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Valentia~Charla de las cuatro estaciones   作者: 藍原ソラ
El capítulo del otoño(秋の章)
22/30

第七話

 ティオの姿が屋敷の中へと消えていくのを見送ったウェルチは、目を伏せて祈るように指を組む。

「……ティオさん……!」

 どうか、エレンさんとふたり、無事に戻ってきて。強く、そう祈る。

「……なぜ……」

 レティシアのか細い声が、ウェルチの耳に届く。振り返ったウェルチの視線の先で、レティシアが肩を震わせていた。

「なぜ……なぜ、ウェルチは迷わずに助けに行こうとしたのです……。わたくしも侍女たちも誰も動けなかったのに……あなたは、わたくしとも、エレンとも初対面で、無関係の人なのに……」

 様々な感情がない交ぜになって震える新緑の瞳を、ウェルチはまっすぐに見返す。

「わたしは、薬師ですから」

 祖母が薬師として、人を助けている姿に憧れた。それで、ウェルチは薬師を志した。

 けれど、ただ薬を作りたかったわけではない。祖母の薬を作るということを通じて、人を助ける姿、誰かの力になろうと奮闘する姿に心動かされた。そういう人になりたいとそう思った。

 そんな姿勢は、時には不可解に思われ、偽善者だといわれることもある。けれど、それでも。ウェルチは祖母のように誰かに手を差し伸べることが出来る人になりたいと、そう願っている。

 だから、短く薬師だからと答えたのだが、完全に言葉が足りず、これでは自分の意図がまったく伝わらないだろうことに、言ってから気付く。

「……火事に行き当たったのは初めてですが、緊急事態には慣れています。さっきまでは、一番冷静なわたしが救助に向かうのが最善だと思ったから、助けに行こうとしたんです。人を助けるのがわたしの仕事ですから」

 レティシアが混乱しているのは、震える声からも分かった。だからウェルチはあえて冷静に、淡々と答えを返す。

「……ならば、なぜ、ティオ様に……」

「エレンさんの救出を託したか? ……ですか?」

 ウェルチは未だ燃え続ける別荘に視線を向けたてそう問いかけると、レティシアが頷いた気配がした。

「……それは、ティオ様が救出に向かった方が、エレンさんを助けられる確率が高いと思ったからです」

 この場にウェルチや侍女達、そしてレティシアしかいない状況ならば、冷静で身軽なウェルチが救助に向かうのが最善だろうと思う。

 けれど、ウェルチだって、多少足腰に自信があったとしても、普通の少女だ。足の不自由なエレンを背負って歩けるほどの力はない。脱出に手間取れば、二人して命を失う可能性があった。

 その分、男性のティオならば、エレンを背負って脱出することも可能だろう。エレンの救出率も格段に上がる。

 短い時間でそう判断したからこそ、ティオを止めるようなことはしなかった。

「でも、なぜ……! なぜ、よりにもよってティオ様自ら……! あの方は領主様のご子息なのですよ!? エレンは、ただの使用人です! なのに……あの方が命を、懸けるなど……!!」

 レティシアの言うことも分かる。

 確かに、貴族の者が一般人を自ら助けにいくことは、おかしいことなのだろう。

 もしティオに何かあったらどうするのだと問われたら、ウェルチに返す言葉はない。

 けれど、迷わずに別荘内へと駆けて行ったティオの判断が間違っているとは、ウェルチは思わない。

「レティシア様。……あの方は、目の前で困っている人がいて、自分が助けられると思ったら、貴族でも一般の人でも関係なく、手を差し伸べる方なんです。命に貴賤はないと考えているのだと思います」

 何を思い浮かべたのか、そう言うウェルチの目元が穏やかに和む。

「とても優しくて、いざという時には誰よりも勇敢になれる……。ティオ様……いえ、ティオさんはそういう方です」

 レティシアの視線を感じながら、ウェルチは背筋を伸ばして、はっきりとそう言った。

 ティオはよく己のことを情けないだとか臆病だと言う。確かに、男らしさはあまり感じないし、頼りない雰囲気のある人ではある。

 けれど、ウェルチは知っている。ティオの優しさを。そのまっすぐさを。そして、大切な時は勇気を出して立ち向かう強さを持っていることを。

 彼の優しさを想うと、自分も優しくなれる。少し頼りないところだって、助けたいと思う。そんな人だ。だからこそ、わたしは――……。

 ウェルチははっと我に返った。なんだか一瞬、場にそぐわない思考に陥りかけた気がするが、今はそんな場合ではない。

「……大丈夫です。エレンさんのことは、ティオさんがちゃんと助けてくれます。……信じて、待ちましょう」

 そう言ってレティシアを安心させるように微笑むと、レティシアは不安そうな顔をくしゃりと歪めた。

 後ろの方が騒がしくなってきたと、ウェルチは背後を振り返った。別荘街の門の方から、消防団が駆けてくるのが見える。

 その時、侍女の一人があっと声を上げる。

「おふたりが……!」

 ウェルチとレティシアがはっとして別荘に視線を向けると、煙の中からウェルチのケープを羽織ったエレンを背負ったティオが、半ば転がるように飛び出してきた。

 その場にいた人たちがわっと駆け寄り、ティオを抱え起こして出入口から遠ざける。

 間を置かずに到着した消防団の団長が、部下に指示をして消火活動を始めた。

 その光景に、ウェルチはほうっと大きく安堵の息をついた。火事は消防団に任せておけば問題ない。これ以上、被害が大きくなることもないだろう。

ティオとエレンの様子も遠目に見た限りは、大きな火傷はなさそうだ。けれど、無傷というわけにはいかなかっただろうから、状態を見て出来る応急手当はしなければ。

 そう思って足を踏み出しかけたウェルチを、レティシアの硬い声が縫いとめた。

「……まるで」

 静かなのに、異様に力のこもった声に、ウェルチは思わず振り返っていた。

「まるで、惚気話を聞いているようでした。……ウェルチ。あなたは……ティオ様が好きなのですね」

 新緑の瞳が、ウェルチの紺色の瞳をまっすぐに射抜いた。その瞳の放つ静かな力強さに、ウェルチは小さく息を呑む。

「……え」

 周りは騒がしく、レティシアの声は途切れそうなほど小さい。なのに、その言葉ははっきりとウェルチの耳に届いていた。

「……命に貴賤はない。それは、そのとおりなのだと、わたくしも思います。素晴らしい考え方だと思います。あなたも、ティオ様のことを、領主様のご子息とだけしか見ていないというわけではないのでしょうね。……けれど……」

 そこで一度言葉を切ったレティシアは、少しためらった後、続きを口にした。

「……わたくしもティオ様も、あなたも貴族制度のあるこの国の住民です。この国で生きる民である以上、身分というものは決して蔑ろにされていいものではないのですよ」

 あの方は貴族で、あなたはただの薬師です。

 そう言ってレティシアはエレンの元へと駆けだす。ウェルチは、その場に足を縫いつけられたように動けなかった。


◆ ◆ ◆


 ティオの尽力の甲斐あって、エレンは多少煙を吸いこみ軽度の火傷を負ってはいたものの、命に別状はない状態だった。

救助に向かったティオ自身も、軽い火傷程度ですんだとのことだ。

 アルバート伯爵家の別荘の火事は、到着した消防団によって消し止められ、被害は一階部分の延焼のみですんだ。

 しかし、一階部分はほとんどが焼け焦げたうえに水浸しで使用できる状態ではなくなってしまったらしく、レティシアはその別荘より少し離れた場所にあるもうひとつの別荘に移ったという話だ。

 特段怪我も何もないウェルチは、さすがに火事の当日は断念したものの、翌日はいつも通り広場でお茶などを売っている。

 けれど、その表情はどこかぼんやりとして、精彩を欠いていた。

 ――ウェルチ。あなたは……ティオ様が好きなのですね。

 レティシアの妙に静かなその言葉が、脳裏から離れない。ジーナから同じ言葉を言われても、ここまで気にすることはなかっただろう。

 ウェルチのことも、ティオのこともほとんど知らない第三者から言われたからこそ、心に響いたのかもしれない。

 もしかしてこれは恋なのだろうかと思う要素はたくさんあった。そして、第三者から見たら、自分はティオに恋をしているように見えるのかと思ったら、あれだけさんざん悩んできたのに何故だかすとんと納得してしまった。

 これが恋なのだと自覚しただけならよかったのに。レティシアの言葉がウェルチの心に重く影を落とす。

 最後の言葉は、身分違いの想いを牽制するものだった。

命に貴賤はなくとも、この世に身分制度というものがある以上、どうにもならないこともあるのだと。

「あ、ウェルチ! あんた、昨日のアルバート伯爵家の火事のこと、聞いた? あそこのお嬢様、なんでか知らないけど、滞在期間を伸ばして冬まで滞在する予定になったって、噂で聞いて、でも火事にあったのに滞在延長って変じゃない? って――……ウェルチ?」

 駆け寄ってきたジーナが一気にまくしたてた言葉の内容に、ウェルチは凍りつく。今は風の冷たさも気にならないほど、呆然としていた。

 それが何を示しているのか、ウェルチには見当がついた。

 見極め期間の延長。ティオは、アルバート伯爵家の有力な婿候補になったのだ。

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