破滅のプロローグ
再び壁に手を這わせ窪みに指を突き刺し、刺さったナイフを足場に壁を登る。
通常ルートには狼の群れがいくつもいて負担が多過ぎた。
その結果、最後まで壁を登ることになったのだ。
ーーー。
「ほーら、あと一歩!」
遂に頂上についた綾香が声をかける。
小さな声。
きっと頂上には竜がいるのだろう。
そしてクエストのターゲットもいるはずだ。
「綾香、弟はいるの?」
登りながら小さな声でしゃべると一度下を見つめていた綾香の顔が引っ込んだ。
その間にもこっそりと登り続ける。
下からはレヴィの悪態が聞こえる。
「ちくしょ……。なんだってこんなのに付き合ってるんだ私……。」
「ごめんね、レヴィ。」
「いや、うん、まあいいんだけどさ……。」
ゴニョゴニョとよく聞き取れない言葉が後に続いている。
「弟確認。竜の近く。寝てる。」
綾香から生存確認の連絡が入る。
まあ死んでたらクエストにならないのでありえないわけだけど。
そう考えつつも手は止めず僕はやっと登りきった。
目の前には紫と言ってもいいぐらい濃い青の竜がいた。
それはもう巨大でその爪は僕よりも大きく、その身体は大型トラックのようだった。
瞳は火の様に赤く、閉じられた目からうっすら見える。
可愛らしい寝息がすぅすぅと聞こえるがその鼻からは時々ぼっと火を噴出す。
とても小さな火なのに吹きつけられる地面は真っ赤に溶けていた。
「やばそうなやつだね。」
上がってきたレヴィが最初に言った。
僕らも無言で頷く。
気づかれないうちに竜の横で眠っている少年を救い出すしかない。
それは3人で行くより一人で行ったほうが安全だ。
「誰がいくの?」
僕は思ったことを口にだした。
二人共何も言うじゃ無く僕を見つめている。
この貧弱な僕を。
……迷いならとうの昔に捨てた。
信頼という繋がりは僕に後退を許さない。
「わかった。僕が行く。」
背中に担いでる銃をレヴィに渡し僕は歩き出した。
一歩一歩。
音だけは鳴らさないように。
そうやって弟までの距離を少しずつ縮める。
心臓の鼓動をムリヤリ押さえつけ、手の汗を握り締める。
大丈夫だ……。
銃系のクラスはハインディングスキルに長ける。
もともと足音がなりにくいし、敵に狙われにくい。
上級のスキルでは姿を一時的に見えなくしたりすることもできるらしい。
影の薄い僕にぴったりだ。
だが、竜は一筋縄ではいかなかった。
寝返りのつもりか知らないが翼をばふっと一回飛ぶように上下に動かした。
その動きは空気を掴み、その重たい巨体を飛ばす揚力を産むだけの風を巻き起こした。
飛ぶための羽ばたきではないから浮いたりはしないがその風は確実に僕の方へ突き進む。
「ゆきと!」
後ろから小さな声が聞こえたと気づいた時には僕の真横にはナイフが地面に深ぶかと2本突き刺さっていた。
僕はその2本に飛びつき両手に握った。
それから風が僕を巻き込む。
身体は浮き鯉幟のような姿になる。
だが鯉幟と一緒で僕は空を飛ぶこと無くこらえた。
だけどそれで終わるような竜の寝返りではなかった。
気づいた時には僕の顔の真横に鞭のようにしなった太い尻尾が接近していた。
「しゅら!!!!!!!」
レヴィの叫ぶ声が聞こえる。
これで死んだら二人が泣く。たぶん……。
だから僕はムリヤリその場に倒れ髪の数本と引き換えに命を拾った。
と思った……。しゅらがあんなに大きな声をあげたのになんと楽天的な考えか。
「我の眠りを妨げる貴様らは何者ぞ?」
低く大気を震わす声が聞こえる。
僕の声ではないし二人の声でもない。
そうか!目標の少年の声か!
そんな夢に心酔したいと思った。
だが、それは数秒も持たない夢だった。
目の前には立ち上がった竜。
大型トラック程度の身長だったそれが今やその3倍。
「何者と聞いているのだ。答えよ。」
僕は固まってしまった。答えても死、答えなくても死。
「答えぬなら身を持ってその罪を知れ!」
竜が思いっきりその首を上にあげた。
大気を吸い上げる音がする。
それにあわせて後ろから音がした。
レヴィの突進する足音、レヴィから奪った銃を構える綾香の舌打ち。
綾香の放った弾丸は竜の顎を捉える。
それでダメージが入るわけではないが、竜の照準は上へと少しだけずれた。
そして、レヴィの地を這うような下段蹴りで沈んだ僕の身体はぎりぎりでそれを回避する。
「走れ!」
レヴィは僕にそういいながら竜にむけて突進を続ける。
「倒すなんて無茶だよ!」
僕の叫びも気かず低い姿勢で突撃する。
振り回される爪や尻尾をぎりぎりで避け懐に接近。
それからそこに眠る少年を抱き上げた。
僕の忘れていたターゲットを。
「ほら!」
綾香が銃を投げてよこす。
そして、再びスカートを咲かせナイフを大量に投げつける。
だが、竜の鋼の鱗には傷一つつかない。
単純に敵の攻撃をずらせ遅らせ回避をフォローするための攻撃。
「そいつを返せ!!!」
こちらの意図を読み取った竜は怒りを隠さない。
口からは地獄の釜よりも熱い炎を吹き出し、尻尾からはかまいたちが発生するような強烈な横なぎの攻撃を仕掛ける。
だが、僕と綾香のフォローを受け、レヴィはすれすれの回避を続けた。
そして、僕らの待つポジションまで走りついた。
僕らは一斉に走り出す。
通常ルートを逆走する。
竜は飛ばずに走って追っかけてきた。
僕らは全速力で逃げる。
狼の集団の攻撃をかわし逃げる。
集団でいる狼だが彼らには一回のチャンスしか与えられなかった。
僕らが避けた先には死の壁が迫る。
僕に飛びついてきた狼に対して僕はかがんで避けた。
レヴィに飛びつく狼は蹴りを入れられて横に吹き飛んだ。
綾香に飛び込む狼はナイフで撃ち落とされた。
そのどれもが一様にその後には竜の炎で灰も残さず消えるか尻尾の一撃を食らい粉々になった。
「畜生!らちがあかねぇ!」
レヴィの悪態も余裕がない。
「仕方ないわね。」
綾香はそう言うなり僕の腰に腕を回してきた。
そして、レヴィの腰にも腕をまきつける。
「なにするんだ!」
「うるさいから黙ってて。」
そんなやり取りをして、綾香は崖の方に僕らを巻き込んで飛んだ。
「死ぬよぉおぉぉぉ!」
下の着地点までおよそ高さ100m。
人間が死ねる高さ。
それに対して僕はなんの捻りもなくそう叫ぶしかなかった。
「ゆきと!急いで私の身体にくっついて。」
空を飛びながら僕の厳しい彼女はそういった。
スカイダイビングの経験があってよかったと思った。
綾香にひっぱられて参加したあの恐怖体験は今でも忘れてない。
だから綾香の方へ近づくことはできる。
だけど、経験があるからといって道具もなしに落下して生き残れるわけではない。
「綾香!」
「大丈夫!」
綾香はフリーになった右手にナイフをかまえた。
そして、それを壁に投げつける。そのナイフは見事に壁に突き刺さった。
消費系ナイフ。
スネークバイトと呼ばれるそのナイフには返しがついていて一度刺さったらほとんど抜けない。
その柄は輪状になっていてそこに結ばれた紐は綾香の右腕にからみついている。
落下と壁から離れる方向へのエネルギーは紐の干渉を受け、壁の方向へ引き寄せるエネルギーに変わる。
そのエネルギーは人4人分の力を余すこと無く綾香の右腕に伝える。
腕は伸びきり綾香の顔は苦痛に歪むが悲鳴だけはそのプライドが許さない。
だが、壁へ引き寄せるエネルギーは再び僕らに牙をむく。
全身を壁に打ちつけられた僕らはなんとか残っているHPに感謝した。
だが、戦いは終わってない。
相手は竜は竜でも翼竜。
距離を離そうとも飛んで追ってくることだろう。
だから僕は息をつくまもなく逃げ出そうとした。
だが、それは必要なかった。
空から声が響く。
「そんなに死にたいか!人間は!」
「それならば死ぬがいい人間どもよ!」
「神々の黄昏が来ようとも我ら竜族には関係なきことよ!」