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明賢の物語(日本建国物語)正式版  作者: 大和草


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98/128

98話 生

第1子誕生


1612年。

それは、葛城明賢が成人し、まつを正妻として迎えてから、四年の歳月が流れた年であった。


激動の中で結ばれた二人の時間は、決して穏やかなものではなかった。

各地を転々とし、会議と視察、政と軍の間を行き来しながら、それでも二人は、ようやく「戻れる場所」と呼べる屋敷を東京に得ていた。


国の制度は骨格を持ち、軍は訓練と経験を重ね、人々の暮らしは、ゆっくりとだが確実に安定へ向かっていた。


そして、その静かな変化の中で、まつの腹は、確かに大きく膨らんでいた。


その日、空は低く垂れ込め、昼であるにもかかわらず、薄暗い雲が屋敷を覆っていた。

細かな雨が、音を立てぬほど静かに降り続き、庭の砂をしっとりと濡らしている。


「明賢様」


かすれた声が、部屋の奥から聞こえた。

まつの声は震え、その指は、力を求めるように強く握られていた。


「大丈夫だ、まつ。ここにいる。離れない」


明賢はそう言って、一度では足りぬかのように、何度も同じ言葉を繰り返した。

そのたびに、彼は彼女の手を強く、確かに握り返す。


これまで幾度も、戦場で命のやり取りを見てきた。

政争の場で、国の行く末を賭けた決断を下してきた。


だが、この瞬間ばかりは、葛城明賢は、国の指導者でも、改革者でもなかった。

ただ、愛する女のそばに立つ、一人の男でしかなかった。


助産師の落ち着いた、しかし緊張を孕んだ声が部屋を満たす。

「息を合わせて、はい、今です」

布が動き、水が運ばれ、指示が矢継ぎ早に飛ぶ。


部屋の外では、家臣や側近たちが言葉を失い、息を潜めて待っていた。

誰もが耳を澄ませ、雨音と、室内から漏れるかすかな声に神経を集中させている。


時間がどれほど流れたのか、誰にも分からなかった。

一刻にも満たぬようであり、永遠にも思えるほど長い時間だった。


やがて、雨音を切り裂くように、確かで、力強い産声が響いた。


一瞬、世界が止まったかのように静まり返り、次の瞬間、助産師の声がはっきりと告げる。


「生まれましたよ!」


その言葉に、明賢は思わず息を呑んだ。


「男の子です。とても元気な、立派なお子です」


まつの頬を、静かに涙が伝っていく。

だが、その表情には苦悶はなく、深い安堵と、穏やかな光が宿っていた。


「明賢様、この子」


言葉は途切れがちで、それでも確かに、喜びに満ちていた。


明賢は、差し出された小さな命を、恐れるように、そして大切に抱き上げる。


その体は温かく、小さな胸がかすかに上下している。

指先ほどの重みしかないはずなのに、その存在は、これまで築いてきた

いかなる制度や軍勢よりも、はるかに重く感じられた。


航大こうだい


誰に告げるでもなく、その名は自然と彼の口をついて出た。


「航るように生きよ。広い世界へ、大きく進め」


それは願いであり、祈りであり、父としての最初の言葉だった。


まつは、弱々しくも確かにうなずく。


「はい、この子が、どこへ行っても、帰る場所を失わぬように」


その言葉に、明賢は何も答えなかった。

ただ、腕の中の命を、より強く抱きしめた。


その日、葛城明賢とまつの間に、第一子・航大が誕生した。


それは、国を継ぐためだけの存在としてではなく、偉業の象徴としてでもなく、

ただ、一人の父と一人の母が、心から守りたいと願った命の誕生だった。


そして、この小さな産声は、まだ誰も気づかぬまま、時代そのものを、次の航路へと静かに導き始めていた。


 航大は、すくすくと成長した。


歩き始めるよりも先に、物を壊した。

壊すためではない。

「どうして動くのか」を知りたかった。


歯車、滑車、留め金、時計の針。

手に取れるものはすべて分解され、床に並べられた。

母のまつは最初こそ慌てたが、明賢はそれを止めなかった。


「壊したのではない。調べているのだ」


そう言って、航大の隣に座り、部品を一つずつ指さして説明した。


なぜ回るのか。

なぜ止まるのか。

なぜ力が伝わるのか。


航大は黙って聞き、次の瞬間には別の問いを投げてきた。


物心がつく頃には、彼の視線は常に「仕組み」の奥に向いていた。


扉が開くのはなぜか。

水はなぜ高いところから低いところへ流れるのか。火はなぜ熱を生むのか。


明賢は、知っている限りの知識を与えた。

数式も、図も、時には簡単な実験も交えながら。


航大はそれを、遊びのように吸収していった。


四歳になる頃には、簡単な加減乗除を理解し、木片や金具を組み合わせ、動く玩具を自分で作るようになっていた。


「父上、こうすると回りすぎる」


「なら、抵抗を増やせばいい」


「これくらい?」


「もう私より勘がいいな」


明賢は苦笑しながらも、胸の奥で確信していた。


この子は、私の背を追う者ではない。

私の先へ行く者だ。


人々は後に、航大を天才と呼ぶことになる。

だがその頃の彼は、ただひたすらに、「知りたい」という欲求に忠実な、ひとりの子供だった。


そしてその小さな手は、やがて国の仕組みそのものに触れることになる。

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