズンの終わった町は、元の静けさを取り戻していた。雪景色を楽しむために滞在する観光客もいるけれど、秋ほどの人手はない。
「……ティオってば、まだ帰ってこないわね~」
ココアのカップをかたりと置いて、視線を広場の方に向けたまま、ジーナはぽつりと呟いた。
ティオの名に、ウェルチは一瞬だけ小さく肩を震わせた。
「……うん。そうだね」
そんなウェルチの様子に気付いているのかいないのか、ジーナはテーブルに頬杖を突きつつ小さく息を落とす。
「都に、行ってるのよね。……アルバート伯爵家のお嬢様と」
「うん。……別荘の火事の件で、レティシア様のお母様がすごく心配してて、安心させるために顔を見せに帰ることになったって。……ティオさんは、その付き添い兼火事の詳細の説明役なんだっていう話だよ」
火事の件を伝え聞いたレティシアの母は、あまりにもレティシアのことを心配しすぎて体調を崩したらしい。
秋が終わってからもこの町に滞在する予定だったレティシアだが、母を安心させるために、一度都へと戻ることとなった。そして、その旅路に年齢が近いティオが同行することとなったのだ。
ティオが付き添うことになった理由は、町で火事にあった傷心の令嬢をひとり都に帰すわけにはいかないという貴族的な事情と、アルバート家の使用人を救出したのがティオだったからということだ。
その辺りの話は、火事のあとも何だかんだで顔を合わせる機会があったレティシアに直接聞いた。
レティシアがウェルチのお茶を気に入ってくれたというのは、ティオが気にしていた女性を確かめるための口実だけではなく、事実だったらしい。
火事の直後に警告めいた発言をしていたにもかかわらず、その数日後には火事に動揺している侍女たちを気遣って、心を落ち着ける作用のあるお茶を持って来てほしいとウェルチに依頼をしてきたのだから、ウェルチのお茶を気に入っているのは確かだろう。
その依頼を受けた時は、正直言って驚いた。
火事の直前にはまた来てほしいと言われたものの、あんな風に牽制されたあとでは、依頼を受けることもないだろうと思っていたからだ。
レティシアの中では、ウェルチのことは腕の良い薬師として認めているし、お茶もとてもお気に入りで、ウェルチへの評価と恋愛とはまったく別物だという考えのようだ。
そのあまりにもすっぱりと割り切った潔い考え方に、ウェルチは思わず感心してしまったほどだ。
こういうタイプのご令嬢は、珍しい。ウェルチも仕事上何人かの貴族の令嬢を知っているが、レティシアのような人は初めてだ。色々と牽制やら警告やらされたウェルチだが、レティシアの印象はそんなに悪くない。
「……そうだったわね。まあ、色々とあるんだとは思うわよ。都に行ったら挨拶しなきゃいけない人がいるとか、やることがあるとかね。……でも、もう二週間よ? 都までは馬車でゆっくりと行っても二日くらいの距離でしょ? いい加減、遅すぎるような気がするわ」
そう言って、ジーナは眉をしかめる。
「……せっかく、ウェルチが気持ちを自覚してくれたっていうのに。ティオもタイミング悪いというか何というか……。雪が深くなったら、ウェルチだってそうそう町には来れないっていうのにーっ!!」
ジーナの叫びに、ウェルチは口に含みかけた紅茶を思わず噴き出しそうになった。
自分の気持ちに気付いたことを、ウェルチは特段ジーナに話していなかった。あの火事の後、冬に向けての準備をしなければいけなかったので、きちんと話す時間が取れなかったのだ。
けれど、やっぱりジーナにはウェルチの感情の変化などバレていたらしい。まあ、ウェルチも隠そうとしていないし、そもそもジーナ相手に隠せるとも思えない。
ウェルチは小さく苦笑した。
「……仕方ないよ」
その言葉が、半ば自分に言い聞かせるような口調になってしまったのは、隠しきれなかった心の内が零れてしまったせいだろう。
ティオが戻ってこないことに、寂しい気持ちと不安とがないと言えば、嘘になる。
ティオへの想いを自覚した当初は、こんな風に感じるなんて思ってもみなかった。
レティシアが冬もこの町に滞在すると聞いた時は衝撃を受けたけれど、それでもティオがこの町にいる間は、もう少しウェルチにも余裕があって客観的に考えることもできていた。
けれど、ふたりがこの町を発ったその日から、ウェルチの感情は小さく波立ったままだ。
顔を見ることはおろか、ふたりの様子さえ伝え聞くことも出来ない。都から遠く離れているのだからそれも当然なのだけれど、それがもどかしくてたまらない。
「仕方ないって……。ウェルチ……」
諦めたようなウェルチの言動にジーナの表情が一段と険しくなる。ウェルチは苦笑を浮かべたまま、ティーカップに口をつけた。
「わたしが、自分の気持ちに気づくのが遅かったんだもの。……もう少し早くに気付けていれば、もう少し違う状況になっていたのかもしれないけど、そんなこと言ってもどうしようもないし……」
そう言って、ティーカップをテーブルに置く。
脳裏を過るのは、火事の直後にレティシアに言われた、言葉。
――……この国で生きる民である以上、身分というものは決して蔑ろにされていいものではないのですよ。
それはそうだと、ウェルチも思う。レティシアの言葉は正しくて、反論の余地はない。
今まで努力を続けてきたウェルチだからこそ、想うだけではどうしようもないこと、努力ではどうにもならないことがあるというのは、よく分かっている。
「……それに、ティオさんは貴族だから。個人の感情だけじゃどうにも出来ないこともあるんだと思う。……だからね、仕方がないんだよ」
未来を見据えたようなウェルチの瞳と、諦めにも似た言葉に、ジーナは表情を曇らせる。
「……ウェルチ。あんた……」
「それに……。わたしも、考えていることがあるしね」
「考えてること?」
オウム返しに問うジーナに、ウェルチはにっこりと笑ってみせた。
「うん、そう」
「それって何なの……って、聞いてもいいのかしら?」
少し遠慮がちに問いかけるジーナに、ウェルチは微笑んで頷く。
「うん。逆に、ジーナに聞いてほしいな。……あのね」
ウェルチがそう口を開いたのとほぼ同時に、カフェの戸が開き、戸についたベルが店内に鳴り響く。会話に集中していたふたりは、その時になってはじめて、外が騒がしいことに気付いた。
なにかあったのだろうかとウェルチとジーナは同時にカフェの出入口の方に顔を向けると、今しがたカフェに入って来た人物と、目があった。
その人物を見たウェルチの紺色の瞳が一瞬だけ動揺したかのように揺れたのを、ジーナは見逃さない。
「ウェルチ! ジーナ!」
ほっとしたような声を上げてこちらに向かってきたのは、先程までウェルチとジーナの間で話題になっていた、ティオその人であった。




