第二話
「……珍しいわね~。この時期にティオを見かけるなんて」
小走りに近づいてきたティオに、ジーナが不思議そうな表情でそう言葉をかける。
ジーナがそんな感想を抱くのも当然だろう。ウェルチもジーナの言葉に同意するように頷いた。
秋の観光の時期は、美しい景色やおいしい食事を求めて、たくさんの人々がこの町にやってくる。
それは、貴族だって例外ではない。別荘街もこの季節が一番賑わう時期なのだ。
そして、この町にやって来た貴族たちがまずはじめに、決まってすることがある。それは、観光でも食事でもなく、この町を治める領主――つまり、ティオの父親の元に滞在の挨拶に伺うことなのだ。
ただ町にやって来ただけなのだからわざわざ挨拶なんてしなくても、とウェルチやジーナは思ってしまうのだが、貴族同士には貴族同士の礼儀というものがあるのだろう。詳しいことは、ふたりとも知らない。
ただ、分かっているのは、貴族たちはこの町を訪れる時と去る時に領主の屋敷へと赴き、領主一家は使用人も含めてその対応で忙しくなるということだけだ。そして、それは領主の三男坊であるティオも例外ではない。
「これだけ町が賑わっているのだから、どなたか貴族の方もご自宅にいらっしゃっているのではないんですか? お屋敷を空けても大丈夫なんですか?」
そんな事情があるからこそのウェルチの問いかけに、ティオは淡く苦笑する。
「うん、そうなんだけれどね。……ウェルチ、もしかして今日はお仕事終わっちゃったのかな?」
何も置いていない台の上に視線を走らせてから、ほぼ店仕舞いを終えていたウェルチの様子を見て、ティオが表情を曇らせる。
「ほとんど商品が売れてしまったので、今日はおしまいにしようと思ってたんです。でも、お茶ならいくつか残っていますよ。……何かご入り用ですか?」
そう尋ねると、ティオはほっとしたような表情で頷いた。
「うん、そうなんだ。これかから急にお客様が来ることになって……。でも、連日誰かしらお客様が屋敷にいらっしゃるから、お茶が尽きかけちゃっててね。それで、この時間ならウェルチがいるかなって、思って」
そう言って苦笑するティオに、ウェルチは数度瞬く。
「ええと。事情は分かりましたけど……それで、ティオさん自ら?」
普通、領主の三男坊自ら足りないお茶の買い出しをしたりはしないだろう。それは領主一家に仕える使用人たちの仕事だ。
「うん。でも、本当に急な来客なんだ。だから屋敷の中も準備で慌ただしくって、みんなすごく忙しそうなんだよね。お茶のストックまで、意識は向いてないと思うんだ。……そんな状態だったら、手が空いてる僕が行くのが一番効率的でしょ?」
そう言ってティオは微笑む。身分を笠に着ないティオが、慌ただしい使用人たちを気遣ったが故の行動だろう。
ティオの性格を考えれば、今彼が目の前にいることも納得がいく。とてもティオらしい行動に思えて、そうなんですね、と頷くウェルチの様子を見たジーナは盛大なため息をついた。
「……あーのーねー。ウェルチ。あんた、本当にそう思ってるの?」
その言葉に、ウェルチはジーナを見て首を傾げる。何を言われたのかよく分からないというような表情をするウェルチに、ジーナは両手を腰に当てて呆れたような口調で言葉を続けた。
「分かってたつもりだけど……ウェルチってば、ほんっとうに鈍いわよねぇ。……まあ、ティオが使用人さんたちを気遣ってるっていうのもあるとは思うけど、そんなの口実に決まってるでしょ! あんたの顔が見たいから、わざわざティオ自身がお茶を買いに来たんじゃないのっ!」
そのジーナの言葉に。ウェルチは紺色の瞳を見開き、ティオの頬が一気に紅潮した。
「え、えええっ!?」
「ジ、ジーナッ!! な、何を言って……!!」
ウェルチとティオの反応に、ジーナは額に手を当て深いため息をつく。
「……もう。あんたたちらしいっていえば、らしいけどね」
そう呟いたジーナの表情がほんの一瞬だけ複雑な色をはらんだ気がしたけれど、それを口にする前に、ティオの気まずそうに咳ばらいにウェルチの注意はそちらに向いてしまう。
「そ、そんなわけでお茶を買いに来たんだけど……何が残ってるのかな? おすすめはある?」
「え、ええっとぉ。……そうですね~……」
まだ頬の赤みはひかないままだが、ウェルチの顔は既に真剣そのものだ。あっさりと仕事モードに入ってしまったウェルチを、ジーナはどこか呆れたような苦笑を浮かべて見ていた。
先ほどの初々しすぎる反応や今の様子を見ると、ふたりの関係が夏のあの日から少しも進んでいないらしいことは明らかだ。
ウェルチとティオの性格を考えれば予想通りと言えば予想通りなのだが、あまりにもほのぼのじれじれとした恋愛模様に、ジーナとしては苦笑するしかない。
そんなことをジーナが考えているなど、ウェルチは思いもよらないだろう。真剣な表情のまま、ウェルチは小さく首を傾げた。
「今日いらっしゃるお客様は、どんな方なんでしょうか? ティオさんは、なにかご存知ですか?」
「うん、知ってるよ。アルバート伯爵は、父の学生時代からの知人で……。あ、そうだ。今日は娘さんも連れてくるらしいんだ。ウェルチ達よりひとつ年上、だったかな?」
ティオのその発言に、ジーナが微かに目を細めた。しかし、そのことにウェルチもティオも気付かない。
「わたし達と同じ年頃の女の子……」
ぽつんと小さく粒たいたウェルチは手元の鞄に視線を落とし、しばし考え込む。
ウェルチ達と同年代の娘がいるというのなら、娘が喜びそうなお茶の方がいいだろう。そして、ちょうどよさそうなお茶がまだ鞄の中に残っていた。
「……じゃあ、このお茶はどうでしょうか?」
そう言って、鞄からお茶の袋をひとつ取り出した。
「マローブルーです」
「マローブルー?」
問いかけるティオにウェルチはこくりと頷く。ウェルチもティオもすっかりと元の調子を取り戻したらしく、会話も態度もすっかりいつもどおりだ。
ジーナは、ふたりの穏やかなやりとりを黙ったまま眺めていた。
「はい。名前にブルーとついているとおり、青いお茶です。だけど、ちょっと不思議なお茶なんですよ」
そう言って、ウェルチが楽しそうに笑うと、ティオが小さく首を傾げた。その説明にジーナも興味を持ったようで、ウェルチの手元を覗き込んでくる。
「不思議なお茶?」
「はい。お茶の中にレモンの輪切りをいれると青からピンクになるんです。ぱっと変わる様子がとてもきれいなんですよ」
「へえ、そんなお茶があるのね~」
感心してそう呟くジーナに、ウェルチはにこにこと笑いながら頷く。
「面白いでしょ? それに、マローブルーは美容にもいいんです。見た目も楽しめて、美容にもいい、とても女性向けなお茶だと思います。……あとは今残っているお茶だと、ローズヒップが美容に良くて、見た目もきれいなんですが……わたしは、こちらのマローブルーをおすすめします」
ふわりと笑うウェルチに、ティオも柔らかく微笑んだ。
「そうなんだ。僕もこのお茶の色が変わるところを見てみたくなったよ。……じゃあ、このマローブルーにするよ。……じゃあ、お代はいくら?」
その問いかけにウェルチが答えると、ティオは上着のポケットから財布をだし、硬貨を数枚取り出した。ウェルチはそれを受け取り確認すると、ひとつ頷いた。
「これで大丈夫です。……はい、どうぞ」
そう言って差し出されたお茶を、ティオは大事そうに受け取った。そして、片手を軽く振る。
「ありがとう、助かったよ。……じゃあ、僕は戻らなきゃならないから。じゃあね、ウェルチ。あ、ジーナも」
「はい、お気をつけて~」
「はいはい、あたしはついでなのね」
手を振るウェルチの横でわざとらしく拗ねてみせるジーナに、ティオは少しだけ慌てたようにごめんと謝った。
ふたりのやりとりに、ウェルチは小さく吹きだした。
ジーナが怒っていないことなど、ジーナが浮かべたいたずらっぽい笑みを見れば、すぐに分かる。
「まあ、忙しそうだし、今日は許してあげる。でも、今度お詫びにお茶おごってよね」
ジーナがそう言うと、ティオは必死にこくこくと頷いた。
ジーナはしてやったりとでも言いたそうな笑みを浮かべると、ティオにひらひらと手を振る。
「じゃあ、またね」
うん、と頷いて再度手を振ったティオは、足早に屋敷へと戻っていく。その後ろ姿は、すぐに人ごみに紛れて消えてしまった。
静かにティオを見送っていたジーナは、同じように黙ったまま見送っていたウェルチに視線を向ける。
「……やっぱり、まだ結論は出てないのねぇ」
「う、うん……。ちゃんと考えてるんだけど、まだ、分からなくて……」
ウェルチは困ったような表情でそう言って、俯いた。
「……ちゃんと、たくさん、考えてるのになぁ。……なんで分からないままなんだろう……」
ぽつりと零れ落ちた声音は、我ながらかなり情けない、困り果てたものだった。




