第五話
ウェルチは荷物が詰め込まれた愛用の鞄を肩に掛けて、町中を歩いていた。人込みを不器用に避けつつも歩くその表情は、どこか浮かない。
何故、もやもやとした気持ちになってしまうのか。その答えは、一晩経った今も出ていない。レティシアの使いである少年が帰ってから、片づけをしてベッドに入ってもずっと考えていたので、若干寝不足気味だ。
ティオがもし見合いを申し込まれたら、それはほぼそのお見合い相手との婚姻が確定したことになる。貴族間のお見合いなんて体裁を保つためのものでしかない。お見合いを設定している時点で、地固めは完了しているケースがほとんどだという話だ。
そして、そうなれば領主を継ぐことがないティオは、この町を離れていってしまうのだろう。それが寂しいのだろうか。延々と考え続ける中で、そんなことを思いついたりもした。
約束を果たせそうにない罪悪感と、幼馴染が遠くに行ってしまう寂寥感。そう考えればつじつまはあうはずだ。だが、何か違うような気もする。そんな風に思うのは、ティオに対する想いが、友情ではなく恋だからなんだろうか、と思わないでもない。
だが、そう思っても自身の想いを確信できるはずもなく、今の状態に至っている。自分でもかなり情けない事態だとは思う。
ウェルチは再び重いため息をついた。
今向かっている先が、アルバート伯爵家の別荘だということも気を重くさせる原因のひとつだろう。
手紙に書かれていた内容自体は嬉しかったし、こうして招待を受けたこともありがたいことだから、こんな風に思うのはとても失礼なことだとは思うのだけれど。
人の多い大通りを抜け、町と別荘街とを隔てる塀の門に近づく。別荘街は、元々治安のいいこの町の中でも厳重に警備されている区画で、門には警備員が常駐している。
この門の先に向かうには領主が発行している通行証か、別荘に滞在している貴族の招待状など招かれていることを証明するものが必要となる。
ちなみに、この別荘街にも度々仕事で来るウェルチは、通行証の発行を受けている。
警備員もウェルチのことはよく知っているので、ウェルチが通行証を見せつつアルバート伯爵家の令嬢に招かれた旨を伝えると、怪しむこともなくあっさりと通してくれた。
この町の領主の屋敷の裏手にある湖に沿って、別荘は立ち並んでいる。アルバート伯爵の別荘も、その中のひとつだ。ウェルチは、間違って違う別荘に入ってしまったりしないようにと、慎重に歩いていく。そして。
「……着いちゃった」
ウェルチの家がいくつ入るのだろうというくらい大きな別荘の前に立って、ウェルチは大きく息をついた。
この場所にあるのなら、湖畔に面した庭からは、湖の向こうに佇む赤や黄色に染まった山々を望むことが出来るだろう。非常に立地の良い場所に建てられた別荘だ。
ウェルチはすうっと息を吸って心を落ち着かせる。ここに来たのは、仕事のためだ。意識を切り替えなければ。
そうして表情を改めたウェルチはやたらと大きな玄関扉に近づいた。町と別荘地を隔てる門に警備員がいるので、各別荘には警備員や門番を置かないことも多い。この別荘も、扉の前は無人だった。
ウェルチがドアノッカーを叩くと、すぐに応じる女性の声が聞こえてくる。
「はい。どちら様でしょうか?」
「薬師のウェルチと申します。昨日、レティシア様よりご依頼いただいたお茶をお持ちいたしました」
あまり高い声だと相手に不安がられることがあるため、低めの声を意識しつつそう告げる。すると、かちりと鍵の開く音がして、重い音を立てて扉が開いた。応対したのは、比較的若い侍女だった。
「お嬢様よりお伺いしております。お待ちしておりました、薬師のウェルチ様。……どうぞお入りください」
「失礼いたします」
そう言って足を踏み入れた別荘の内部は、他の貴族達の別荘と同様にやたらと豪華な造りだった。玄関部分だけでも、ウェルチの家の作業場くらいの広さがある。
比較的、貴族の屋敷や別荘に訪れる機会のあるウェルチだが、いつもその広さと豪華さに圧倒されてしまう。
緊張しながらも、侍女に促されて別荘の中を進む。応接間に通されるとばかり思っていたのだが、先導する侍女は応接間ではなく、階段の方へ向かっていく。
小さく目を見張り、思わず声をかけていた。
「あ、あの……失礼ですが、応接間ではないのですか?」
「はい。お嬢様から、自室にお通しするようにと仰せつかっております」
「そ、そうなんですか……」
それはさらに緊張する事態だ。自室とやらにもきっと高価そうな調度品やらなにやらがあるに違いない。ティオのお嫁さん候補のお嬢様だと思うだけで色々と複雑なのに、何でこんな事態になるのだろう。
というか、そもそも自室に呼ぶべきなのは家族や親しい友人であって、会ったこともない一介の薬師を招くのはどうかと思うのだが。
内心冷や汗をかきながらも、ウェルチは覚悟を決めて階段を上る。階段を昇った先の部屋の戸の前で先導の女性が立ち止まり、白い上品な造りの戸をノックした。
「失礼いたします、レティシア様。ウェルチ様がいらっしゃいました」
「お通しして」
中から聞こえる鈴の鳴るような可愛らしい声に、ウェルチは無意識に背筋を正す。
侍女は音も立てずに戸を開けると、一歩さがりウェルチに道を開ける。そして、深々と頭を下げた。
「この先でお嬢様がお待ちです。どうぞお入りください」
「はい。……失礼いたします」
そうして入った部屋は屋敷の中でも庭に面した場所にあるらしく、バルコニーからは見事な紅葉と湖が見える。バルコニーを出て下を見れば、きっと見事な庭が広がっているのだろう。開いたままの窓から入る心地よい風が、レースのカーテンをふわりと揺らした。
「お目にかかれて光栄です、レティシア様。薬師のウェルチと申します」
白い家具を基調として整えられた部屋。その中央に据えられた白いテーブルと椅子に座っている少女に、ウェルチは深々と頭を下げた。新緑のような瞳に薄い茶色の髪を綺麗に巻いた、整った顔立ちの少女だ。
「突然、お呼びしてごめんなさいね。わたくしはレティシアです」
にこりと笑って、レティシアが立ち上がる。そして、向かいの席をウェルチに勧めた。
「どうぞ、おかけになって? ……エレン、お茶を」
レティシアがそう呼びかけると、初老の侍女がはいと応じて二つのティーカップとティーポットをカートに乗せてやってくる。その動きが微かにぎこちない。足を痛めているのだろうか。
ゆっくりと歩いてきたエレンは、洗練された動作で丁寧にお茶を淹れ、レティシアとウェルチの前にティーカップを置く。
「ありがとう。もうさがっていいわ」
命令口調ではあるものの、レティシアの声音は柔らかい。エレンと呼ばれた女性ははいと笑顔で頷くと、ウェルチに頭を下げて退出していった。
人払いをしていたのだろう。エレンが出ていくと、部屋にはレティシアとウェルチのふたりきりになる。
「……エレンはもう年配ですし足も少し患っているので、本当は遠方に連れてくるべきではないのです。……けれど、わたくしが幼い時から仕えてくれているので、一番頼りやすくて……いけないとは思うのですが、つい甘えてしまいます」
そう言うレティシアの声はとても穏やかで、ウェルチは思わずふわりと微笑んだ。
ウェルチが出会った貴族の中には、我儘な人もいたし傲慢な人もいた。ティオ達の存在があるから貴族すべてがそんな人だとは思わないが、それでも都の貴族にいい印象は抱いていなかった。
けれど、レティシアはそういった人間ではないらしい。言葉の端々や表情から、レティシアの人柄が伝わってくる。認識を改めなければいけないな、と思う。
「そうなのですね」
穏やかに微笑んで小さく頷いたウェルチは、目の前のカップに視線を落とした。目の前のティーカップからは紅茶のいい香りがした。
「本日はご依頼くださり、ありがとうございます。……わたしのお茶をお気に召してくださったというお手紙をいただき、とても光栄に思っております。心からお礼申し上げます」
そう言って頭を下げると、レティシアは小さく微笑んだ。
「ええ。……昨日、この町の領主様のご自宅にお父様と伺ったのだけれど、そこで出していただいたお茶がとても素敵だったのです。ええと、マローブルー、というのだったかしら?」
「はい、そうです」
「綺麗な青色のお茶というのも珍しいと思ったのだけれど……レモンを入れたら、ぱっと色がピンクに変わって……わたくし、とても感動しましたのよ。ああいうお茶は初めて見ました」
そう言って、レティシアは穏やかに笑う。和やかな雰囲気に、ウェルチは内心ほっとしていた。これならば、なんの問題もなく終わりそうだ。
「お気に召していただけたなら、光栄です」
ウェルチがそう言うと、レティシアはこくんと頷いた。
「ええ、とても気に入りました。……ですから、このお茶はとても素敵ですね、綺麗でおいしいなんてとても気に入りました、とその場で申し上げたんです。そうしたら、ティオ様が嬉しそうになさって……それで、ウェルチのことを教えてくださったのです。あなたのことをとてもほめていらっしゃったわ」
いきなり出てきたティオの名前に、ウェルチは内心どきりとする。何だか、話の内容が不穏な方向に向かっているのは気のせいだろうか。
そして、ほんわかと穏やかだった場の空気が変わったような気がした。
「ティオ様はとても優しくて素敵な方ね。……そんな方が褒めるあなたに、ぜひとも会ってみたかったの。だから、あなたに会えて本当に嬉しいわ」
そう言ってレティシアは輝かんばかりの綺麗な笑顔を浮かべたのだった。




