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明賢の物語(日本建国物語)正式版  作者: 大和草
第四章 世界との関わり

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214/221

214話 オランダとの対話

日本の外交は、砲火よりも冷静で、そして冷徹だった。

その場に流れる空気は、熱ではなく温度のない理性によって支配されているかのようであり、誰一人として無駄な言葉を発することなく、しかし確実に相手の内側へと踏み込んでいく緊張感が漂っていた。


― オランダ代表との対話 ―


英国代表の返答が終わると、会議室の空気が少しだけ和らいだ。

それは安堵ではなく、次の問いに備えるためのわずかな間であり、各国代表は互いの反応を静かに観察していた。


次に立ち上がったのは、オランダ東インド会社を代表するヘンドリク・ファン・デル・ホーフ。

理知的で整った顔立ちの男で、その瞳には軍事的な威圧に対する恐怖ではなく、純粋な知的探究心が宿っている。

彼の手元に置かれた帳簿には、既に細かな筆致でびっしりと記録が書き込まれており、昨日の艦の構造や本日の発言が整理されていることが一目で分かった。


彼は軍事力そのものよりも、その背後にある論理、体系、そして再現可能な秩序に価値を見出す人物だった。

測量、航海術、商業計算、そうした分野において、彼のような人物こそが国家を支えているのである。


彼は一歩前に出ると、ゆっくりと口を開いた。


ヘンドリク代表:

「昨日、貴国の艦を見学し、その規律と精密さに、我々一同、心から感服いたしました。

あの艦における動きの一つひとつ、整備の行き届いた様子、そして全体としての統制、どれを取っても極めて高い水準にあると感じております。


そして本日のお話の中で、我々が最も驚きをもって受け止めたのは単位の統一であります。


我が国でも港ごと、都市ごとに寸法や重さの基準が異なり、交易のたびに換算表を作成し、それを元に計算を行わねばならぬのが常であります。

そのため誤差や混乱が生じることも少なくなく、商業の効率を妨げる要因ともなっております。


もし貴国の単位系が世界共通のものとなれば、それは単なる利便性の向上にとどまらず、商業、学問、航海、あらゆる分野において計り知れぬ利益をもたらすことでしょう。


つかぬことを伺いますが、その『メートル』とは、いかにして定められたものなのでしょうか?」


日本代表:

「よくぞお尋ねくださいました。我々の定めたメートルという単位は、人の身体や任意の物体に基づくものではなく地球そのものを基準としております。

すなわち、地球一周の長さを基準とし、それを約四千万等分した長さを一メートルと定義いたしました。

さらにその千倍を一キロメートルと定め、距離の体系を統一しております。

このように、自然界そのものを基準とすることで、人や地域に依存しない、普遍的で再現可能な尺度を実現したのです。」


(ヘンドリクは通訳の言葉を聞いた瞬間、わずかに眉を上げた。それは驚きであると同時に、理解しようとする思考の動きでもあった。室内にいた他の外交官たちも同様にざわめきを見せる。「地球を測る」という発想は、彼らにとって常識の外側にある概念であり、それは単なる技術ではなく、世界そのものの捉え方を変える思想であった。)


日本代表:

「人によって変わらず、土地によっても変わらない長さ。誰がどこで測っても同じ値になる尺度。この普遍性こそが、人と人、国と国をつなぐ礎になると我々は信じております。測るという行為が一致すれば、理解もまた一致に近づく。その積み重ねが、より確かな協力関係を生むのです。」


(その言葉を受け、オランダ代表はゆっくりと、しかし深く頷いた。彼らの持つ合理主義、実証主義の精神は、この思想に強く共鳴していた。測ること、記録すること、再現すること、それこそが彼らの世界観の中心にある価値だったからである。)


ヘンドリク代表:

「実に見事な発想であります。我々オランダもまた、海図と測量において精度を追い求めてまいりました。しかしながら、各地で異なる基準を用いる限り、その精度には限界がございます。もし貴国の計測法を学び、それを我々の航海に取り入れることができれば世界の海図そのものが一変することでしょう。

そこで、ひとつお願いがございます。

日本の技師を我が国へ派遣し、海図の計測を共に行っていただくことは可能でしょうか。我々はその知識を共有し、より正確な海の地図を共に作り上げたいと考えております。」


日本代表:

「それは我が国にとっても、極めて意義深いご提案であります。測量と記録の精度が向上すれば、航海の安全性もまた高まります。

ではまず、近海の測量から共同で開始いたしましょう。

段階的に範囲を広げ、精度を確認しながら進めていくのが望ましいと考えます。

後日、我が国より計測員および観測官を派遣いたします。

彼らは測量技術のみならず、記録法や補正計算についても共有するでしょう。

精密な海図の作成は、貴国と我が国の双方に利益をもたらすだけでなく、将来的には他国との航海にも恩恵を与えるものとなるはずです。」


(ヘンドリクはその言葉を聞き、穏やかな微笑みを浮かべながら深く一礼した。その仕草には、外交的な形式以上の敬意が込められていた。

しかし、彼の表情にはなお消えない光があった。それは満足ではなく、さらに理解を深めようとする知的な欲求そして次の問いを投げかけようとする静かな好奇心であった。)


ヘンドリク代表:

「では、航海の際に貴国の船乗りが使用していた測定器について、もう少し詳しくお伺いしたい。我々が日常的に用いている推測航法、すなわち航走距離と磁気コンパスによって針路を定め、そこから現在位置を推定する方法に比べ、貴国の航海士たちが用いていた器具は、明らかに小型でありながら、はるかに高い精度で測定しているように見受けられました。


その動作は非常に滑らかで、観測に要する時間も短く、しかも複数回の観測においてほとんど誤差が見られなかった。


あれは一体、どのような仕組みによってそのような精度を実現しているのでしょうか。

我々の知る限りの観測器具とは、明らかに一線を画しているように思われますが?」


日本代表:

「六分儀と呼ばれる器具でございます。この器具は、光の反射を利用して視野内に対象を重ね合わせることで、従来の観測器よりもはるかに細かく、そして安定して角度を測定することを可能にしております。

これにより、従来の測角器具では避けられなかった微細なズレや観測者の癖を大きく軽減し、天測航法における誤差を大幅に減少させることができるのです。

航海者にとって、空を読むという行為は単なる技術ではなく、命を守る術そのもの。

星の位置を正しく知ることが、そのまま帰還への道を示すことになります。

この六分儀は、その読む力を補助し、より確かなものにするための道具であり、航海の安全性を大きく高める役割を担っているのです。」


(オランダ代表団の中には、実際に航海経験を持つ者や測量を専門とする者も多く含まれており、この説明に対して小さくも明確などよめきが広がった。

彼らは互いに顔を見合わせながら、日本が単に器具を改良したのではなく、観測そのものの精度を体系として高めていることに気づき、その差の大きさに驚きを隠せなかった。)


ヘンドリク代表:

「なるほど非常に理にかなっております。光の反射を利用して視認精度を高めるとは、実に興味深い。

それにしても、昨日拝見した艦の大砲の照準ですが、あまりにも正確であり、あまりにも速やかに目標へと収束していた。

我々の感覚では、あのような精度を人の目と経験だけで達成するのは難しい。

むしろ、目で確認するよりも先に、何か別の要素が狙いを決定しているようにすら感じられました。

いったい、どのような方法であの精度を実現しているのでしょうか。」


日本代表:

「その件につきましては、誠に申し訳ありませんが、軍事機密に属しますため、詳細をお答えすることはできません。」


(その返答は簡潔であったが、決して冷たいものではなかった。声は穏やかで、表情にも柔らかな微笑が浮かんでいる。

しかし、その奥には一切踏み越えることのできない境界が明確に存在していた。質問が核心に近づいた瞬間、まるで霧が立ちこめるかのように情報が遮断されるそれこそが、日本の用いる「沈黙による防御」であった。)


ヘンドリク代表:

「では、その航法についてもう一点。あの正確な座標の導出は、星の観測だけでは説明がつかぬように思われました。


観測値の積み重ねにしては、あまりにも誤差が少なく、しかも航路全体を通して一貫した精度が保たれていた。


何か、他の方法補助的な理論、あるいは計算手法が用いられているのではないでしょうか?」


日本代表:

「その点につきましては、特別な技術というよりも工夫の積み重ねでございます。我々は、三角測量の原理を応用し、複数の観測点から位置を割り出しております。これにより、一点の観測に依存するのではなく、幾何的な関係から位置を確定することが可能となるのです。


ただし、その具体的な運用方法や計算手順につきましては、軍の研究領域にも関わる内容となりますため、詳細は差し控えさせていただきます。」


(「三角測量」という言葉が発せられた瞬間、オランダ側の地理学者や測量士たちの間に明らかな反応が走った。

彼らにとってその概念自体は未知ではなかったが、それを実際の航海に応用し、さらに実測精度として成立させている例はまだ存在していなかった。

理論と実用の間にある隔たり、日本はすでにその橋を渡りきっているのだという認識が、静かに広がっていった。)


ヘンドリク代表:

「最後にもう一つ、差し支えなければ。貴国で使用されている観測機器、あるいはそれらに関する学問的な書物について、我々が拝見する機会をいただくことは可能でしょうか。

器具そのものが難しい場合でも、理論書や解説書でも構いません。

我々としては、その知識に触れ、理解を深めたいと考えております。」


日本代表:

「観測機器そのものをお渡しすることは、現時点では難しい状況にございます。

しかしながら、基礎的な計測に用いる定規や、体積を正確に測定するための計量器具など、基盤となる器具につきましては提供が可能でございます。

また、書物に関しましては、我が国の最高顧問である明賢がその内容を精査し、公開に差し支えないと判断されたものについては複写を作成し、後日お渡しいたします。

その際には、内容の正確性を保つための注釈や補足も併せて付す予定でございます。」


(その語り口は終始穏やかであったが、そこには一貫した方針がはっきりと存在していた。すなわち、基礎は共有するが、核心は渡さない。知識は開くが、技術の中枢は閉ざす、その線引きは、極めて明確で揺るぎないものであった。)


ヘンドリク代表:

「なるほど。つまり、学ぶことは許されるが、同じものを作るには至らぬそのような形ですな。貴国はまるで、海の上を進む巨大な図書館のようだ。知識を蓄え、必要に応じて開示しながらも、その核心は決して外へ流さない。」


日本代表:

「知識とは、世界を照らす灯火でございます。しかし、その炎は扱いを誤れば人を傷つけることもある。ゆえに、それを手にする者には、技術だけでなく、それを扱う心が求められます。我々は、その両方が備わることを重んじております。」


(ヘンドリクは静かに立ち上がり、深く一礼した。その動作は形式的なものではなく、明確な理解と敬意に基づくものであった。彼はこの瞬間、武力ではなく知によって均衡を保つ国家の存在を認識した。そしてその瞳には、恐れではなく、確かな尊敬の色が宿っていた。

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