第七話
テーブルに頬杖をつき、噴水広場を行き交う人々をぼんやりと観察していたジーナは、自分の方に向ってくる人の気配に、ふと顔を上げる。
自分のところに小走りに駆けてくるウェルチの姿を認めると、ジーナは口を開いた。
「……おかえり、ウェルチ」
「うん、ただいま。ジーナ」
ジーナは姿勢を正すと、じいっとウェルチの顔を見つめた。そうして、にっこりと満足そうな笑みを浮かべる。ジーナがそんな表情をしたのは、まだ頬にやや赤みが残るウェルチの顔が、憑き物でも落ちたかのようにすっきりとしていたからだろう。
ウェルチは小走りに駆けよりテラス席に着くと、小さく息を吐いた。
ティオを追いかけるのに全力で走ったり、手に汗が滲むほど緊張したり、ずうっと話をしていたりしたので随分と喉が渇いている。さすがに温かい飲み物よりも冷たい物が欲しいと思った。
それを心得ているかのように、店員がウェルチ達の所にやってくる。手にはしっかりと注文票とペンが握られていた。
「……追加注文、いかがですか?」
周囲をよく見ているからこそ、適切なタイミングで注文を取ることが出来るのだろう。さすがは接客のプロだ。やっぱりベテランの人はすごいんだなぁと思いながら、ウェルチはメニューを見ずに、注文した。
「……アイスティーを、ストレートで」
「はい」
「あ、あたしも頼もうっと。オレンジジュースください」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
そうして、ほどなく運ばれてきたアイスティーを飲み、ウェルチはふーっと大きく息をついた。乾いていた喉が潤っていく。ようやく一息をつけたような気がする。
オレンジジュースを飲みつつその様子を見守っていたジーナは、ウェルチが落ち着いたらしいのを見て、口を開いた。
「……で? どうだったの?」
「……うん。ちゃんと話せたと思う、よ?」
ウェルチの返答に、ジーナはきゅっと眉を寄せた。
「なぁんか、歯切れが悪いわねぇ。ほらほら、おねーさんに全部話してごらんなさい」
ジーナの言葉に、ウェルチは思わず噴き出した。
「おねーさんって……わたし達、同い年じゃない」
けれど、あながち間違ってはいないのかもしれない。ジーナと話していると、自分に姉がいたらこんな感じなのではないかと思うことが、実は結構頻繁にあったりするのだ。
先程のウェルチの心の内をずばずばと言い当てて背中を押してくれたジーナは、とても頼もしく見えた。そんなことを思いつつ、ウェルチは先ほどのティオとのやり取りをウェルチに伝えていく。
相槌を打ちつつウェルチの話を聞いていたジーナは、全ての報告を聞き終えると呆れたようなため息をついた。
「……うん、まあそうよね。あんた達らしいほのぼの~とした結末だわ」
そう言ってから、ジーナは優しい笑みを浮かべる。
「……まあ、でも少しは前進出来たんじゃないの。よかったじゃない」
周りから見たら呆れられるくらい小さな前進だ。けれど、小さくても一歩を前に踏み出せたことに意味があるのだと思う。少なくとも、ここ数か月の間、お互いに向き合うことすら避けてきたウェルチとティオにとっては、大きな変化だ。
なんとか後ろに下がらずにはすんで、よかったと思う。
そして、後退せずにすんだのはジーナの言葉と行動によるところが大きい。ジーナに相談していなければ、今自分が出せる答えを伝えるのが誠意なのだと言われなければ、そして背中を押してもらわなければ。
ウェルチがひとりで思い悩んでいても、先ほどの時間をつくることはきっと出来なかった。先程の時間がなければ、ティオとの関係も気まずいまま、変わることなどなかっただろう。
そして今のようにすっきりした気持ちで笑うことは出来なかったに違いない。
「うん。ティオさんとお話出来て、今のわたしの本音を伝えられて、本当によかった。……ありがとう、ジーナ。わたしの背中を押してくれて。……大好きよ」
そう言うと、ジーナの頬がぼっと赤く染まる。
「は、はあっ!? あ、あんた、いきなり何言ってるのっ!? そ、そういうことはティオに言いなさいよ! あたしに言ってどうするの!?」
「ジーナ、顔が真っ赤だよ。……もしかして、照れてるの?」
「ちっがーう! あんたがいきなりバカなことを言うから驚いただけよっ!!」
さらに顔を赤くして否定するジーナからは、先ほどの頼りがいのあるお姉さんの空気はすっかりと抜け落ちていた。顔の熱を冷まそうとしているのか、手を団扇のようにして、顔をぱたぱたと扇ぐ。
そんなジーナの反応に、ウェルチは思わず噴き出しかけた。しかし、ジーナにぎろりと睨まれたので、ウェルチは慌てて咳払いをしてごまかした。
「もう! ……で、ティオはあんたの答えが出るまで待っててくれるって言ったのよね?」
ジーナの問いかけに、今度はウェルチが頬をぽっと染める番だった。
「うん。……ずっと待ってるから、いつでもいいよって」
「やっぱりね。……だから、言ったでしょ? 大丈夫だって」
ジーナは得意げにそう言って胸をそらす。ウェルチはこくんと頷いたあと、やや顔を俯かせた。
「ね、ジーナ。……わたし、ちゃんと答えだせるのかなぁ?」
赤くなったかと思いきや、いきなり不安そうに眉を八の時にしかめるウェルチの様子に、ジーナは今日幾度目か分からないため息をついた。
そして、再度ウェルチの額を人差し指で弾く。
「ひゃっ! い、痛いーっ! 今日、二回目だよ!?」
「もう! そんななっさけない顔しないの! そんな調子じゃ出せる答えも出てこないわよ!」
ジーナはそう言いつつ、オレンジジュースを一気に飲み干した。
「ずっと待ってるって、ティオが言ったんでしょ!? なら、待たせとけばいいじゃない。ティオの了解得てるんだから、あんたらしくゆっくりと答えを出せばいいのよ」
その言葉を噛みしめるように聞いていたウェルチは、ややあってこくりと頷いた。
「うん、そうだね。……焦っても、よくないよね」
そういうこと、と頷いてから、ジーナは意地の悪い笑みを口元に浮かべた。
「……ま、あんたのことだから答えを出すのに数か月単位の時間がかかったって仕方がないんじゃない? ティオだって、相手があんたなんだから、それくらいの覚悟はしてるわよ」
「うう~っ……」
そんなことないよ! と言い返せないのが、何だか悲しい。けれど、今のこの調子では答えを出すのに本当に時間がかかりそうだ。
ウェルチは弾かれた額をさすりつつ、ため息をひとつ落とす。
「……でも、いくらずっと待っててくれても……。もし、一年とかかかったらどうしよう……」
自分で言っておいて何だが、十分にありえそうで怖い。だが、ジーナはあっさりと別にいいじゃないの、と言い切る。
「そもそもティオの片思い期間が十年近いんだから、今更、一年くらい増えたってどうってことないわよ。しっかり悩んで、ちゃんとした答えを出しなさいな」
きっぱりはっきりと言われたジーナの言葉に、ウェルチは目を見開いた。
「じゅ……!? って、え!? ジ、ジーナ、今、十年って言ったの!?」
妙に焦り出すウェルチに、ジーナはのんびりと頷いた。
「言ったわねぇ」
「だって、え。十年って一昔って言うよ!?」
ウェルチの反応に、ジーナは事もなげに頷く。
「そうよねぇ。そう思うと、かなり長い期間よね。すごいわよねぇ。そんなに想い続けて」
「すごいっていうか……! え、だって、十年前って。それって、わたしがティオさんと初めて会った頃だよ!?」
ずっと前から好きだとは言われていたが、まさかそんなに前から想われていたとは思ってもいなかったらしい。
ウェルチの慌てようがあまりにおかしくて、ジーナは笑いをかみ殺すのに必死だ。
「……そうね。それくらいの時からずーっと、ティオはあんたにあっつい視線を送ってたわよ?」
「えええ!? う、嘘ぉぉぉぉ!?」
驚愕の事実に動揺したウェルチの声が響く。そして、頬を染めたまま呆然とするウェルチに、ジーナはにんまりと笑いながらさらに追い打ちをかけた。
「あたしがそんなくだらない嘘つくわけないでしょ? それにしても、もしかしたら明日は町中があんた達の噂話でもちきりかもね~」
ぴしりとウェルチは硬直する。人通りの少なかった大通り。けれど、まったく人がいなかったわけでもないし、大通り沿いの家でまったりと過ごしていた人もいたことだろう。
大声で騒いでいたような記憶はない。けれど、領主の三男坊であるティオはもちろん、ウェルチの顔も町中に知れ渡っていて、そんなふたりが大通りを爆走していて、人々の注目を集めなかったわけがない。
ウェルチもティオも、いっぱいいっぱいで気付かなかっただけで、ふたりの様子を気にかけていた人は少なからずいただろう。
小さな町だ。噂は、瞬く間に広がる。次回町に来た時、注目を浴びるであろうことは、想像に難くない。
「…………!!」
そのことに気付いたウェルチが、声にならない悲鳴を上げる。ようやく進んだ一歩を少しだけ後悔しかけた、夏の日の午後だった。




