第二話
「……どうぞ」
ウェルチはそう言って、ティーカップをティオの目の前のテーブルに置いた。
間違ってもこれは、勇気の出る薬などといういかがわしいものではない。ウェルチは薬の調合のほかに、自家製のお茶や薬酒、果実酒、アロマオイルなど、薬草やハーブ、森で採れる果実を加工した色々な物の販売もしているのだ。
今、ティオの目の前でカップからふわりと湯気を立てているのも、ウェルチお手製ハーブティーのひとつだ。
「ありがとう。……ごめんね、いきなり変なこと言ったりして」
ティオがしゅんと肩を落としてそう切り出した。先程の言動が唐突すぎた自覚はあるらしい。ウェルチは小さく苦笑する。
「いいんですよ。……ちょっといきなりで驚いただけですから」
「……ごめんね。驚かせて」
なおも申し訳なさそうにするティオの様子を見ていると、何だか自分が悪いことをしているような気分になってくる。
「もう大丈夫です。だから、そんなに謝らないでください。……冷めないうちに、どうぞ召し上がってください」
ウェルチの勧めにティオは頷いてカップを手に取ると、ふっと目を細めた。
「……いい香りだね。これ、カモミールだよね」
カップから仄かに香るリンゴに似た香りに、お茶の正体に気付いたらしい。ウェルチは微笑んで頷いた。
「はい、そのとおりです」
ティオは貴族らしい綺麗な動作でカップに口をつけると、ほっと息を吐いた。
「……うん。ウェルチのお茶は相変わらずおいしいね」
ふわりと柔らかな笑顔を浮かべるティオに、ウェルチも微笑み返した。自分が造ったものを口にして、そんな表情でそんな風に言われると、やはり嬉しい。
作ってよかったと実感できる瞬間だ。
「ありがとうございます、嬉しいです。……それで、ティオ様」
ウェルチが話を切り出そうとすると、ティオが不快そうに微かに眉をしかめた。
「ねえ、ウェルチ。そのティオ様っていうの、やめない? 僕達、小さい頃からお互いのことを知ってるのに、何だか他人行儀な感じで嫌だよ」
小さい頃はティオくんと呼んでおり、ある程度大きくなってからはずっとティオさんと呼んでいた。それを改めたのは、祖母の跡を継いで、正式に領主の家に薬師として仕事をしに行くようになってからだから、ここ半年のことだ。
貴族として振舞うティオを見る機会が増えたことで、自分とティオの身分を意識するようになっていた。
ウェルチは困ったように、小さく首を傾げた。
「……でも、領主様の息子様ですし……」
「僕は三男だから領主は継がないよ」
少しむっとしたような表情でそう言ってから、ティオは眉を八の字にした。
「僕はね、ずっとウェルチのおばあ様とウェルチにはお世話になっていたから、すごく感謝してるんだ。……だから、立場を気にして壁を作るのはやめてほしいんだよ」
ティオはこの間誕生日を迎えたばかりとはいえ、立派な成人男性である。
だが、今の表情は寂しげで、まるで捨てられた子犬のようだ。ウェルチは何となくそのふわふわした茶色の髪の毛を撫でまわしたい衝動に駆られた。
何かを誤魔化すかのようにウェルチはごほんと咳払いをすると、ひとつ頷いた。
「……わかりました、ティオさん」
このままではらちが明かない。そう思って色々と衝動を抑えつつ頷くと、ティオがぱっと顔を上げた。
「よかった」
そう言って笑うティオは、本当に嬉しそうだ。
「……それでは、ティオさん。改めて聞きますけれど……さっき言ってたこと……要件は、一体なんだったんですか?」
そう尋ねると、ティオはカップをソーサーに戻した。そして、気まずそうに視線を逸らす。
「ええっと……うん。……要件は、そのまんま、言ったとおりなんだけど……。ウェルチは、うちの父が母にしたプロポーズの話っておばあ様から聞いたことあるかな?」
「あ、はい」
ウェルチは頷きつつ、祖母の話を思い出す。
ティオの父親がまだティオくらいの年齢だった頃。彼は一人の町娘に好意を寄せていた。
今はしっかりと領主業をこなしているティオの父親だが、当時はやや内気な性格でそんな自分に自信もなく、なかなか意中の娘に想いを伝えられずにいたらしい。
当時領主が想いを寄せていたその娘は、快活な美人で他の男性からも人気が高かったという。そして、町のある男が娘に結婚を申し込もうとしているらしいという噂を聞いた領主は、かなり焦ったのだという。告白が恥ずかしいなどと思い悩んでいる場合ではない。彼女が他の男のものになってしまうのは嫌だ。
そう思ったティオの父親だったが、それでもなかなか勇気を出せず、当時からここで薬師をしていたウェルチの祖母を訪ねて「勇気の出る薬ってないのかな!?」と相談したのだという話だ。
「……祖母から何度か聞いています」
そう言うと、ティオがぐいっと身を乗り出す。
「その話に出てくる勇気の出る薬が欲しいんだ!!」
「いやいやいや、そんなおとぎ話の魔法みたいなもの、あるわけないじゃないですか~」
あははは~と笑うウェルチに、ティオは不満そうな顔をした。
「ええええええっ!? いや、そんなことはないはずだよ! だって、父はそれを使って母に無事プロポーズをしたって聞いてるんだ!!」
「……奥様の目の前でバラの花束掲げて愛を綴った詩を朗々と詠んだとか……。それって無事っていうんでしょうか……?」
なかなか恥ずかしいシチュエーションだ。普段の領主の生真面目な性格を知っているウェルチとしては、なかなか想像できない姿である。
あまりに想像できなくて、祖母が面白おかしく脚色したのかとすら思っていたのだが、ティオが気まずそうに視線を逸らしている様子を見ると、どうやら本当にあったことらしい。
「……うん、かなり恥ずかしいなぁとは思うけどってそうじゃなくって! そこまで知ってるってことは、やっぱりあるんでしょ!? 勇気の出る薬!!」
ティオのあまりの熱心さに、今度はウェルチが視線を逸らす番だった。
「……ええっと……まあ、祖母が領主様の依頼をお受けしたのは事実ですが……」
曖昧な言い方で言葉を濁す。そして、ウェルチはふと首を傾げた。
「……というか、何で勇気の出る薬が欲しいんですか?」
今更ながらのその問いかけに、ティオがびしりと固まった。
「……えっ?」
その頬がほんのりと朱色に染まる。もう立派な大人だというのに、この人は本当に素直な人なのだ。幼い時よりも身体が丈夫になり身長も伸びたティオだが、優しく素直な性格は少しも変わらない。
そんなティオの性格を、好ましいと思う。ウェルチはふわりと微笑み、首を傾げた。
「……誰か、想いを告げたい方がいるんですね?」
ウェルチの、半ば確信を持った問いかけに。ティオの顔が熟れたトマトのように赤く染まった。
「え、ぼ、僕っ……そんなこと、一言もっ……」
ティオのあまりの狼狽えっぷりに、ウェルチは思わず噴き出しそうになってしまった。
「でも、そうなんでしょう? ……お顔が真っ赤になってますよ」
そう言うと、ティオは手の甲で頬をこすり、ふいと視線を逸らした。
「……何で分かるんだろう?」
「だって、ティオさんって素直なんですもの。……ティオさんに愛される女性は、きっと幸せですね」
ウェルチがそう言うと、ティオは曖昧な笑みを浮かべ少しだけ肩を落とした。
「ウェルチって……。ううん、何でもない。……僕が、いつまでもきちんと言わないからいけないんだよね、きっと」
後半の呟きの意味が分からずウェルチは小さく首を傾げたが、ティオは気にしないでと小さく苦笑して首を横に振っただけだった。
その態度が気にはなったが、人には誰しも踏み込まれたくない心の領域があるだろうと了解しているウェルチは、それ以上何も言わずに話を先に進めることにした。
「……ティオさんの熱意は、分かりました。……祖母が領主様の依頼を受け、何を渡したのかは聞いています」
その言葉に、ティオの顔がぱあっと輝いた。
「やっぱり、あるんだね!」
「ええと、勇気の出る薬というと語弊があるんですが……。まあ、領主様が奥様に大胆プロポーズをするきっかけに至った物はあります。……けれど、これをタダで渡すわけにはいきません」
ウェルチの言葉に、ようやく頬から赤みが引いたティオは首を傾げる。
「え? お金なら払うよ、もちろん」
その言葉に、しかしウェルチは首を横に振った。
「いえ、お金の話ではないんです。ただ……わたしに試させてください。――あなたが、どれほど真剣にその薬を欲しがっているのか。その気持ちを」