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明賢の物語(日本建国物語)正式版  作者: 大和草


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70話 第1報

公安の影、正義の眼 ― 内部摘発第一号事件


噂と報告


ある日の午後。

警視庁の表通りから外れた裏手にある、目立たぬ場所に置かれた小さな交番で、一人の下級巡査が周囲を窺いながら静かに立ち上がった。


彼は誰にも告げず、誰にも見せず、懐から一通の封筒を取り出す。

白く、簡素で、差出人の名はない。


その封筒は、街角の郵便口へとためらいを含んだ指先で投函された。


宛先は、「公安局・第二局 警務監察部」。


封筒の中には、短く、だが重い言葉が書かれていた。


「上層の会計に不正がある。町民への暴力が、正義の名で隠されている。」


封書は通常の流通には乗らない。

暗号局を経由し、自動照合の網にかけられ、既存の内部データと突き合わされた。


そして翌朝、公安の司令部に重大優先の印が静かに点灯した。


公安は即座に動いた。警察内部の連絡網には一切触れず、外部への通知も行わない。


警視庁は、ただ一つの符号で登録される。「監査対象甲」。


それだけで十分だった。


静かな包囲網


公安局第二局。警務監察部主任監察官、有村景真ありむら・けいしん


感情を表に出さず、淡々と事実を積み上げることで知られる男である。


彼は五人の調査官を選抜し、簡潔な指示だけを与えた。

声を荒らげることも、過度な説明もない。


調査官たちは、表向きには「庶務調査員」という肩書で警視庁に出入りする。


彼らは職員の一人として廊下を歩き、帳簿室に入り、書類棚を開き、領収書、物資搬入記録、金庫の出納表を丹念に確認していった。


同時に、情報局との協力によって、警察官たちの通信ログ、通話記録、夜間の交信履歴が解析される。


そこから浮かび上がったのは、不自然な金の流れ、夜ごとに開かれる非公式な酒宴、一部上官だけに集中する不正な恩給の痕跡だった。


さらに調査班は市中へと溶け込み、国民たちの声を拾い集める。


「武士の真似事みたいな奴らがいる」

「少しでも口答えをすれば殴られる」

「辻斬りだと言って、刀を抜いて脅された」


それらの証言は、個別には小さくとも、積み重なることで一つの像を形作っていく。


報告書には、封建の影が、まだ国家機構の奥底に残存している事実が冷静な筆致で記されていた。


夜の査察


三週間後。

すべての資料、すべての記録、すべての証言が公安局本部に揃った。


その夜、有村は短く命じた。


「全班、零時をもって査察を開始する。彼らの正義が、どのような形をしているか、見せてもらおう。」


零時ちょうど。

警視庁の照明が落ちる。


非常回線は、情報局の協力班によって静かに制御されていた。


その瞬間を逃さず、公安監察班が庁舎内に入る。


帳簿室、金庫、指令室。


複数の班が同時に動き、要所を一斉に押さえた。


突然の事態に、幹部たちは声を荒げ、抗議の言葉を並べた。


だが有村は、一切感情を交えず、淡々と告げる。


「あなた方は、法を守る者ではない。法の影に隠れた者だ。」


机の引き出しから、私的に管理された金券帳簿が見つかる。

偽装された領収書が積み重なり、被害を受けた町民の名前が克明に記された記録簿が静かに発見された。


それらは声を上げない。

だが、確かにそこに存在していた。


 正義の名の下に


翌朝。

夜明けの光がまだ街に届ききらぬ頃、関係者は一人残らず拘束され、公安本庁の地下にある尋問室へと移送された。


部屋は簡素だった。

机と椅子、壁、そして天井の照明。

装飾はなく、威圧もない。

だが沈黙そのものが、逃げ場を奪う。


尋問官は名を名乗らない。

表情を一切変えず、余計な言葉も挟まず、まるで刃物で木を削るように質問を一つずつ重ねていった。


「なぜ暴力を使った?」


短い問い。


しばしの沈黙の後、男は視線を落としたまま答える。


「武士家系の意地を見せたかった」


言葉は弱々しく、しかしどこかに未練が滲んでいた。


尋問官は続ける。


「それは正義か?」


沈黙が伸びる。

呼吸の音だけが部屋に残る。


やがて、かすれた声が漏れた。


「いや。誇りの残り火だった。」


その答えを、尋問官は否定しなかった。

肯定もしない。


ただ静かに頷き、書類にペンを走らせる。


そこに記されたのは、判決ではなく、国家の戒めだった。


感情による正義は、最も危険な不正である。


調査の結果は迅速だった。

三名の幹部は職権乱用および公金横領により懲戒免職。

八名の巡査は停職処分。


被害を受けた町民には、形式的ではない正式な謝罪と補償が行われた。

名前を記した書面が渡され、「国家としての過ち」が明確に言葉にされた。


均衡の証明


この事件は、新聞にも、瓦版にも載らなかった。


だが警察内部では、誰もがこの夜を忘れなかった。


彼らは密かに呼んだ。「東京零時査察」。


それ以降、公安の存在を軽んじる者はいなくなった。

同時に、公安自身もまた、見られていることを意識するようになる。


警察庁は会計制度を急速に電子化。

資金の流れは可視化され、個人の裁量が入り込む余地は狭められた。


さらに、市民への暴力を防ぐため、「市民対応課」が新設される。

力ではなく、言葉と制度で秩序を保つ部門だった。


一方、公安局にも変化が加えられる。

「越権抑止委員会」の設置。


公安が公安を監視するための機構。

正義が肥大すれば、それもまた暴力になるという自己否定を制度化したものだった。


調律


事件の詳細な報告書を読み終えた後、明賢は一通の書簡をしたためた。


そこに、怒りも称賛もなかった。

あったのは、国家を一つの構造物として見据える冷静な視線だけである。


「これは罰ではない。調律である。弦が錆びれば、全ての旋律が狂う。国家という楽器を奏でるために、我々は常に弦を張り直さねばならぬ。」


正義は固定された概念ではない。

張りすぎれば切れ、緩めば音を失う。


この事件は、公安が警察を正した証明であると同時に、国家が自らの正義を疑う力をまだ失っていないという、静かな証明でもあった。


正義の眼は、外だけでなく、常に内を見ていなければならない。

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