60話 第1次海軍整備計画
第1次海軍整備計画
海を国家の領域とするために
第1次陸軍整備計画によって、日本は国土における防衛体制を完成させた。
陸上における装備、組織、思想が整えられ、国家として「地を守る」構造が確立したのである。
その後、明賢が次に着手したのは、それまで長く空白として扱われてきた、海という領域の整理であった。
海は存在していた。
しかし、それを国家の意思のもとで
管理し、把握し、守るという発想は、制度として確立されていなかった。
それまでの日本には、近代的な意味での「海軍」は存在していなかった。
海戦に用いられた船といえば、もっぱら豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に用意された、輸送船や戦闘船が、ほぼ唯一の例である。
それらの船は、常設の軍事組織に属するものではなく、戦の都度かき集められた臨時戦力に過ぎなかった。
指揮体系も、補給計画も、継続的な訓練制度も存在せず、あくまで一時的な対応に留まっていた。
国家として海を管理するという思想、海上交通を守るという概念、そして海からの脅威に恒常的に備えるという発想は、長い間、制度化されることがなかったのである。
しかし、時代はすでに変わっていた。
日本のみが産業革命に成功し、工業力は飛躍的に向上していた。
造船技術、冶金技術、そして動力機関の発展は、これまでの船の在り方を根本から変えつつあった。
今や海は、越えられぬ境界でも、ただの自然障壁でもない。
人と物が行き交い、資源と情報が流れる空間として、管理すべき国家の領域へと変わり始めていた。
明賢は、国防省で行われた会議の場において、明確にこう述べている。
「日本のような海洋国家は、陸を守れても、海を失えば国は飢える。海を制せぬ国家に、独立はない。」
この言葉は、海を単なる周辺環境ではなく、国家存立の基盤と捉える認識を示していた。
この認識のもと、日本海軍の正式な設立が決定される。
そして、その初期構想として策定されたのが、第1次海軍整備計画であった。
初期造船方針
第1次海軍整備計画は、最初から巨大な艦隊を求めるものではなかった。
明賢が重視したのは、数や規模ではなく、実際に運用できる戦力を確実に持つことである。
彼が掲げた基本思想は、「使える艦を、使える数だけ、確実に運用する」という一点に集約されていた。
そのため、初期に生産される艦種は、意図的に限定されることとなった。
・重巡洋艦
海上における主戦力として位置付けられ、艦隊の指揮と火力の中核を担う艦。
・軽巡洋艦
偵察任務や護衛、さらには指揮補助を行うための機動艦。
・駆逐艦
高速で行動し、護衛、警戒、敵小型艦への対処を担当する艦。
・揚陸艦
陸上戦力や物資を、港湾に依存せず直接海岸へ投射するための艦。
・補給艦
艦隊の行動半径を支え、継続的な作戦行動を可能とする、後方支援艦。
この段階では、戦艦や空母などの巨大艦の建造は、あえて計画から外された。
必要とされたのは、圧倒的な威容ではなく、艦隊として機能する構造そのものだったからである。
第1次海軍整備計画は、海に力を誇示するための計画ではない。
海を国家の領域として成立させるための、最初の骨格を形作る計画であった。
海兵隊と海軍の関係
第1次海軍整備計画においては、海兵隊が使用する揚陸艦を、明確に海軍の管轄下へ置くことが定められた。
これは単なる組織上の都合ではなく、揚陸という行為そのものをどの領域の作戦として捉えるか、という根本的な判断であった。
揚陸作戦は、従来であれば「陸の戦いの延長」として扱われがちであった。
しかし明賢は、これを陸の付属行動とは見なさなかった。
揚陸は、海から始まり、海の制御の上に成り立つ作戦である。
そのため、第1次海軍整備計画では、揚陸作戦を海軍作戦の一部として統合的に運用する方針が採られたのである。
揚陸艦の建造は海軍が担当する。
その設計思想、船体構造、航行性能や防御力は、すべて海軍の基準に基づいて定められた。
同様に、揚陸艦の整備と保守、航行計画と運用管理も、すべて海軍の責任範囲とされた。
一方で、海兵隊は揚陸艦に搭載される兵力として、専門化される立場を与えられた。
彼らは外洋船を所有せず、しかし船を前提として訓練される部隊となる。
この役割分担により、輸送、火力支援、上陸行動は分断されることなく一体化され、単一の作戦として実行可能となった。
揚陸艦はただの輸送手段ではなく、作戦空間そのものとなり、海軍と海兵隊は、その内部で機能的に結びつく存在となったのである。
明賢は、この両者の関係性を、簡潔な言葉で次のように定義している。
「海兵は海から来る。ゆえに、海を治める者の下にあれ。」
この言葉は、上下関係を誇示するものではない。
作戦の起点がどこにあるかを明確に示した定義であった。
第1次海軍整備計画は、日本にとって、初めて海を国家戦略の中核に組み込んだ瞬間であった。
それは、単に海戦を行うための組織を作る計画ではない。
海という空間を、国家の意思で管理し、維持し、活用するための枠組みであった。
この海軍は、通商路を守るために存在し、補給線を維持するために行動し、国家の生命線を海上に確保することを最も重要な任務としていた。
戦うためだけにある軍ではなく、国家が生き続けるために海を支配する軍であった。
こうして日本海軍は、陸軍と並ぶ第二の柱として、静かに、しかし確実に立ち上がった。
そしてその存在は、国家の視線を陸という一点から解き放ち、海へと、より広い領域へと向けていくことになる。




