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明賢の物語(日本建国物語)正式版  作者: 大和草
第四章 世界との関わり

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227話 ポルトガルの決断

リスボンの朝靄は、ただの霧ではなかった。

それはまるで、未知の時代が押し寄せてくる前触れのように、街全体を静かに覆っていた。


使節団を乗せた小舟がテージョ川の岸に着くと、濡れた木板を踏む音が小さく響く。

彼らは長い航海の疲労を隠しきれぬまま、それでも足を止めることなく急いだ。


胸に抱えているのは、鹿児島で受け取った報告書。

そして、小さな定規と分銅。


それは軽いはずの物だった。

だが彼らにとっては、異様なほど重く感じられた。


それは物ではなく、理解しきれない何か、新しい世界の一部だったからだ。


王宮の重臣会議室。


すでに空気は張り詰めていた。


護国卿、植民地総督、宣教師団の長。

それぞれが椅子に深く腰を下ろし、使節の到着を待ち構えている。


扉が開く。


使節は深く一礼し、そのまま簡潔に報告を始めた。


その内容は重い。


帆のない艦。

風に頼らぬ航行。

長距離で正確に命中する砲。


そして、閉ざされた外交。


「宗教的布教の拒否。」

「交易の門戸の封鎖。」


その二つの報告が落ちた瞬間、会議室の空気が明確に変わった。


宣教師団の長の顔色が変わる。


「受け入れない、と?」


その声には、信じたくないという響きがあった。


使節は静かに頷く。


「はい。明確に拒否されました。」


「彼らは、我々の信仰を必要としていません。」


さらに続ける。


「彼らは理を信じる国です。」


その言葉は、宣教師たちにとって決定的だった。


彼らは沈黙した。


それは敗北ではない。

だが、道が閉ざされたことを悟った沈黙だった。


護国卿が口を開く。


その声は短く、冷静だった。


「まずは現実を認めよ。」


誰も反論しない。


「宣教師の派遣は、当面不可能だ。」


言い切る。


「彼らは宗教ではなく、理を信じている。」

「我らの布教は、受け入れられない。」


さらに一歩踏み込む。


「貿易も同様だ。」


「門は閉ざされている。」


その言葉は、商人たちにとって刃のようだった。


商船長出身の老臣が、椅子を強く握る。


「しかし、我らは交易で生きている。」


声に、わずかな怒りが滲む。


「東洋の香辛料と銀、それが我が国の血だ。」


「門が閉ざされるなど、看過できぬ。」


彼にとってそれは、経済ではなく生存の問題だった。


護国卿は、ゆっくりと首を振る。


「気持ちは理解する。」


だが、その声は変わらない。


「しかし、優先すべきは安全と国益だ。」


静かに続ける。


「日本と直接対峙しているのは、スペインだ。」


その一言で、全員が理解する。


これは単なる貿易の問題ではない。


大国同士の衝突の前兆だ。


「我らが単独で動けば」


「ポルトガル領の海外植民地が危うくなる。」


その言葉は、現実だった。


ポルトガルの力は広がっている。

だが、同時に脆くもある。


広げた分だけ、守る場所が増えているのだ。


結論は、迅速に出された。


迷っている時間はなかった。


「まずは情報を集める。」

「次に行動する。」


その順序は、絶対だった。


そしてポルトガル王室は決断する。


スペインへ使者を送ることを。


単独ではなく、連携するために。


数日後。


マドリードからの使節が到着する。


その足取りは重く、表情は険しい。


会議室に通された彼は、形式的な挨拶を終えると、すぐに本題に入った。


「スペインはすでに結論を出した。」


その一言で、空気が張り詰める。


「日本は脅威である。」


さらに続ける。


「そして現在、大規模な軍事準備を進めている。」


誰も言葉を発さない。


ただ、その意味を理解する。


戦はまだ始まっていない。


だが、準備は、すでに始まっている。


使節は最後に言った。


「マドリードからの伝達だ。」


視線を全員に向ける。


「ポルトガルも連携して備えよ。」


短い言葉だった。


だが、それは命令に等しかった。


会議室に沈黙が落ちる。


誰もが理解していた。


これは選択ではない。


時代の流れだ。


世界が動いている。


そしてポルトガルもまた、その中に組み込まれていく。


その日、リスボンの港では何事もなかったかのように船が出入りしていた。


商人たちは値段を交渉し、船員たちは帆を整え、市場では香辛料の香りが漂う。


だが、その裏で、別の準備が始まっていた。


航路の再確認。

船団の編成。

そして、見えない敵への備え。


ポルトガルは理解していた。


この戦いは、ただの戦ではない。


「理」と「信仰」

「閉鎖」と「交易」

「新しき力」と「旧き秩序」


そのすべてがぶつかる。


大きな流れの中で、彼らは静かに、しかし確実に舵を切り始めていた。


ポルトガル側の反応は、単純な賛同でも反発でもなかった。

それは複雑に絡み合った現実の中で揺れる、国家としての迷いそのものだった。


祖国の安全。

そしてスペインとの同盟関係。


そのどちらも、決して軽んじることはできない。

だが同時に、ポルトガルという国の力は無限ではない。


広大な海に広がる植民地網。

それを支えているのは、限られた艦と人員、そして絶え間ない交易だった。


もし海峡の向こうで大戦が起きれば、その影響は確実に波となって押し寄せる。


植民地は孤立し、航路は遮られ、商業は停滞する。


それはゆっくりとした死に等しい。


王は長い沈黙の末、ようやく口を開いた。


その声には迷いがあった。

だが同時に、覚悟もあった。


「宣教と商業の拡大は望ましい。」


その言葉に、わずかに希望がよぎる。


しかし次の一言が、それを断ち切る。


「だが、今は時機に非ず。」


会議室に重い沈黙が落ちた。


王は続ける。


「スペインの方針に沿え。」


短く、明確に。


「防備体制を整えよ。」


さらに言葉を重ねる。


「海軍を増強し、植民地の守備を固める。」

「そして、秘密裏に情報網を張れ。」


その声は低く、しかし揺るがない。


「だが全面的な参戦は、最後の手段とする。」


ここで、初めてわずかな余地が残された。


「なるべくしてならぬ事態に備えよ。」


それは命令であり、同時に祈りでもあった。


命令は、即座に文書化される。


筆が走り、印が押され、封がされる。


そして次々と各地へと送られていく。


・植民地防備のための増派命令

・造船所への軍艦優先稼働指示

・商船の徴用準備

・宣教師団への撤収準備および布教凍結命令

・情報局の拡張と密偵網の再編成

・スペインとの情報共有ルートの確立


それらはすべて、表には出ない動きだった。


だが確実に、国の形を変えていく命令だった。


リスボンの街は、表面上は変わらない。


市場には香辛料の匂いが漂い、商人たちは価格を巡って声を上げ、船乗りたちは帆の点検に追われている。


だが、その裏では、変化が始まっていた。


港では軍旗を掲げた艦が並び、修繕の槌音が昼夜を問わず響く。


本来なら商船として使われるはずの船に、砲が据え付けられ、甲板が補強されていく。


それは商いの船ではなく、戦に備える船へと変わりつつあった。


宣教師たちもまた、動いていた。


彼らは怒りを隠さなかった。


「布教を止めるだと?」

「神の言葉を引くことなど、許されるのか。」


だが命令は絶対だった。


彼らは書簡をしたためる。


各地の教会へ。

遠く離れた信徒たちへ。


撤収の準備。

活動の停止。

そして、次なる指示を待つこと。


それは敗北ではない。

だが、退却であることは間違いなかった。


その夜、王宮の書斎。


静かな灯りの下で、護国卿は一人、窓の外を見ていた。


月が、静かに浮かんでいる。


彼は小さく呟く。


「我らの商いも、信仰も」


「今は、退く術を学ばねばならぬ。」


その声には苦みがあった。


誇りある海洋国家にとって、退くという選択は容易ではない。


だが彼は続ける。


「だが、目は離さぬ。」


その瞳は鋭かった。


「時機が来れば、必ず取り戻す。」


それは決意だった。


静かな、しかし確かな決意。


こうしてポルトガルは動き出す。


スペインとの同盟という重みを背負いながら、完全な戦争でも、完全な平和でもない道へと進む。


軍の準備は進む。

だが同時に、戦を避けるための余地も残される。


しかし、内部では別の火種が生まれていた。


穏健派は言う。


「戦うべきではない。情報で優位を取れ。」


強硬派は反論する。


「遅れれば終わる。先に手を打つべきだ。」


その対立は、まだ表には出ない。


だが確実に、深まっていく。


世界は、静かに熱を帯びていた。


すぐには爆発しない。


だが確実に、温度は上がっている。


リスボンの石畳の上を吹く風さえ、どこか重く感じられた。


それは、まだ見ぬ嵐の、前触れだった。

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