1.
それは実に大きな男だった。
手足は太いというよりも、厚い。針金を叩き込んだようにみっしりと鍛えられた肉体であるのが、誰の目にも明らかに判った。そして彼の大きさとは鈍重さを意味しない。心得のある者ならば彼の些細な身ごなしからも、肉食の獣めいたしなやかな俊敏さを見て取ったろう。
体に刻まれた幾つもの傷や佩刀に目を配るまでもなく、彼が戦いを生業とするものである事は知れた。幾多の戦場と同じ数の死線を潜り抜けた、それは戦士の風体だった。
けれど不思議な事に、威圧感はなかった。ごろりと大きな自然石のように、周囲を圧するでも脅かすでもなくただそこに在る。泰然自若として動じない。そんな雰囲気を男は備えていた。
彼が現在陣取っている一席は、宿と酒場とを兼ねた店にある。
同じくように旅をし、死線を抜けて来た者たちはいる。討伐と探索とで口を糊する冒険者たちが幾人といる。しかし仮に難に遭った者がここに飛び込み、そして真っ先に助けを求めるとしたならば、それは彼へであろうと思われた。
数皿目を半ば空にしたところで、男は食事の手を休めた。巨躯に釣り合うだけの健啖さでだった。
ふと彼の頭を過ぎったのは、疑問だ。
自分のの身を包むのは酒場の喧騒。かつてならばこの手の場所に席を取り、酒を頼まなぬ事はなかった。ではこうして酒を慎むようになったのは、一体いつの頃からだったか。
物思うその口元が、ふっと綻びる。見れば思わず警戒を解いてしまうような、それはひとを安堵させる笑みだった。
理由を、思い出した。閉じたまぶたの裏、情景が蘇る。
「師匠は、呑み過ぎるから駄目」
酒盃を取り上げて、その娘はそう言ったのだ。ざくりと髪を短くした、強い瞳の娘だった。
無論彼は抗議した。自分の酒量くらいは弁えている。体に比して男の許容量は格別だったし、何より今までかつて、酒で己を失った事は一度たりともない。心得である。
「酔わなくても、あんなに呑んだら体を悪くするもん。だから駄目」
生来ゆえか育ちゆえか、彼は口が上手くない。対して相手の言葉には一理あるように思える。
加えて彼は、娘の目に弱かった。臆するわけででも厭うわけでもないが、ひたと真っ直ぐに視線を据えられると、どうも要求を肯んじてしまう。言ってしまえば押しに弱い。
けれど。
けれど、男は予言を受けた身だった。
──この兄弟は、いずれ深淵に身を堕とすよ。
──血に塗れた三日月、積み重なる丘の主、怒れる蛇の僕となるが定めだよ。
自分の体を案じてくれる、その気遣いはありがたい。
しかし長く生きれば生きただけ、その成就に近付くやもしれぬ。己はここで腹を掻っ捌いた方が、いっそ世の為かも知れぬ。
「ししょーには、長生きしてもらわないと困るんだから」
半ば自虐めいて思う彼の耳に、呟きが届いた。
「何故困る」
「……っ、私にも色々予定があるの!」
思わず問い返すと、娘は大きめの声で追究を打ち切ってそっぽを向いた。
酒を悪い事のように思い始めたのは、以来だろう。押しに弱い割りに、男には律儀なところがあった。




