ご。
「───の、つもりだったのだが」
「……ぅ?」
本当に、まばたきの一瞬。私以外の全てが変質していた。
「ッの野郎。しょっぱな女狙いたーどういうこった」
「弱い者から先に消す、などというのはあまりにもベタな戦法だと思うがね」
イラついた声は真正面の魔法使いから。皮肉の混じりの微笑は背後から。
げ。
ヤバい。私今死にかけたっぽい。
ひたりと首筋に当てられた鋼の冷たさに怖気が走り、それをぴたりと受け止め、微動だにさせない新田くんの手の平に心底からの安堵を覚える。
「しかしよく我の動きについてこれたモノだ。……貴様、本当に魔術師であるか? 我の識る限りでは、我の力に抗えるような存在は学会、協会、同盟、結社、総合したとしても僅かなハズだが」
「情報不足なだけじゃねえのか。その満々の自信と世界の広さが比例してないってだけだな。……知識の蔵とか言われてたホムンクルスってのも、存外不完全なもんだ」
「言ったな貴様ァ!」
「おう、言ったぜ出来損ない」
頭上での諍いに、身動き一つ取れないでいる。そんな余裕はこれっぽっちも残されていない。ほんの数瞬で精神が微塵切りにされたよう。
さっきまでの平穏な空気が、きちりきちりと音をたてて歪みを孕みだす。吸えばきっと肺をもっていかれる。そんな妄想に恐怖してしまえる程度には、異常な空間が形成されていた。
「安い挑発───だが万死に値するには充分!」
「ひっ!」
鉄と鉄がぶつかり合うような硬質な音が再度耳元で弾け、次の瞬間には重力の檻から解放された。気配の消失を確認するまでもなく視界に魔術師と魔法使いが映りこむ。
男二人は公園の中心を戦場と決めたのか、それぞれ仁王立っている。
私のよく知る学校指定の制服に身を包んだ少年は、まるで普段と変わりがないといった風情で片手を腰に当てている。それは、私でも分かるくらいに相手を低位と見据えた挑発だった。
対する黒衣の男はいつの間にか手にしていた剣二振りを地面へと突き刺し、分厚い本を手にしている。
「魔術書、ね。……オッサン、あんた本気か?」
「ふん、ここまでやって相手の力量を見抜けぬほど甘い調整を受けてはいないのでな」
「あー、そ」
新田くんの返答は実に簡素で、投げやりに聞こえるのに。しかし、最初の瞬間から口元に浮かんだまま笑みは深まりを増すばかりだ。
『楽しい』と言わんばかりのそれに、私はいつしか見とれていた。……なんだろう。なにを言われたワケでもないのに、彼を見ているとなにもかもが晴れていくみたい。恐さも、驚きも。まるで、満開の桜に目を奪われた時と同じような───
「それじゃ俺も、───少し力んでみようか、ね!」
「こい小僧! 我が秘奥を見せつけてくれるわ!」
新田くんがゆっくりと拳を突き出し、『魔法』を発動させた。照りつける太陽の陽射しよりも強い輝きを放つ光の粒が渦を巻き、その右手に集束していく。
それに負けじと魔術師が勢いよく本を頭上に放り投げた。
「来たれ」
およそ十メートルは離れているのに、彼の声は私の鼓膜ごと空気を揺るがす。思わず身を縮めてしまった。けど、私の視線は新たな超常に奪われたままだ。
天高く放り投げられた本が突如燃え出し、爆ぜた。燃えた欠片が魔術師の周囲に散らばり落ちる。
「そして描け!」
命令と共に動き出す、地面に刺した剣たち。魔術師を中心に据え、彼らの軌跡が炎の欠片を結び、繋ぐ。その複雑な紋様は、
「わあ……」
───魔法陣。
特撮映画やアニメの中でしかお目にかかれないハズの、科学技術の真逆たる現象に他ならない。
その奇跡に、私は死の恐怖すら完全に忘れて息を吐く。だってこんなの、夢みたいな美しさ、私は、知らない……!
「───へっ」
魔術師の熱が伝導するように。新田くんがついに笑い声を漏らした。魔法陣の輝きに呼応するように、彼の拳が輝きを増していく。
「久々に燃えてきた。……マジでつえーな、ホムンクルス」
「今更理解したのか小僧。だが全ては遅い。
開くぞ、『扉』が!」
魔術師の口元にも笑み。
二人はその熱に飲まれるように光に身を焦がしていく。
「出でよ威容! 現せ偉容! 形成されし汝、創成されし汝! 紡がれし名を“サラマンドラ”!!」
黒衣の男が両手の平を突き出し、叫ぶ。
同時に、男の目の前───中空に出現する炎で形成された扉。燃え盛る炎はまるで歓喜を歌うように気炎を上げ、その身を開く。
「火竜……召喚魔術ときた」
呟きと同時に一足で大きく跳び退る新田くん。魔術師との距離が一瞬にして十メートルは開いただろう。
新田くんの声に反応するように、扉を潜って異形が───異様が姿を現す。
「うそ、これ、現、実……?」
思わず呟く。
さっきから続く夢中じみた浮遊感。それを押さえつけるように、生じた熱気が私の意識を燃やし尽くす。
「ドラ……ゴン?」
ドラゴン。
竜。
龍!
信じられない。
いくら、いくらさっきから魔法だ魔術だって言われてたからって、見せつけられてたからって、こんな、こんなの───スゴすぎるっ!
もはや私は呼吸すらままならないほど興奮して、目の前のファンタジーに見惚れる。スゴい、スゴいスゴいスゴい───!!
「嘘偽り一切無い、我が最大にして最高の魔術だ小僧。……貴様にはこれだけの術を駆使したとしても惜しくはない!」
「ハ───随分買われたモンだ。けどな、魔術師」
扉から産まれ落ちる巨大な火竜。溶岩の塊じみて紅く燃え盛るその巨躯は、かなり開いたはずの空間を押し潰す。尻尾や首の長さを合わせた全長は、だだっ広いこの公園の半分を占めかねない。
え、ちょ、これって、こんなのって、どうやって勝てってのよ!?
「終わりだ、小僧!」
魔術師は地面を蹴ると火竜の背中に飛び乗り、勢いよく腕を振った。まるでそれは、死刑執行の合図のように。
命令を下されると同時、火竜は長い首を大きく動かし、その身に溜めた熱を腹から口へと流し込む。口元から灼熱を漏らしながら、獲物を探すように血走った大きな目玉をギョロギョロと動かす。
が、
「産まれたばっかで悪いな」
その瞳が敵を見つけることは、金輪際無かった。
魔術師と同様。
けれど、段違いの速度で跳躍、接近した新田くんの拳が振りかぶられ、
「残念ながら俺がおまえに負ける場面なんざ───『想像』つかん」
太陽の如く光輝く一撃が、火竜の頭部を消し飛ばした。
「バカな」
「うっそ」
多分、この瞬間だけは、あのオッサンと私の思考は一緒だったんじゃないだろーか。
「ほーら、な?」
死んだことによって術でも解けたのか、雪解けのようにゆっくりと消滅していく龍の屍骸。その横で、
「俺の勝ちっ!」
無邪気な笑顔でVサインを向けてくる男の子がいた。
……いやァ、チートじゃないのか、あんなの。